化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

自己満足が産む、素晴らしい産物。

こんにちは。
化粧品研究者のこまっきーです。

ベートーベン、モーツァルト、ショパン、XJAPAN(好きなだけ)。
音楽は何万?何十万?何億?ほどあるのに、新しい曲が次々出てくるのに、
何百年も前の曲が未だに演奏されていたり、聴かれていたりするのはなぜだろう。

今のモノすべてが。
というわけではないが、残るものに共通するのは

“自己満足で作ったもの”

ではないかと思う。

僕はバイオリンの練習もしていて、詳しくはないがクラシックは聴くし、好きだ。
でも時折、長すぎやしないか。と思う。
短い曲もあるが、ほとんどが10〜30分の曲だ。
今のJ-POPなどのように3分で終わるような曲を耳にしていると、「なんで同じメロディを3回も4回も繰り返しているの?」と。
何百年も前の曲なのだから、実際は30分あっても、せめて10分くらいに短縮してもいいじゃない。むしろそのほうが聴きやすくないかな。クラシックがもっと受け入れやすくなるんじゃないかな。と疑問に思うのだが、相変わらずオーケストラを聴きにイクと30分、もしくはそれ以上の曲を演奏する。正直、途中から楽しむ気持ちが薄れていく。それでも短縮しない。

悩みに悩んだ結果、僕はそこに売れる売れないを無視した「作曲者の自己満足」が受け継がれているのではないか。と思った。受け継がれて、暗黙の了解のように、30分の曲は30分することで表現できる。だから30分演奏するんだ。というふうに言葉で表現は難しいけれど、そんな雰囲気がありそうな気がした。そして大事なことだなと思った。

“作曲者の自己満足”

本来音楽とは作曲者が表現したいことを音を使って出来たモノであるので、“自己満足”で当然だ。そしてそうあるべきだ。

これは音楽だけではなく、服のデザイナー、パティシエ、そして化粧品の研究者も。
同じように言える。

もっというと、ヒト自体が“自己満足で作ったもの”で満足するべきだ。
迷惑かけても我儘を通すという意味ではなく、
3分の流行っている曲調をやらないクラシックのように、
“自分が満足する生活をつくる。”

アーティストや芸術たちだけが求めているような思考は時に難しく自分自身を悩ませるが、そうして得た産物(生活)は素晴らしいものになり、流行りだけでは流されない満足が得られるだろう。流行りに左右されない商品が作れるだろう。

こまっきーファンデーションは30分のクラシックです。

そう思って僕は今日も自己満足で新しい化粧品の研究をしている。

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こまっきー

www.komacky.com