暖房がなかった時代は凍死が街中で起こっていたそうです。
寒けりゃ暖房をつければ良い今の時代には考えられないことです。
反対に暑い場合も感染症などで死者があったそうですが、熱中症は殆ど見られなかったそうです。
こういう統計学は、いつからどれくらいの範囲で調べたのかや、調べるときに使用する機械の違いで数は大きく変わってきますので、江戸時代は熱中症になる人が少なかった場合と熱中症の症状を熱中症と読んでいなかった場合があると考えるべきでしょう。
春の鼻炎を花粉症に置き換えれば、その診断が浸透すればするほど花粉症患者は増えていきます。
寒冷の時代だったと言われている江戸時代でも夏に30℃を超えるときがあったそうです。それは幕末の1858年頃であり、その頃には感染症のコレラ病が流行していました。
これは衛生上の問題ですが、エアコンがあれば人が生活しやすくなるだけではなく、保存環境も良くなりますので、エアコンがあれば随分違っていたことでしょう。
各地で残っている古い長屋のあの造りは、寒さ暑さ対策だったのかなと思います。
凍死するリスクはかなり減り、暑さで起こる病のリスクもかなり減り、僕たちは気温の変化に適応できるようになりました。
寒くても暑くても、エアコンで温度調節された部屋に逃げ込むことができるようになりました。
いざというときの逃げ場所が出来たら、安心して活発に動くようになるでしょう。
昭和の頃の深夜残業はまさにその流れが活発になった結果なのではないでしょうか。
朝から夕方までの勤務時間のはずが、仕事が終わらずそのまま会社に寝泊まりするというのは今では考えられないことです。
僕が就職活動をしていた2013年ごろでも「あの会社からは深夜に注文のFAXが入る。」と言われている会社もありましたから、本当に深夜残業が殆ど無くなったのはつい最近です。
会社の建物にセキュリティシステムが付き、社員は21時には会社を出ないといけないというようなルールが出来ました。
それでも仕事が終わっていない社員は家に持ち帰って仕事をし、それが問題になりました。
今では「何時には家に帰れるし、家に仕事持ち込まんでいいし、だいぶ環境が良くなった。」なんていう話がありますが、仕事量は減っていないのに、どうやって仕事を回しているのでしょう。
社員ひとりひとりのスキルが上がったのでしょうか。
それならいいのですが、現実は時間内に終わらないので、一部の業務を委託しているだけです。
深夜残業をしてまでやっていた仕事分を、勤務時間内で終わらない場合は委託しているなら、経費はかさみ、社員はやることが減ったのですから能力は下がったと考えられます。
社会で働く時間を指摘されるようになった頃、学校も子供の活動を指摘されるようになりました。
熱中症にならないように気をつけて活動するのではなく、熱中症になりそうな行動はしないようになりました。
1992年生まれの僕の学生時代は大学を除けば1998年から2010年で、その頃には熱中症なんて言葉は耳にすることはありませんでした。
「しんどかったら木陰で休めよ。」とかそういう感覚ベースでの対策で、後は先生がちゃんと子供の調子を見ていたように思います。
とはいえ、1つの授業は50分ですから、暑いからといって50分運動したくらいで気分が悪くなったり倒れたりするような子はいませんでした。
放課後の部活も3時間くらいやっていましたが、気分が悪くなる子はいても、部員100人の誰も倒れていませんでした。
子供が暑さで倒れることが殆どないのですから、熱中症という言葉を当時聞かなかったのも当然でしょう。
最近では小学校の夏祭りのときに、熱中症で搬送されるというニュースがありましたが、そんなこともなかったです。
僕が小学生の頃の写真には、汗だくになりながら合唱の練習をしている写真がありましたので、小学校には限られた場所しかエアコンはなかったのでしょう。
冬は前の方に石油ストーブが置いてありました。前に1台しかなかったので、それで教室が温まることはなく、あってないようなもので、先生が暖を取っているだけの1台でした。
「子供は元気やから大丈夫。」そう言われていた気がします。
今では各教室にエアコンは設置されているそうです。
シンドくなれば、すぐそこに逃げこめる涼しい場所があるのであれば、僕たちの頃よりも子供は活発に動けるのではないでしょうか。
「この思考は深夜残業と同じで、悪い結果になってしまう。」と思うなら、そこまでいかないように気をつければいいのです。
ましてや1つの授業の時間は決まっていますし、部活も何時までと決まっていますから、そもそも深夜残業のようにはならないでしょう。
道場で働く知り合いは「今の子供は僕らの頃よりも明らかに運動能力が低い。」と言います。
不思議です。
家では暑かったらエアコンを入れることが当たり前で、学校の教室や体育館にエアコンが設置されたなら、暑さで倒れるリスクは減ったはずです。
放課後遊んでいても、気分が悪くなれば自分の家か誰か友達の家に行けば、涼しい環境なはずです。
そんなこと、僕が子供の頃には考えられないことです。
家におっても暑いので、微妙にエアコンが効いている図書館に涼みに行っていたくらい、エアコンは一般的ではありませんでした。
ここまで環境が整備されているなら、安心して元気に動き回れるはずです。
なのになぜ、運動能力が落ちているのでしょうか。
いくらデジタルが進んでも、スマホ1つで色んなことができるようになっても、僕たちは身体が動かないとなにも出来ません。
暑い夏の日に動ける身体で無ければ、気持ち良くキャンプすることも、花火大会に行くことも出来ません。
キャンプをしている人の動画を観るだけになってしまいます。
家でスマホの小さい画面で花火の動画を観るだけになってしまいます。
子供の頃から暑い日に活動することを避けて育てば、大人になってできることは今の大人よりも限られるでしょう。
今の僕たちは50代のおっちゃんらよりもスマホを上手く扱う事ができますが、50代の人たちのほうが、ずっと元気と体力はあるなと思います。
自分が50歳になったときに、あそこまで活発的に動けるだろうかと考えてしまうほどおっちゃんたちは元気です。
数年前に引退されたお取引先の社長は70歳を過ぎても大阪と東京と韓国を行き来していました。そんなシンドいこと、今の自分でも無理だと思いました。
その元気は子供の頃から活発的に動いていたからこそ、今でも元気に動けるのだと思います。
そのおっちゃんたちから見れば、僕ら世代の幼少期は「部屋でゲームばっかりしてて、全然外で遊ばへん。」と思われていたでしょう。
子供が成長して大人になるたびに「僕らの頃よりも・・・」と思ってしまう限り、人は肉体的にどんどん弱くなっていくでしょう。
-化粧品研究者こまっきー
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