日本人は決断力がない。とよく言われる。
「もっとはっきり言うべきだ。」
「自分の意見はないのか。」
「どうしたいねん。」と。
僕が大学生の頃に、ネット社会での有名人たちが注目されるようになり、決断力の無さを指摘した。
「すぐ決断出来る人が優秀」だったり、「白黒はっきり付けれる人」、「自分の意見をはっきり言う人」が出来る人の証だとした。
日本人は決断力がなく、それが原因で欧州や米国たちと渡り合えないと。
僕はすごく納得して、研究室でのセミナーでも必ず発言することが求められていたので、色々な場面で積極的に発言するようにした。
研究室だけでなく、友達とBBQに行くときのプラン決めのような企画に関しても、周りが意見がないならと、発言した。そのとおりに動いたときは嬉しかったのと、話が前に進んで良かったと思った。
最近、積極的な発言は控えている。
「意見を言う」を推奨してきて数年が経ち、「自分のわがままの押し付け」をしている人が多いように思う。
もしかして自分もそうなっていたのではないか、大学のとき、もしかして友達は他のプランを思いついたけれど、言おうか言わまいか悩んでるうちに、僕が発言して、僕がその発言したプランをやりたがっているから、遠慮した。のではないか、と。
それならとんだ間違いだ。
確かに自分の思いついたプランなので、やりたいとは思う。でもそれ以上に他に意見がなく、話が前に進まないのが嫌だったので、考えて発言した。
しかし、友達は意見があったかもしれない。
だから最近は意見を持ちながら、待つことにした。話を振ることにした。
「意見を言う」ことと、「自分の考えを押し付ける」そしてそれが「自分のわがまま」であることは違う。
それなのに、最近の強く発信する言葉、ツイッターなどでの発言ではわがままが過ぎるように感じる。発言するのは自由だし、発言する内容も自由だ。でも家で誰もいないところで独り言を言うのとは違うので、そこの考慮は必要だと思う。
今は、そのわがままが強く発信すれば通ってしまう時代になってしまった。
昔からお店などにクレームを言う人はいただろう。わがままが過ぎる人もいたと思う。
最近はそれを上手く対処できないお店が問題だと思うが、そのおかげでルールや縛りが増えて、小さなことをたくさん、気にしないといけなくなった。
無意識でも気にすることが増えれば増えるほど、疲れてしまう。無駄な疲労だ。
日本人が昔からやっていた上手い対処とは、「白黒つけて、説得すること」とは違う。
「まあまあ、そうやけどさ。」といい感じに受け流すことだ。
これができたからこそ、米国のようになんでも裁判沙汰にして白黒つけるようなことはせず、いちいち細かなルールを作ったりして、自分たちを自ら束縛することもなかった。
アメリカ映画を観ていると、カップルが付き合うときに
「じゃあ2人のルールを作ろう。」という会話があって、僕はそのシーンがすごく嫌いだ。
日本人に「意見をはっきり言う」ことも「白黒つける」ことも向いていないと思う。
腹立つことはある。誰にでもある。でもほとんどが「まあまあ、そうやけどさ。」で流されていいもので、こんなにもピックアップしなくていい。
今までそうだったので、日本人が白黒つけようとすると自分のわがままが前に出てしまい、良くないことのほうが多いと感じる。
失敗しているほうが多い。
欧州や米国につく方が良いのか、ロシア中国につくほうがいいのか。
未来はわからない。日本はいつも米国についていく。今回も。
それでも、プーチン大統領が自ら参列すると言っている。
プーチン大統領は岸田首相たちとの関係は拒否していたが、安倍さんだけは交流があったそうだ。ロシアという資源をたくさん持った国との交流を繋げておくのは大事なことで、今回は安倍さんが亡くなった後の関係を作るチャンスだと思う。
欧州米国側についているので、こっちが「来てください」と言っても断られる可能性があるはずが、プーチン大統領自ら「行く。」と言っているのは
「この人はすごく律儀な人なのか。」
「それとも日本とは繋がっておきたいのか。」といろいろ考えてしまう。
今こそ、日本人の得意技、「まあまあ、そうやけどさ。」のみせどころだと思う。
あっちへホイ、こっちへホイして、はっきり決断できずになあなあな関係を続ける。
その決断力の無さが、中国の文化を受け入れ、インドの文化を受け入れ、欧州や韓国など色んな文化を受け入れて、こんなにも色んな料理が普通の生活で食べられるようになった。
政治も同じように、その決断力の無さでどっちつかずが続き、色んなものを上手に受け入れ、日本に大きなダメージを負うこと無く、あわよくば欧州や米国とロシアの和解の架け橋になったらいいのにな。
なんて思っている。
-化粧品研究者こまっきー
↓こちらもどうぞ↓