“人のせいにする人”と“人のせいにしない人”の違いは?
なんて言う話題がありますが、僕は少し違うと思っています。
なんでも“人のせいにする人”はいないし、なんでも“人のせいにしない人”もいません。
「いやいや、あの人はいっつも人のせいにしてるで!」と、ある人を思い浮かべるかもしれませんが、それはその場所での話であって、別の場所に行けばその人はまた違った人になるでしょう。
“人のせいにする人”と“人のせいにしない人”の違いは?
と言う話題にすると、いつもどこでも“人のせいにしている”と勘違いしてしまうので、これは注意が必要です。
こういう話題を考えるには、「自分はどうか?」と自分を振り返ってみることです。
振り返れば、“人のせいにしている時”と“自分のせいにしている時”があるはずです。
ということは、他の人も“人のせいにする人”ではなく、“人のせいにしている時”と“自分のせいにしている時”があるでしょう。
“人のせい”と“自分のせい”の境界線はどこにあるのでしょうか?
これは大人と子供で変わってきます。
大人の場合は殆ど“自分のせい”です。
体調不良になるのは、自分が身体の不調に気づいて、早くに休まなかったからです。
仕事が忙しくて休む暇がなく、体調不良には気づいていたけれど休めなかった。だから仕方ない。と思うかもしれませんが、そこで仕事を選んだ自分がいます。
仕事は自分一人で出来るものではないので、周りの空気感を気にしてしまいます。忙しい時に休みたいとは言いづらいでしょう。
しかし、それで体調を崩して苦しむのは自分です。
空気を読んで、体調不調になる道を選んだのは自分です。
忙しい時に体調不良で休みにくい職場を選んだのも自分だし、忙しい時に休もうとしないのも自分です。
厳しい考え方かもしれませんが、そう考えないと何回も同じ失敗を繰り返します。
気付けていない場合は、なおさら自分のせいです。
子供から大人になるにつれて学んでいくことに、自己制御があります。
道路の向こうに気になるものがあっても、急に飛び出さずに信号を見て渡る。
これと同じように、遊びたい気持ちはあるけれど体調が良くないことに気づいて休むことも自己制御の1つです。
「それは間違ってないかな?」「大丈夫かな?」と思っているのに、会社または社会全体の空気感に流されて失敗しても“自分のせい”です。
疑問を持たずに空気感に流されて失敗しても“自分のせい”です。
少なくとも大人は自分で自分の行動を選択できる権限があるのですから、失敗した場合は“自分のせい”と考えて、「次は間違えないようにしよう。」と間違えた原因と対策を考えて行動するべきです。
たとえその場では“人のせい”にしたとしても、あとで自分に出来たことを考えてみましょう。
大人の場合の“人のせい”はその人に何かされたとか、嫌がらせされたとか、そういった分かりやすい場面でしょうか。相手からすれば僕の態度が気に食わないということで、嫌がらせをされたりします。“人のせい”にしてしまえばそれまでですが、自分がその人への対応を変えたりして、相手の僕への印象を変えることができれば改善すると思いますので、これも“自分のせい”にして対策を考えてみれば良い方向に変化が生まれそうです。
僕はバイトをしていた時に、この経験があります。良い方向に変化したこともありますし、無理だったこともあります。自分を無理に変えてでも相手に合わせる必要はありませんが、出来そうなことはやってみるといいと思います。
前から急に車が突っ込んできた時とか?それくらい分かりやすくないと“人のせい”には出来なさそうです。
子供は違います。
子供同士のやり取りは“自分のせい”です。
学校は子供が中心の社会です。
子供同士で作られる社会は学校くらいしかありません。
その学校で、同じ年齢の子達と共に社会というものを知っていく場所です。
そこに親や先生が入ってくると一気に社会構造が変わってしまいますが、子供だけであれば、大人の社会同様“自分のせい”と考えて、自分の出来ることを考えて行動してみるべきでしょう。
それでも限界があるので、最終的には大人の助けを借りることが沢山ありますが、それは会社の上司に手伝ってもらうのと同じような感覚です。
いつかは自分で出来なくてはいけません。
