感情的になることはいい事です。
特に鬱の症状が出てしまう方は自分の感情がうまく表現できていなかったり、自分が今どう感じているのかが分からなくなっているのではないかと思います。
「なんか不愉快に感じたけれど、どこがどう不愉快に感じたのかが分からない。」
「今のこのモヤっとした感情をどう言葉に表せばいいか分からない。」
と、まるで好きと憧れと尊敬の区別がつかなくて悩む中高生のように、自分が今感じているこれが一体何なのか分からないことが増えると、精神疾患になってしまうのではないかと考えています。
感情的になるのはいい事ですが、その感情を相手にぶつけ続けていると、人間関係は上手くいきません。
「ちょっと心許せそう。」と感じて、全てを曝け出してしまうと、交際している異性に別れを切り出された。なんて経験がある方もいるでしょう。
自分ですら自分の感情を上手く表現することが出来ないくらい、感情というものは複雑なものなのですから、相手に感情をぶつけるということは、相手の感情にプラスして自分の感情の一部が乗っかるようなものです。
全て曝け出そうとしても、全てではないのですが、その乗っかりが重すぎると相手はキャパオーバーとなるでしょう。
ですが感情を全くぶつけずにいるよりはいいです。
感情はぶつけ合わなければ、自分以外の感情を知ることが出来ません。
「あの子はこういう時に泣くのか。」
「先輩はこういうところにうるさい。」と、相手が感情的になったときにこのように感じるのは、自分はそうはならない、または自分はそうはなっていないと思っているということです。
自分にもそんな一面があることに気づいたら、「僕のこの感情は先輩と同じようなものかも。」と自分が気づけなかった感情的になる事柄に気づくことが出来ます。
自分にはない感情のスイッチなら、未知の感情を知ることが出来ます。
色んな人と感情をぶつけ合う事で、自分の感情のぶつけ方や、相手の感情を知って人と上手く付き合うことが出来ていくでしょう。
最近は先生が怒るとすぐ親が出てくるとか、怒るとすぐパワハラと言われ、怒りの感情を知る機会がないので、若い子達は上手く怒れないのではないでしょうか。
そんな人と人との付き合いに大切な感情ですが、使われやすい側面もあります。
選挙運動はまさに感情を利用しています。
演説をする時、やりたいことを伝えたいだけなら、「こんな状態でいいんですか!」「私はこれを変えたいんです!」とあそこまで叫ぶ必要はありません。
やはり感情を、主に怒りの感情を揺さぶって、自分に投票してもらおうと演説します。
普段はそこまで感じていなかった小さな怒りを大きな怒りに変える。
それが演説でやっていることのように思います。
感情を揺さぶられ「そうだそうだ!」と感じて投票してしまう人が増えると、立候補者が考えている中身よりも、有権者の感情をいかに揺さぶるかの争いとなります。
有権者の感情を揺さぶるのが上手な人が票を多く獲得します。
それは、多くの人の感情を揺さぶれた人が注目を浴びて票を獲得できるという、ある意味で人気投票になっていまいます。
それではまるでエンタメです。
アクション映画では、激しい殴り合い、ハラハラするシーンが多いほど、満足感があるでしょう。アクションで有名なハリウッド俳優がアクション映画なのに、あまりアクションをしないまま映画が終わるとなんだかスッキリしないと思います。
投票がエンタメ化すれば、ハラハラするアクションが多い人が票を多く獲得するということになります。
選挙の争いは中身よりも見た目重視になります。
そんなエンタメな人が世の中を良い方向に向けれるでしょうか?
僕なら、そうやって見た目で上手く誤魔化すんだろうなと思ってしまいます。
なので選挙のとき、僕は演説を見に行ったことがありません。
演説は立候補者の声だけではなく、その場に集まった有権者の熱気も合わさって、沢山の感情に影響されてしまいます。
気になる立候補者がいれば、その人のプロフィールを見たり、過去を知ったり、SNSで発信している内容をチェックしたりします。
そこでも感情的に投稿している場合は、「エンタメ派の人ではないか?」と警戒します。
SNSでは演説の投稿もみません。
または、普段はSNSなどで暴言を吐いているのに、選挙の時だけ丁寧に話している場合も信用できません。それも1つのエンタメです。
面倒くさいですが、選挙期間以前を調べた方が良いと思います。
そもそも選挙運動とは、自分が当選したら何がしたいかと訴えるべきではないかと思うのですが、大半が批判と「これでいいんですか!」で、批判と感情での訴えをせずに自分のやりたい事だけを語り続けている人を見たことがありませんので、もうすでにエンタメなのでしょうか。
デモも同じように感じてしまいます。
やっている本人達はこれではダメだと感じているのかもしれませんが、デモはどうしても感情的に行動しているように見えてしまいます。
感情的に行動していれば、その感情を動かした人がいるはずです。
せっかくの正義感がその人の操り人形になってはいけないと思います。
何か注意喚起したい気持ちはすごくわかりますが、冷静に伝えて、伝わる方法がないのだろうかとSNSでデモの映像を見るたびに考えてしまいます。
また日本では珍しいからか、海外で大きなデモをやっていると「ホンマか?」と思ってしまいます。それだけの人数が集まるならば、なぜ選挙で国民の思い通りに行かないのか疑問です。
デモは国民一人一人の反対運動が大所帯になったのだと思っていたのですが、デモには援助している人がいるそうですから、デモも一種のエンタメに見えてしまいます。
政治家の問題がニュースに取り上げられると、少し経つと芸能人スキャンダルのニュースが流れます。
あれもまさに感情を利用したやり方です。
政治家よりも身近に感じる、正統派だと思っていたあの人が浮気したとなると怒り新党で、政治家の問題を忘れて芸能人スキャンダルの方に意識が入ってしまいます。
そもそも芸能人が浮気しようが不倫しようが、それは2人の問題なのですから、なぜあそこまで大々的に取り上げるのかが不思議です。
なぜそんなに怒るのかが不思議です。
ですがそれが大多数の感情というもので、政治家が問題を起こした後の芸能人スキャンダルは、まさに感情を使用した目眩しでしょう。
感情的になるのはいいことですし、それをぶつけ合って色んな感情を知っていくこともいい事です。
ですが、利用されてはいけません。
平成の時代にはめちゃくちゃエンタメで見せ方が上手な首相がいました。
当時、国民の目には良いふうに見えていた事でしょう。
反対に、エンタメが苦手でちゃんと行動はしているのに見せ方が下手くそなせいでブーイングばかり浴び続けていた首相もいました。
国民にとって良いかどうか判断するには、見せ方などのエンタメは排除して情報収集しないといけないです。
見せ方が上手いこともブーイングも、当時はメディアを通してしか判断出来ませんでした。
その傾向は今もあるようですから、テレビやメディアやSNSと政治はワンセットで考えないといけないでしょう。
このようにみていくと、大事な時に感情が利用されている気がします。
選挙の時だけではなく、身近な生活でも感情を揺さぶってくるような人がいた時は注意するようにしています。
化粧品研究者こまっきー
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