大学に入学し、初めての授業で永田和宏教授は僕たちに問いかけた。
「小学校、中学校、高校と進んできたけれど、大学は違う。義務教育じゃないという違いもあるけれど、他に何が違うと思う?」と。
誰も答えれず、少し残念そうに答えを言った。
「今までは“わかっていることを学ぶところ”だったが、大学は“何がわかっていないかを学ぶところ”なんだよ。」そう永田和宏教授は言った。
そのことが未だに頭から離れずに、時々思い出す。
永田和宏教授は細胞生物学で有名な方で、大隈良典教授がノーベル賞を取ったときの写真に一緒に載っている。飲み仲間“7人の侍”の一人で、細胞生物界のトップ7だ。
元々京都大学の教授だったが、京都産業大学から新しい学部、細かくはリニューアル学部の学部長として呼ばれ、その条件に永田教授の方で教授を人選したという。
ちょうどその学部の1期生だった僕は、誰がすごいのか分からなかったが、悪友の誘いで3回制のとき永田ラボに入った。
僕と永田教授、ラボの話は置いといて、僕は最初の授業のこの言葉は全大学生に届けるべきじゃないかと思う。
大学はもはや義務教育である。休講になれば土曜に振替があり、単位重視、中身よりも形、
「誰が得するんや?」と永田教授は大学に大学の在り方を訴え続けた。
大学の授業ではわかっているところを説明し、わからないことがなにか?なんて話にもなった。
一般にいうコラーゲンとはコラーゲンの集まりの繊維のことで、コラーゲンα鎖3本をねじねじして、コラーゲンができる。そのねじねじをしているのは誰かもわかっているし、ねじねじが失敗した場合の処理もだいたいわかっているが、細かく名指しするほどにはわかっていない部分もある。
ねじねじして、成功したら繊維に。失敗したら、ほどいてやり直し、それでも無理なら処分する。
まるで流れ作業の工場のよう、会社で部署が別れているあの感じで、現実世界は身体の中の世界が広がったもののように思えた。
身体の仕組みも生産工場も会社の仕組みも、基本的な部分は一緒なのだ。
身体の仕組みのほうが細かく複雑で、わからない部分も多い。
現実の仕組みは全て身体の仕組みに置き換えることができるだろう。
身体の仕組みのわからない部分がわかれば、現実でできることも増えるのではないか、技術の発達ってそういうことではないかと考えている。
“何がわかっていないかを知るのが大学”
わかっていることを教えてもらい、それを吸収するだけでなく、何がわかっていないかを知る。大学もほとんどの授業は分かっていることを教える授業なので、知るということは考えなければならない。
「あ、ネットでこんなん言うて売ってる人おるけど、まだ分かってないんや。」
と、気づくこともあったりする。
“何が分かっていて、何が分かっていないか”
大学生だけでなく、社会人になってもこれを考えるのは大切だと思った。
化粧品の研究でも、成分のデータはあっても、
「じゃあ、どの数値以上が効果ありなんですか?」
「この比較差は体感できるものなんですか?」
と聞いてみても誰も答えることが出来なかった。
ただ、データを出しただけ、差を出しただけで、結論のないデータが多かった。
体感のアンケートはどれも良好で信用出来なかった。
データによる数値はわかっているけど、結論が分かっていなかった。
大学のときに教わった“何がわかっていないかを知ること”で
僕はデータを信用せず、実際に試して、自分や周りの人の体感を大切にした。
化粧品はグラフで10%アップしようが、体感がなければ0%だ。
もちろん、体感も人それぞれ違うので、研究所の女性や親、兄弟、友達、と自分で試して安全だったものを色んな人に試してもらい、自分なりのデータを取っていった。
「良いように捉えなくていい。」と言えば、結構厳しい結果が帰ってくる。
研究じゃなくても、他の仕事でも趣味でもなんでも、この考えは活かせると思う。
スーパーでキャベツを買うときも、広告だけでは値段しかわからないが、実際に行くと大きさや重さが分かる。でも食べてみないと味はわからない。
すごく単純なことだがこれも一例で、人は知らず知らずにその思考をすでに持っているので、後は意識して使うだけ。
“何が分かっていて、何が分かっていないか”
それを考えるのは大事で大切で、
情報が飛び交う現在に必要なことだと思う。
-化粧品研究者こまっきー
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