年が明け、冬が終わり、春が来て、桜が散った頃、
今年始めての祭りが開催される。
地元の野崎神社で行われる“のざきまいり”は
GW中、5月1日から8日まで開催され、
JR野崎駅から野崎神社まで徒歩20分の道のりにズラーッと屋台が並ぶ。
「まずはお参りしてからやで。」
と20分歩いた先に鳥居があり、
更に長い階段を登った先にある本殿でお参りをしてから、屋台を楽しむ。
子供の頃からの教えを忠実に守り、中高生の頃に友達と行ったときも
「とりあえず先にお参りすませよか。」
と祭気分に水を指してしまったのを覚えている。
先に挨拶しておかないと、バチが当たりそうな気がした。
そんな“のざきまり”で僕はお金の使い方を覚えた。
毎年「“のざきまいり”のお小遣いな。」と、祖母がお金をくれる。
すると母は、
「祭りでお金使うんか、よう考えや。」
というのだ。
すごく記憶にあるから、多分毎年言われていたんだろう。
どういうことかというと、“のざきまいり”でお小遣いをもらったけれど、
そのお小遣いすべてを“のざきまいり”につぎ込むべきか考えろよ。ということで、
お金を使ってしたいことは他にないのか?
目の前のワクワク感に惑わされずによく考えて、
欲しいゲームでも漫画でも買ったらどうや?
と言うのだ。
「それはそれで買ってくれよ。」と思いながら、
僕は考える。
もらったお小遣いは3000円。
ぎりぎりゲームボーイのカセット1つ買える金額。
もしくは中古ゲームソフトを買って、祭りを少し楽しむか、
もしくはカードゲームを買って、祭りを少し楽しむか。。。
そうして僕は毎年、祭りとのバランスをとっていた。
母は祭りを通して、無駄遣いしないようにしたかったそうで、
僕はそのとおりに無駄遣いをしなくなった。
お小遣いが必要なときから毎月制になると、常に考えた。
小学生の頃、通った駄菓子屋で、「月に◯回いくから、だいたい1回使えるのはこれくらいかな」とか、
中学や高校の頃、体育の終わりに毎回自販機でジュースを買って、
美味しそうに飲む友達を見て、
「めっちゃ美味しそうや。僕も飲みたい。でも、あかん、こんなところでお金使ってたら、すぐ無くなってしまう。」
と、体育の終わりのジュースを月に1回だけ。と設定したり、
帰りのコンビニでも、ジュースとお菓子合わせて200円くらい。と決めて、
「うーん、フランクフルトはやっぱり高いからアメリカンドックにしとこ。」
と妥協したり、
そこでもお菓子2品買う友達を羨ましく思いながら、
「ここで使ったらあかん。」
とじぶんに言い聞かせた。
大学生になりアルバイトをし始めてると、上手をお金を使った。
毎月入る金額から、携帯代や大体の食費を差し引き、
どれくらい服に使えるのか、どれくらい化粧品が買えるのか、
理系であまりアルバイトもできない中、結構欲しいものや、やりたい習い事を
できてきたな。と思う。
しかし反面抜けないのが、「常に考えてしまう、お金の使い方」だ。
旅行に行って、その場の雰囲気で「めっちゃいい感じやん!」となっても考え、
今でも祭りは相変わらず、ベビーカステラとフランクフルトくらいしか買えない。
周りの友達が「あー、これ美味しそう!」と次々買っていくのを羨ましく見ながら、
その中でどれが美味しいかをじっと睨んで精査してしまう僕は、
素直に祭り気分を楽しめてないだろう。
そういうときに何気なく買ったものが思い出になったりもするし、
お祭り気分になれてない感が否めない。
大人になって入ってくるお金は増えても、その分出ていく。
毎月使えるお金は決まっている。
特別な出費は、別のお金、誰かが補ってくれるわけではない。
特別な出費があるぶん、普段の生活に支障が出る。
だけど、特別なことをしたときに、
特別な出費をよし。と思えることも大切だなと思う。
子供の頃、祭りで覚えたお金の使い方は、
上手に使うにはすごく良いアイデアだったけれど、
同時に楽しむときは、楽しむ大切さも必要だなと思った。
化粧品研究者こまっきー
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