大人になると、なぜこんなにも人は普通を求めるのか不思議に思います。
子供の頃ならなんとなく分かります。
学校に行き始めると、みんなと一緒に行動出来ることや団体行動が出来るか出来ないかは重要視されます。
僕が学生の頃にはクラスの中で一人でいると、負け組のような空気感がありました。
休み時間もお昼ご飯を食べるときも一人ということは、友達がおらず、そういう子が負け組であり、普通じゃない人であり、周りから良い目で見られていませんでしたので、「そうはならないようにしないと。」と周りの目を気にしていました。
1年に1回あるクラス替えで、昨年度の友達と離れると、新たに友達を作らないといけません。
昨年度に友達だった子と今年度も同じクラスだった子達は新しいクラスでも早速元気にはしゃぎます。
新年度のクラスはまさに明暗がある環境です。
明暗の暗い側になってしまったら、明るい方へ行くために友達作りに励みます。
中学生にもなると思春期真っ只中で、明るい方へ行くにも「今すでにあるどのグループに話しかけるか。」を考えます。中学生になるとクラス替えの明暗だけでなく、陰キャラ陽キャラという陰陽の立ち位置も生まれてきますので、陰陽を気にしないいけません。
普通に見られたいなら、陰陽の陽に所属しないといけませんでした。
特に僕の世代では、まだアニメや漫画は陰キャラの趣味でした。
陽キャラの趣味はゲームであってもウイイレなどのスポーツゲームであったり、音楽であってり、服だったりしました。
陰陽で趣味が大きく違い、陰キャラ=アニメ好きのオタクで、当時は「オタクはキモい。」と考えられていました。
実際に陰キャラに属する子達はアニメやゲームが好きでした。
今は気になる異性からスマホゲームをしているという話や、アニメを観ているという話を聞いても「コイツ、オタクか。キモっ。」とはならないでしょう。
大人になって、子供の頃を振り返るだけでも、普通な人は一人もいないことが分かります。
普通に属していた陽キャラのグループでは、大将みたいな人が一人、その周りに友達が集まって、会話は基本大将中心に回っていました。その周りにも階級があり、大将に一番近いのが数人、その数人の下に数人となっていました。
僕は中学2年生の頃、「モテたい。」という気持ちで、クラスで一番の陽キャラグループに所属しました。そのグループでユニバに行くと、次に乗るアトラクションは大将たちが決めました。「俺乗りたいやつ乗ったし、次お前何乗りたい?」とはならず、大将と大将直近の数人で乗るアトラクションを決めて、他はそれについて行くだけでした。
そして大将が「あれみんなで食べようや。」というと、みんな大将のいうアレを買わなくてはいけないような雰囲気があり、大将直近の誰かが「俺はいいや。」と言ってくれない限り、断りずらい状況でした。
中学2年生ですから、お小遣いは限られています。お小遣いも人それぞれ違っていましたから、懐事情はかなり差があったでしょう。
僕は「いくら陽キャラに所属していたらモテると言っても。こんな遊びは嫌だ。」と思いました。
普通と見られていた陽キャラのグループには、大将、大将の直近、その他、というように色んな立場の人がいました。
立場が全然違うのに、陽キャラに所属しているだけで、まとめて普通と見られていました。
大将の感覚が普通なら、大将の直近以下は普通の人ではありませんし、その他も普通の人ではないでしょう。
なのに陽キャラグループに属していれば皆普通に見えるなら、普通はただの空気です。
大将に右へ倣えしているから普通なのでしょうか。
陽キャラに属してみたときは右へ倣えで合わさなくてはいけないことが、すごく嫌でした。
自分が自分じゃないみたいでした。
自分が自分じゃなくても、大将に合わせていれば普通なのでしょうか。
こんなに嫌なことが普通なら、それはもう普通ではないでしょう。
反対に陰キャラのグループに所属していたこともあります。
アニメも漫画も詳しくない僕でしたが、「これ面白いで。」「これ見てみたら?」とその子にとっては超有名なアニメを知らなかったとしても、バカにされることなく教えてくれました。
陽キャラに所属していたときのような上下関係が全くありませんでした。
考えてみれば当然です。
まず僕たちは同い年なのですから、上下関係が生まれること自体おかしいのです。
陰キャラと陽キャラの間のようなグループに所属していたときもあります。
アニメ好きほど陰キャラではなく、陽キャラほど階級制度のないのが間のグループです。
僕の世代の陰キャラといえばインドアで運動は好きではなく、騒ぐことのない人たちでした。
間のグループは陽キャラのように騒ぎますが、上下関係がありませんでした。
陰キャラの人から見れば、アニメ好きでないことが不思議だし、教室でなんであんなに騒ぐのか訳がわからなかったでしょう。
間の人は、どっちの意見もアリという感覚だったと思います。
陽キャラの人は、階級制度こそが普通で、自分は大将の柄ではないと思えば、どれだけ大将の直近でおれるかを考えることが普通とされていたでしょう。
中学生がここまで考えていたというよりも、そういう風な思考に勝手になっていたと思います。
1クラス40人の中で大きく分けても、これだけ違う普通が存在します。
なのに何故、陽キャラの普通だけが普通とされていたのでしょうか。
社会人になり、個人個人で動くようになると、普通が存在しないことが一目瞭然となります。
見た目は一見普通と言って良いような、どこにでもいる雰囲気の人でも、ご飯にマヨネーズをかけて食べたりします。テーブルに肘をついて食べたり、くちゃくちゃしながら食べたり、やたら丁寧に食べようとしていたり、特に食事をすると同じ人は一人もいないなと思います。
味の好みもバラバラです。「この人と味の好みが共通かも!」と思っても好きな食べ物嫌いな食べ物が違い、自分の好きな食べ物が相手は嫌いだったりします。
仕事では自分が部下に仕事を頼んだら、自分なら上司の意図を汲み取ってここまでやるべきだと持っていても、上司の頼まれ事をその通りにしかやらない人もいます。
仕事の視点が違うのでしょう。
どっちが普通に入るのでしょう。
最近では退職代行を使う人が本当にいるようです。
自分で選んで入った会社を、よっぽどのブラック企業ならまだしも、そうではない会社であるにも関わらず、自分で辞めることが出来ないようです。
自分で選んだにも関わらず、自分で選んだ会社の文句を言って退職代行にお金を払って辞めていきます。
こういう人は普通に入るのでしょうか。
怒るポイントはもっと面白いです。
友達や仕事仲間のムカついた話は聞いていて面白いです。
「そこで怒るんや。」と驚きながら、「うんうん。」と同調します。
でも全然怒りのポイントが分からないときもありますし、「そっち?」と思うときもあります。
おそらく、普通の人は一人もいないです。
勝手に作られた空気的存在です。空気なら何も影響がないでしょうから、妖怪と言っても良いかもしれません。
普通の人という妖怪に取り憑かれているみたいです。
妖怪ですから、人の理解を超える異常な現象のはずなのですが、取り憑かれている人が多すぎて、普通を求めることの異常さに気付けないのでしょう。
普通の人というイメージ通りの人が日本人の殆どであるなら、人間関係でこんなにもストレスを抱えることはないでしょう。
仕事で部下に命令すれば、どの部下でも自分の思っている通りの行動をしてくれるでしょう。
食事のマナーも好き嫌いも同じです。
怒るポイントも一緒に常に「分かる分かる!」となるでしょう。
そんなこと絶対にないのですから、普通の人のイメージ像は妖怪が生み出した現象と考えるべきでしょう。
化粧品研究者こまっきー
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