化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

「ありがとう」と「ごめんなさい」は挨拶じゃない


「ありがとう」と「ごめんなさい」を口癖のように言う人がいる。
東京ではわからないが、関西の「すんませんねえ」は謝っているのではなく、間違いなく挨拶だ。「行けたら行くわ」「知らんけど」に次ぐ、関西人の表現である。
それとは少し、違う。

10年,15年ほど前、ITの有名人たちが出てきて、「日本人はダメだ!」といい出したあたりから、アメリカかぶれのトークが染み付いてきた。
・なにかをしてもらったときに「ありがとう」と言わない上司がダメだ
・人に頼むときの言い方が云々
・日本人は「ごめんなさい」が多すぎる。
などなど、日本人のダメな部分をピックアップし、アメリカではこうだ、それが今風だ、かっこいいのだと言って浸透させた。

「ありがとう」を言うことは悪いことではない。
「ありがとう」と言わない人に「なんで言わんねん」と思うときもあるけど、「ありがとう」は挨拶じゃない。
「ありがとう」と思うその気持ちが、口からポロッと出てしまう。それが「ありがとう」なのだと思う。
10年15年前くらいから、子育てに「ありがとうの癖をつける」というものが出来た。
感謝の心を育てる為らしいが、感情や感覚の部分は学ぶものではなく、感じるものだ。
教わって、いちいち口にすることを考えるのではなく、ポロッと声に出てしまうものだ。
最近の「ありがとう」は、「ありがとう」と言うことを口癖にして、上辺だけになってしまっている気がする。
そう感じると、僕は余計に「ありがとう」を言いにくくなり、上辺だけの人が使わない表現がないものかと、考える。
ありがとうの類語を調べてみると“ども、あざっす、あんがとね、恩に着るよ。”と、どれも急に使うとフザケてると思われるだろう。

「ごめんなさい」も同じ。
日本人のすぐ謝る癖は「謝ったら許してもらえる」感が出ている。口癖になっている人はもはや意識もしてないかもしれない。
それは仕方がないなと思う。僕たちは子供の頃、喧嘩をすると、先生や親が出てきて、最後には「ごめんなさいは?」と言って無理やり謝らせる。子供自身がまだ納得していなくても、先生たちがあーだこーだといっている間に、子供たちの方で勝手に意思疎通して仲直りしていたとしても、大人が納得するために「ごめんなさい」を言わされる。
もはや「ごめんなさい」は挨拶だし、「とりあえず、謝っとこう」というくらいだから、謝ること自体、日本では挨拶なのかもしれない。

それでも「ありがとう」と「ごめんなさい」は挨拶じゃない。
そういった感情があるから口にでるものだと思うのだが、ただの口癖のように使う人が多いなと思う。

最近You Tubeで養老先生の動画を見る。
「アメリカは言葉が少ないから、「I love you」というしかない。嘘でもそう言えばそうなる。
でも日本は「好き」という表現を色んな言い方で表すでしょ。」
という言葉を聞いて、ハッとした。
youtube,SNSが発達してきたと一緒に成長してきた僕たちは、英語がかっこよく、海外文化を真似することが良いことだと思ってきた。
最近洋画を観ていると、英語では自分が困ったり、追い込まれたら、「ファック!ファック!×∞」でいい続けるか、「サノバビッチ」と言うこの2択しかないことに気づいた。
日本語ではもっと色々、そして人それぞれの表現の仕方がある。
養老先生の話を聞いていると、英語すると言葉や表現の数が減る。表現が減ると、自分のこの気持ちをどう表していいのかわからなくなり、それが思い悩ませたり、感情表現出来ない、精神疾患の原因になってるように思い、日本語をもっと知るべきだと気づく。

ちゃんと言葉にする英語の表現を悪い方に取り入れて、「ありがとう」と「ごめんなさい」は言うたもん勝ちになってしまった。
その次は「美味しい、楽しい、すごい、怖い、」などが「やばい」の1つに集約された。

使う言葉が減り、上手く自分の感情を表現出来ていないから、精神疾患が起こっているのであれば、小学生から英語を勉強するより、日本語の表現力を身につけることの方が大事だろう。

-化粧品研究者こまっきー

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