こんにちは。
化粧品研究者のこまっきーです。
僕が小学校の頃はWindows98.
2chが流行っていて、
「あ〜な〜た〜は髪の毛ありますか〜?」
っていう替え歌や
「千葉、滋賀、佐賀!」
っという意味わからんけど、笑えるコント?があって
友達同士で新しいのを見つけては、真似して笑っていました。
中学生になると、チャット。ができるようになり、
土曜の授業はパソコン学習。
午前中までの授業で、全てパソコンで問題集を解く。という授業。
もちろん、真面目にやるはずもなく、2chのチャット欄で遊んでいました。
その頃のインターネットは匿名で、自分に名前もなく、2chのキャラを選び、
チャットの部屋に入って、話をするというものでした。
なので、名前聞いて、名乗って、話して。というリアルで初めて合うようなやりとり。
そこに匿名が加わると、クラスの友達なのか、全然知らない人なのか分からず、
性別なんてもってのほか。
そうなると悪ふざけしたくなるもので、
女性のフリをして、ちょっと出会い系のにおいをほのめかせ、アドレス交換する。
というのが流行りました。
授業が終わると、1人の男の子が
「聞いて、マジで女の人とアドレス交換できた。」といい、
「マジで?」「見せてや。」とみんなが集まり、
メールの内容を見せると、誰かが笑い出す。
「なんや、お前の仕業か!」とネタバレをして終わる。
なんていうか、
遠くにみえて、
すごく近い、
インターネット。
あれから10年以上が経ち、
もっと近くにあるようで、すごく遠いようにも思います。
匿名も無くなり、中学生の頃の悪ふざけも出来なくなり、
自分ではコントロール出来ないくらい、勝手にどんどん広がっていき、
何か言えば、「誹謗中傷だ!」とリアル以上に騒ぎ立てられます。
あれはダメ、これもダメ。とインターネット上は、
規制によって埋め尽くされてしまいました。
「こう言うたら、誰かから批判されるかも。」と気を使い、
色々考えてつぶやいたものの、本意ではない言葉では伝えたいことも伝わらず、
「あれ、こんなにしんどかったっけ?インターネットって。」
というところまでやってきました。
もちろん、言っていいことと、悪いことはあります。
でも、
そのタイミングやその人のキャラクターだからこそ、良いように伝わることもあり、
あれはダメ、これはダメ。では、なんのためのインターネットなんでしょう。
実際に行動してから、良いことなのか悪いこなのか感じて考えて学んでいく。
“生きる”とはそういうことだと思います。
若いときは学校や家族という見張られている居場所しかなかった僕に
インターネットというのは、すごくフリーで、“生きている”感じがありました。
今、僕はインターネットとの距離を調節しています。
インターネットに、フリーはもうなく、現実よりも気を使う世界。
SNSは人の嫌らしい部分を蝕んでいて、一種の麻薬のよう。
それでも普及していくインターネット。
これからどう付き合っていくべきか。
「わたしとインターネット」
1つのインターネットが終わり、新たなインターネットが生まれました。
もはや、今のインターネットをインターネットと呼んでいいのかどうか。
昔のことをインターネット。と呼ぶべきじゃないだろうか。と、
わたしのインターネットは昔のアレのことだ。と、
インターネットを過去のもののように、思います。
こまっきー
はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」