化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

多様性の束縛


昨年から急激に広まった言葉、多様性です。
多様性を受け入れよう。というスローガンがあちこちでみかけるようになりました。
多様性に関しては昔から色々取り組みがあり、男女雇用機会均等法もその1つです。

一見、良さそうな取り組みに見える多様性の受け入れですが、ここ最近は度が過ぎているように思います。
会社でも怒りにくい風潮と多様性が重なり、社員の教育が全然なってなくて、礼儀知らずのまま営業に出かけたり。アルバイトでも気が利かない人が増えていたり。
教育されないのだから気が利かないのは当たり前で、そこは注意するべきなんですが、怒ると社会的に良くないとかその人のキャラを受け入れるのが多様性だからとか、都合のいい解釈で先輩や上司が楽をしているだけのように思います。

男女の雇用に関しても、均等にするのは無理だと思います。
そもそも身体の作りが違うので、重い荷物を持てる身体になりがちな男性が持つ荷物を女性に押し付けることはしないように、女性がもつ母性本能を男性に持たせるのは無理があるように、人は男女に分かれているのですから、それぞれ向き不向きがあるはずです。
もっというと、男性でも力のない人はいますし、女性のような細かな気遣いが出来る人もいるので、男女がどうだというより、その人が何が得意か、で考えるべきです。

そのときに、「その人はこういうことに向いているので、これを積極的にやってもらおう。」とするのはいいのですが、最近は「まあ、出来ひんか。そうか。」くらいの感じで出来ないことも多様性みたいな風潮になっていて、教えることもないまま放置されている気がします。
注意しない、教育しない、怒らないからダメの度合いがわからないまま育つ、怪我することない社会で失敗しないまま育つ。
人は経験して失敗して、学習して成長していきます。
これでは人が成長せず、人の質が下がっていく一方だと思います。
最近、本当に中国人の態度を馬鹿に出来ないようになってきています。

僕ら小学生の頃は、男性=力持ちとか、そういう強いイメージがいくつかあったので、そうじゃない人は除け者、弱い人、みたいな位置づけになっていたので、今は過剰な反応になっているのでしょうか。

それでも、礼儀がなってないときは注意するべきですし、怒りの沸点に到達したら怒るべきです。10年前くらいから言われだした、「怒らない教育」が浸透したせいで、会社でも怒りにくくなりました。喜怒哀楽の怒を僕たちは消してしまったのです。

多様性を受け入れるなら、受け入れることが嫌だと感じる人のことも受け入れるべきです。
つまり、過剰に反応することなく、生活すればいいじゃないということです。
気にならない人は気になりませんし、嫌なに人はやっぱり嫌なんです。
それを声に出して言えない社会というのは、どうなんでしょうか。
色んな考えや経験があるから、多様性なのではないでしょうか。
最近は教育も社会もなにもかも、1つにまとめられてます。
みんな同じ方向を向いています。これは危険なことです。

僕は多様性が人の自由を束縛しているように感じます。
これからどんどん、自由は無くなっていくのかもしれません。

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