僕は批判に同調しないようにしています。
批判から考えられそうなことを、こういう場所で話していることはありますが、その批判に便乗しないように気をつけています。
それは、たとえ同じような意見であってもです。
たとえば自分が国のトップで何が何でも自分の政権を維持したいという考えの場合、どうするかを想像してみます。
日本と同じく定期的に選挙があって、自分がトップであることを維持し続けたい場合、その選挙に勝つ対策に世論調査をするでしょう。
自分たちが自ら行う世論調査や各メディアが行う世論調査を参考にします。
世論調査は“今の内閣を指示するか、しないか?”であったり、“どの政党を指示するか”というふうに、選択ですので、詳細は分かりません。
国民の考えの詳細を知るにはどうすればいいでしょうか。
1つは国会議員は各都道府県から選ばれた人もいますので、そういう人達が地元の声を聞きにいくことでしょう。しかしこれは、その議員に投票してくれた人に会いに行き、その人達の発言が優先されるでしょうから、地元の、というわけではないでしょう。
他にもネットでアンケートをすればポイントがもらえるというのがあります。
そのサイトで詳細が分かるようなアンケートを依頼し、情報収集するという手もあります。
ただポイントがもらえるアンケートは、ポイント欲しさにやっているだけで、適当に回答している可能性もあります。
できるだけ本音と詳細が分かる方が良いです。
だったらSNSで情報収集するというのは、かなり本音と詳細が分かるのではないかと思います。
Xではトレンドワードが定期的に更新されています。
多くの人が取り上げている話題に対して、どれくらいの人がどういうコメントをしているかを知ることが出来ます。
また、自分たちが流した情報がどれくらいの影響があるのかも知ることが出来ます。
例えば政治家の不祥事が起こるとXのトレンドにその不祥事のワードが乗ります。
その不祥事を隠すために、芸能人のスキャンダルを流して、Xのトレンドの変化を見ます。
政治家の不祥事をツイートした人は芸能人のスキャンダルも取り上げているか、もしくは政治家の不祥事は取り上げていないが芸能人のスキャンダルだけを取り上げているかなど、人の動向を知ることが出来ます。
政治家の不祥事よりも芸能人スキャンダルのほうがツイート数が多ければ、政治家の不祥事はある程度は包み隠されたと考えられるでしょう。
芸能人のスキャンダルが出て話題の矛先が変わった後に政治家の不祥事をツイートし続けても、政治家の不祥事に注目する人が減れば、SNSのアルゴリズムではトレンドから外れて目立つ投稿では無くなります。
大衆の動きを見るだけではなく、その後も政治家の不祥事をツイートし続けている人の動向も追いかけるでしょう。
追いかけていれば、他のニュースに目移りしたとき、どういうニュースに食いついたのか分かります。
追いかけていけば、小さなコミュニティが出来ていることが分かります。
目移りした情報とコミュニティが分かれば、そのコミュニティに参加して、情報をコントロールしようとするでしょう。
情報がコントロールできれば、自分の政権が危ういときの選挙で、野党第一党に票が集まらないようにすることが出来ます。
選挙は多数決ですから、1票でも多くの票を獲得すれば勝ちです。
そのためには自分の政権に多くの票が集まるような運動と、野党の票が分散するような運動の2つが必要でしょう。
昔はSNSなんて便利なものはなかったので、街頭インタビューで地道に情報収集していたのでしょう。いまはSNSで下にスクロールしていけば一気に何百人、何千人、何万人の情報を収集することが出来ます。X,Instagram、YouTube、それぞれの視聴者の反応なども確認することが出来ます。
テレビや新聞から分散されたとはいえ、今やXやInstagramやYouTubeは大きな存在です。
そこで小さなコミュニティが出来ていても、オープンな小さなコミュニティはいとも簡単に情報操作できるでしょう。
僕は自分が国のトップで何が何でも自分の政権を維持したいという考えの場合、あらゆるSNSに情報操作を働くでしょう。
そういうことに全然詳しくない僕でも思いつくわけですから、実際はもっと巧みなことを沢山やっていると考えています。
なので僕は批判の内容が納得できるものであっても、批判している人を「同志だ。」とは思わずにその後の動きを眺めています。
追いかけなくても、眺めていれば今は勝手に情報が入ってきます。
批判している人はスパイだったとか、そういう情報が入ってきます。
それでも「ああ、そうなんか。」と思うだけで、ただ眺めています。
最近は眺めていると、勝手に自滅していっている人をよく見かけます。
自滅まではいかなくても、応援する人が多くても、僕の中で「ああ、そういうことか。」と納得できるような発言がポロッと出てくるときがあります。
眺めていると、批判が裏目に出ているときもあります。
不祥事のニュースが出ていたときは「なぜ今?」と思います。
ニュースを読んでみると、長い間その不祥事をやっていたことが分かります。
それがなぜ今なのか。急に発覚したのか、ずっと知っていたけれど交換条件で黙認していたのか。
それは一般市民には分かりませんので、僕は「なぜ今なん?」と考えてしまいます。
それでも、とりあえずは眺めています。
色んな情報が入ってきます。その情報のどれかに決めつけて「そうだそうだ!」と批判的な意見をすると、全体の流れが見えなくなります。眺めていると、情報の流れとどの情報に収束するのかが分かります。収束した情報が正解とは決め付けずに、ただ1つのニュースのゴールまでの道のりを眺め続けます。
もちろんそこに自分の考えはあります。ありますが、「こうじゃないだろうか?」くらいで、眺め続けます。
僕はこの経験の積み重ねが情報判断の役に立つと考えています。
テレビや新聞では一方通行だったのが、SNSの普及で一般市民の声が見えるようになりました。政治にしろ流行にしろ、大きく社会を回す人たちにはやりやすくなったんじゃないかと思います。
ここで今、一番怖いことは、一般市民の本音が分からなくなることではないでしょうか。
SNSのアクティブユーザーは減っていない、視聴回数も減っていない、なのに意見が全く出てこない。
すると次に打つ手をどうすればいいのか分からなくなるのではないでしょうか。
とんちんかんなことを発言し始めるかもしれませんし、ここぞとばかりに悪行を促進するかもしれません。
どう進むにしても、今眺めていると、批判は利用されているとしか思えません。
批判して、一般市民に悪行を気づかせて、多くの人に「このままじゃダメだ。」と思ってもらうために発信しているはずが、いつの間にか思考をコントロールされているような気がします。
一旦、黙ってみるのはいかがでしょう。
黙って眺めてみる。
もしくは、敢えて信じてるフリをしてみてもいいでしょう。
-化粧品研究者こまっきー
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