化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

何が分かっていないかを知るのが大学。

僕が大学に入学して初めての講義で永田先生は僕たちに問いかけました。
「小学校、中学校、高校と進んできたけれど、大学は違う。義務教育じゃないという違いもあるけれど、他に何が違うと思う?」と。
誰も答えれず、教授は少し残念そうに答えを言いました。
「今までは“分かっていることを学ぶところ”だったが、大学は“何が分かっていないかを学ぶところ”なんだよ。」と。
そのことが未だに頭から離れずに、時々思い出します。

永田和宏教授は細胞生物学では有名な方で、大隈良典教授がオートファジーでノーベル賞を取ったときの写真に一緒に載っている方です。飲み仲間“7人の侍”の一人で、細胞生物界のトップ7の一人と言えます。
元々京都大学の教授でしたが、京都産業大学から新しい学部を設立する際に学部長として呼ばれました。その条件に永田教授の方で教授を人選したと言われています。
その学部の1期生だった僕は、誰がすごいのか分かりませんでしたが、大学を卒業して3年後に大隅教授がノーベル賞を取られ、メディアの写真を見ると飲み仲間“7人の侍”のうち3人が当時京都産業大学にいたことを知りました。

そんな僕は友達の誘いで3回生のときに永田先生のラボに入りました。
永田先生のラボは僕が所属していた時でメンバーは20人以上いましたので、永田先生から直接指導を受けるのではなく、ポスドクや博士課程の先輩達から教わりました。
永田先生とは月に1回の報告会などで話をする程度でした。
僕は学部卒で1年しか所属していなかったので、ラボのときよりも永田先生が講義で話していたことが今でも記憶に残っています。

永田先生は「大学はもはや義務教育である。休講になれば土曜に振替があり、単位重視、中身よりも形を重視する。これは一体、誰が得するんや?」と大学に大学の在り方を訴え続けているという話をされていました。

永田先生の講義以外では、分かっていることことばかりを説明し、“何が分かっていないか?”なんて話は1つもありませんでした。
一般にいうコラーゲンとはコラーゲンの集まりの繊維のことで、コラーゲンは3本のタンパク質が螺旋状にねじねじして、1つのコラーゲンができます。そのねじねじをしているのは誰かもわかっているし、ねじねじが失敗した場合の処理もだいたいわかっているのですが、深く追求していくとは分かっていない部分はまだまだあります。
ねじねじして、成功したら繊維に。失敗したら、ほどいてやり直し、それでも無理なら処分しています。
このねじねじしているのがHSP47という物質で、これを発見したのが永田先生でした。
講義では永田先生は、「ここまで分かっているけど、これがどうなっているのか今研究している。」と、分かっていない部分の話までしていました。

身体の中でコラーゲンなどが作られる時は、まるで流れ作業の工場のようです。
クエン酸回路のようにちょっと変換したら次に渡していくそれは、ネジを止めたら次の人に渡していく流れ作業の工場とそっくりです。
または会社では部署がいくつもあり、それらが連携し合っているあの感じで、現実世界は身体の中の世界が広がったもののように思えました。

生物学を勉強すると、身体の仕組みや生産工場も会社の仕組みも、基本的な部分は一緒で、身体の中を大きくしたのが工場や会社などの社会ではないかと思えてきます。
身体の仕組みのほうが細かく複雑で、わからない部分も多いですが、身体の仕組みが分かれば分かるほど、僕たちの社会に反映されていくのではないかと思います。
オートファジーは社会でいうリサイクルのことですが、オートファジーという仕組みを見つけたときにリサイクルの概念は社会にはあったのか、オートファジーという仕組みが見つかっていたからリサイクルと言う方法を誰かが思いついたのか。気になるので調べて見ようと思っています。

僕は現実の仕組みは全て身体の仕組みに置き換えることができると考えています。
身体の仕組みのわからない部分がわかれば、現実でできることも増えるのではないか、技術の発達ってそういうことではないかと考えています。

「何がわかっていないかを知るのが大学である。」
4年間で、永田先生は講義のたびにこの言葉を僕たちに伝えました。
わかっていることを教えてもらい、それを吸収するだけでなく、何がわかっていないかを知る。大学もほとんどの講義は分かっていることを教えているだけなので、知るためには考えなければいけないです。

“何が分かっていて、何が分かっていないか”
これを考えることは、社会人になっても大事なことであると感じています。
化粧品の研究をしていると、原料メーカーの営業マンが新しい原料の説明をしに来てくれます。
資料に効果がありそうなデータが載っていると、
「じゃあ、どの数値以上が効果ありなんですか?」
「この比較差は体感できるものなんですか?」
と僕は聞いてみるのですが、ちゃんと答えられる人は殆どいません。

ただ、データを出しただけ、差を出しただけで、結論のないデータが多いです。
グラフなんて、引き延ばせばいくらでも差があるように見せることができます。
どれくらいの数値が正常で、どれくらいの数値で肌に悪影響があり、それを正常に戻すというデータでないと、「この成分アリナシで30%も変わります!」では全く納得できません。
他にも体感のアンケートはいつもどの原料でも良好で全く信用出来ないです。

これは大学のときに教わった“何がわかっていないかを知ること”を意識していたことで、気づけたポイントだと思います。

なので僕はデータを信用せず、興味がある原料は実際に試して、体感を大切にしています。
化粧品はグラフで10%アップしようが、体感がなければ0%です。
もちろん、体感というのはその人の視点がベースになっているので、感じない人もいます。
肌荒れしていない時は肌を気にかけず、肌が荒れたら急に気になる人に「肌が荒れていない期間が長いかどうか。」について判断するのは難しいでしょう。
その人が見えているのは肌荒れたときに、どれだけ早く治るかということだけです。
スキンケアで肌を整える効果を感じてもらうには、肌が荒れたときではなく、肌が荒れていない期間の長さの方を意識してもらわないといけません。

この考え方は研究じゃなくても、他の仕事でも趣味でもなんでも活かせると思います。
スーパーでキャベツを買うときも、広告だけでは値段しかわからないが、実際に行くと大きさや重さが分かる。でも食べてみないと味はわからない。
すごく単純なことだがこれも一例で、人は知らず知らずにその思考をすでに持っているので、後は意識して使うだけです。
ですが、ある時は使えるのに、それ以外のときは途端に受け身になってしまいます。

“何が分かっていて、何が分かっていないか”
情報が飛び交う現在にこの思考を忘れずに情報を読み取ることが必要だと感じています。

化粧品研究者こまっきー

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