子供が“人のせい”に出来るのは、健康管理です。
小さい子供であればあるほど“人のせい”で、徐々に“自分のせい”が混ざっていきますが、高校生くらいになっても健康管理は“人のせい”が残ります。
それは家の主(あるじ)が親だからです。
家の食事の栄養バランスを決めるのは親です。最近は様々な食の考え方が目につくようになり、その時で流行っている食事療法などを試す人がいますが、それをすると大抵の場合は栄養が偏ります。
栄養が偏ると、成長期である子供に必要な栄養が不足しがちになり、成長過程で病気が起こりやすくなります。
いくら子供が「肉食べたい!」と言っても、ビーガンの家庭では肉が出てきません。
それによって子供に起こる健康面のトラブルは“人のせい”となります。
または病気に対して間違った治療方法をしていて、症状が悪化していくときも“人のせい”です。
小学生や中学生はともかく、高校生ですら病気の治療の良し悪しは判断できないでしょう。
ここは親頼みとなり、“人のせい”に出来る部分です。
毎日の食事も、病気の治療も子供には選べません。
こう考えると、大人はもっと知識をつけなくてはいけないなと思います。
しかしそれは専門的な知識というよりも、すでに学校で学んだ基礎知識です。
特に高校で学ぶ生物は、病気になったときの食事や健康面の問題を考えるのに、非常に役立ちます。
風邪の時になぜ発熱するのかという知識があれば、むやみに解熱剤を服用しなくなります。
子供の頃の影響で大人になってからもその症状に悩まされた場合、これは子供の頃までは“人のせい”で大人になってからは“自分のせい”です。
大人になれば、健康管理は自分で出来るので、栄養バランスも疲れないような日常生活も自分で選べます。過去の影響があるにしても、改善しようと思えば取り組むことが出来ます。特に長い間患っている病気は疲れたら悪化することが多いので、自分の欲望のまま活動すればするほど、症状は悪化します。そうならないように、自分でコントロールしなくては行けません。
治療は治すことよりも、悪化しないことを一番に考えることが重要です。
こういうときはこうすれば良いという情報で、僕たちは散々振り回されてきました。
この失敗を“自分のせい”として考えると、基礎知識をベースに物事を考えないと、情報に振り回されてしまうことに気づけます。
“人のせい”にすると、「あの人がオススメするから治ると思ったのに!」という考えになり、原因も必要な知識にも気づくことができません。だから、何回も何十回も失敗します。
“だれのせいでもない”場合があります。
これは“自分のせい”であると考えて、原因はわかるけど、対策しようがなかった時に出てくる選択です。
“人のせい”と“自分のせい”の間であると考えられますが、“人のせい”の時には出てこない選択肢なので、“自分のせい”から境界線の間となるでしょう。
そういう意味では、仕事が忙しくて休めなくて疲れて体調を崩したことは、“人のせい”ではないけれど、“自分のせい”か“だれのせいでもない”かの判断は難しいなと思います。
例えば、パソコンの写真のアルバムが自分の人生のフォルダだとします。
そこで、同じ写真が2枚も3枚もあると消すと思います。
2枚も3枚もあるということは2回3回同じような失敗をしたということです。
すると、同じ失敗ばかりしていると、同じ写真ばかりで、重複した写真は消していくので、フォルダがスカスカの状態になります。
同じ失敗をしているというと、“多い”と感じますが、見方を変えれば“少なく”なります。
僕たちは同じような失敗を何回もして、その都度反省したり、人のせいにしたりしてきました。反省しても、また同じ失敗を繰り返してしまうこともありました。
“自分のせい”だろうか、“人のせい”だろうかと悩むこともありましたが、“自分のせい”にして、自分に出来ることを考えたほうが、自分にとってはプラスになりそうです。
特に情報が多く、情報の圧力が凄まじくなってきたこの社会では、“人のせい”にしていると大きな失敗を選択してしまうことになってしまいます。
化粧品研究者こまっきー
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