化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

「ありがとう」は結果である。

「ありがとう」を求める人がいます。
自分が何かすれば、「ありがとう」と言ってもらえると思っている人がいます。
僕は「ありがとう」は結果であり、言われるどうかはその時々であると思っています。
そこまで重視するべきことではないと思っています。

口癖のように「ああ、ありがとう。」という人がいます。
それはその人の口癖なのですから、それはそれでいいとして、それを他人に押し付けてはいけないです。

そもそも「ありがとう。」を求めるにしても、口癖のような「ありがとう。」でいいのでしょうか。
口癖のような「ありがとう。」で満足してしまうのであれば、口癖のような「可愛いね。」に簡単に躍らされるということになります。
簡単に「可愛いね。」と言われてもまともに受けないと思います。
それと同じような「ありがとう。」はそこまで重要視するべきでしょうか。

仕事やアルバイトでの「ありがとう。」がわかりやすいでしょう。
例えば自分が事務職だったなら、事務職としてやるべき仕事は給料をもらっているわけですから、やって当たり前の仕事です。
自分では「これは事務職の仕事ちゃうやろ。」と思っていても上司が指示したなら、それは事務職の範囲内ということです。
営業マンなら、営業先が気に入る提案をするのは当たり前ですし、販売員ならお客さんが気に入る服をお勧めするのは当たり前です。
アルバイトでも同じです。
やって当たり前の範囲内です。

「ありがとう。」と言われるなんてもってのほかで、「当然です。」と言い返してもいいくらいです。
お客さんに「当然です。」とは言えないでしょうから、「気に入ったものが見つかってなによりです。」くらいの返しがベストでしょうか。
仕事やアルバイト中での「ありがとう。」と言われるのは当たり前の範囲内です。
それを“やりがい”と考えてしまうから、思い悩んでしまうことになるのです。

「なにかしてもらったら、ありがとうと言おう。」という風潮が広がってしまってから、「ありがとう。」を言うか言わないかという部分だけが重視されるようになりました。
これに“生きがい”とか“やりがい”という言葉が重なって、ますます「ありがとう。」と言われるかどうかが重視されるようになりました。

「ありがとう。」と言ってもらうことが行動の動機になっているなら、それは良くないです。
「ありがとう。」と言われるために動くということは、「ありがとう。」と言われないなら動かない、動きたくないということになります。

自分が動こうと思う時は「ありがとう。」と言われることがスタートではないはずです。
「これしたらいいじゃないか。」、忙しそうにしている人をみて「こういうふうに手伝ったらスムーズに進むんじゃないか。」と自分にできることを思いついたから行動に移しただけで、「こうしたらありがとうと言われるんじゃないか。」と思って動くわけではないでしょう。
上司に指示されて動く時も同じです。
だったら「ありがとう。」と言われるか言われないかは気にしなくていいはずです。

いいはずなんですが、“生きがい”と“やりがい”という言葉が邪魔をするのでしょう。
毎日同じ仕事をしていたら、誰だって飽きてきます。
自分の好きを仕事にできている人ならまだしも、殆どの人が日々の生活のために働いています。
むしろ、殆どの人が好き関係なく働いているからこそ、好きなことを仕事にできる人がいるといえます。

転職しても役職が上がっても、数年もすれば慣れてきて、毎日ほぼ同じことをしていると、「これでいいんだろうか。」と、ふと考えたくなるものです。
そこで“生きがい”や“やりがい”という言葉が目につくようになり、「ありがとう。」と言われているなら自分の存在価値があると考え始めると、“飽き”という自分の心境の変化から始まったはずが、「あの人はどう思っているか。」と判断基準が自分から他人へと切り替わってしまいます。

他人というのはたくさんいます。
父と母で考えが違うように、直属の上司と更に上の上司、または同僚とで考えが違うように、たくさんいる他人にはたくさん考えがあります。
判断基準を相手へと切り替わってしまうと、その1つ1つの考えに合わせて、自分を変えていくということになります。
それは大変しんどいことです。
そんなことをしていると、精神的に体調を崩してしまいます。

判断基準はあくまで自分で、自分ができることや、するべきことをやるというスタンスでいるべきです。「これやっといて。」と言われたことはするべきことに含まれます。
それが仕事の場合は給料をもらっているのですから、できる限りのことをするのは当たり前ですし、そんな現金な話でなくても、自分の担当の家事は当たり前のようにやるべきです。
「休日でゴロゴロしてるなら手伝ってくれたらいいのに。」ではなく、「自分の役割やから私がやる。」と考えるべきです。
それがどうしても思えないくらいバランスが取れていないなら、役割分担の相談が必要でしょう。

「何かしてもらったらありがとうと言おう。」とか、それで“生きがい”や“やりがい”を感じようとするよりも、仕事にしろ家事にしろ自分の担当箇所はやって当たり前と考えた方が、自分の責任を把握できることになるので、仕事や家事に対しての姿勢は変わると思います。
その方が良い仕事ができるでしょうし、良い結果も得られやすくなるので、“やりがい”と言いたくはありませんので別の言い方をすると、仕事も家事も楽しくなるでしょう。

飽きたということは、仕事に余裕ができたということでもあるので、何か他に自分ができることを探してみるといいです。見つかって、提案して断られても、それはそれで良しです。
判断するのは上司であって自分ではありません。
判断は自分の仕事ではないことを忘れてはいけません。
自分のできることを考えて見つけて提案するだけでいいんです。

家事の場合は、家計簿の見直しで節約できそうなところを節約しようとしてみたり、見落としていた掃除箇所を見つけたりすることでしょう。
それをしたとしても、「ありがとう。」と言われることを期待してはいけません。
自分の役割の改善は当然の範囲内です。

「ありがとう。」のスタンプラリーをしなくていいと、精神的にも楽になります。
ねずみ講みたいに「ありがとう。」を言い合って、数を稼ぐようなことはただ疲れるだけです。

「ありがとう。」と言われるかどうかは、そんなに気にしなくていいんです。
言わなくちゃいけないと、思わなくて良いんです。
ひとりひとりの行動はたとえ命令で動いたとしても、自分の担当の範囲です。

“生きがい”も“やりがい”も“ありがとう”も思えば思うほど、しんどくなります。
“生きがい”や“やりがい”なんて言葉にして考えるものじゃないです。
「ありがとう。」は結果出てきた言葉であり、ポロッとこぼれるように出てくるくらいが丁度いいと、僕はそう思います。

化粧品研究者こまっきー

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