化粧品研究開発者こまっきーの語り部屋

化粧品研究職であるこまっきーが研究者目線で化粧品や美容について語ります。

“昔は良かった”は正しかった。

こんにちは。
化粧品研究者のこまっきーです。

高校生や大学生、社会人になりたての頃は
「昔は良かったなあ。」「昔は良かったけど、今はなあ。」
なんて聞くと
「そんなことない。今は今で面白いし、昔とは違った出来ることがある。」
そう思っていました。

昔には嫌なことと同じくらい“自由”があった


“昔は良かった”と言う人の話を聞くと殆どが、“今は出来ないこと”が多い。
会社内でタバコ、今では考えられない豪華な接待、仕事を頑張って会社が伸びれば貰えるボーナス、規制の少ないテレビ、などなど
嬉しそうに話す内容の殆どが今は規制された内容だった。

増えていったのは“自由”じゃなくて“規制”


時代が現在になるにつれて、“自由”を求めて“規制”が増えました。
社内タバコはもちろん、喫煙ルームでしかタバコは出来なくなったり
学校では事を荒立てる少数の親のせいで出来ていたことが出来なくなったり
全員が主役をやる謎の劇を披露したり。
“規制”することで“自由”になるはずが、人にとって“良い面だったり悪い面だったりしていること”に気づいている人はどれだけいるだろうか。
最終的には“言ったもんがち”と言わんばかりに自分のわがままを事荒立てて騒ぎ、相手側(お店や会社など)も対処せずに対応してしまうことで、更に細かな規制が増えた。
規制が増えることでクレームをすんなり対応した結果、表立った嫌なことは減ったかもしれない。
しかし、その分“自由”も減っていることに気づいているだろうか。
自分が“規制”出来るということは、他の人も“規制”出来るので、自分にとっては“規制”されなくて良いことまで、“規制”される。
これの繰り返しが生んだのは“自由”ではなく、ただの“不自由”ではないか。

“規制”と共に増えた“不自由”


例えば、タバコは喫煙ルームだけ。という規制をする。
非喫煙者は喜び、喫煙者は肩身狭い思いをするが、
規制すること言うことは常に一定の人には“自由”を、一定の人には“不自由”を与える。
「そりゃタバコはだめでしょ。」という人。人はストレスをなにかで発散しなければならない。タバコか、暴食か、暴飲か、運動か。一番健康的なのは運動だけれど、一番出来ないのも運動。それらが不健康だからといって、運動する気にもなれず我慢すると鬱になる。運動は一番難しく、運動以外は何かしらやりすぎると病気になる。20代で30代でタバコやお酒を我慢して鬱になるか、高齢になってから病気になるか。高齢になったら誰でも病気になりやすくなるので、タバコやお酒が原因だと断定出来ない。
「ああ、タバコ吸いすぎたからですね。」
なんて無責任なセリフだ。
「タバコを吸えばリスクが上がる」という未来の推測を優先し、今の“自由”を“規制”することで、鬱という原因不明の病気になる“不自由”を手にすることにもなる。だったらタバコ吸ってストレス発散して、“今を楽しく生きる”ことのほうがよっぽど良いと思う。まあそう思わない人もいるだろうから
“規制”せずに、ひとりひとりに判断を任せれば良いのだと思う。

“規制”と共に増えたストレス


そして自分には関係ないことでも、気にしていないことでも“規制”が1つ増えるたびに、肩身は狭くなる。無意識に意識し、「このときはこうするんやんな。」という気遣いが増えた。
規制が1つ増えるたびに気遣いが1つ増え、肩身が1つ狭くなり、これが増えていったから、ストレスを感じる人、精神的にダメージを受ける人が増えたのだと僕は考えている。

“規制”しすぎて生きづらい世の中


こうして本当にするべき規制なら良いが、その判断は難しく、どうしてもどちらかに偏ってしまうため
僕たちは、する必要のないことまでも、見境なく規制してきた。
良かれとばかりに“規制”し続けた結果、
“規制”による自由よりも、“規制”による不自由のほうが勝ってしまった。

だから口々に言うんだろう

「昔は良かった。」と。

「これが規制による不自由か!」と実感出来ることから、知らず知らずのうちに、馴染んでしまったものまで含めて、もはや無意識の不自由がたくさんあるだろう。

自分は意識していなくても、身体は感じている。
だからストレスが溜まる。しんどくなる。

“規制”せずに、「自分も“規制”されたら嫌やし。」と他人を“自由”にしてあげれば、もっとノビノビと生きていけるのではないだろうか。

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今年は“規制の最果て”にやってきた。
明らかにおかしいことをあたかも正しいかのように報道し、今までの常識と反対のことを矯正し、面舵いっぱい舵をとり無理やり“規制の最果て”にたどり着いた。
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ここまで来て、まだ“規制”を増やし続けるのか、やり続けるのか。賛同し続けるのか。
例えば小さい小さい“規制”だと、優先座席。
そんなもの、譲れるタイミングで譲るべき人に譲ればいい事。優先座席があるために、優先座席は空いているのにそこに座りづらい。そういう小さな気遣いの積み重ねが肩身を狭くし、ストレスを蓄積させる。
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今年、“規制の最果て”を振り返り、楽しかったか?気を使いすぎてしんどくなかったか?
しんどく、楽しくなかったなら、考えてみてほしい。
“規制”の必要性を。
「自分もされたら嫌やしな。」と他人を“自由”にしてあげることを。
なんでも少しくらいは“なあなあでいく”くらいが丁度いいことを。

今年1年はそこに気づき、来年に活かす年であると思い、
年内最後のコラムをこの内容にしました。

それでは
良いお年を。

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こまっきー

www.komacky.com