化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

一家の大黒柱から始まる勘違い。

一家の大黒柱と言えば、お母さんではなくお父さんを思い浮かべます。
子供にとって親は二人いるのに、何故お父さんが柱なのでしょうか?

生きていくために必要なことを体をベースに考えると、まずは食べることです。
ということは、ご飯を作るということです。
そして毎日汗をかいた服を洗わなければ、着る服が無くなっていきますので洗濯も必要です。
家は掃除をしないと家の中にゴミやホコリが溜まっていきますから、健康に過ごすには掃除も必要です。定期的に窓を開けて家の中と外の空気を入れ替えることも必要です。
最近ではずっと閉めっぱなしの家が多いので、電車に乗ったりすると、家の匂いが体に染み付いている人が多くなったなと感じています。家の空気を入れ替えなければ柔軟剤の匂いと体臭が合わさって匂いが強力になっている人もいます。
閉めっぱなしは体臭を強くします。

家に住んでいる大人が、子供が健康で元気に過ごすためには、衣食住は必ず必要です。
では何故、一家の大黒柱がお母さんではないのでしょうか。

「衣食住にはお金が必要だからだ。」と思うかも知れません。
そこで、どっちかが無くなった場合を考えてみましょう。
例えば衣食住の環境はボロボロだけど、お金だけある状態です。
お金はあるけど料理ができない、洗濯機の使い方が分からない、掃除も出来ない家庭を想像してみます。家政婦を雇う方法や外食、コインランドリーなどは今は置いておきましょう。
家の中でのやりくりだけを考えてみてください。
ご飯が食べれなきゃ飢え死にするし、洗濯できなければいつまでも服が臭いままです。掃除も出来なければゴミ屋敷になってしまいます。
何か災害が起こってスーパーに食料がなくなり、水道が出ずに洗濯機が使えない状態では、お金があってもどうしようもありません。そのとき必要なのは災害が起こる前に準備しておくことと、そうなったときにやりくり出来る人が必要とされるでしょう。

今度はお金はないけど、衣食住はちゃんと出来る家庭を想像してみます。
この時、お金のしがらみを取ってみると、どうなるでしょうか。
衣食住がちゃんと出来れば、健康で元気に生きていけるのではないでしょうか。

ちょっと極端かもしれませんが、生きていくことを考えると、お金よりも衣食住の方が重要です。
現在の社会では衣食住にはお金が必要なので勘違いしてしまいますが、お金は衣食住の下にあるのではなく、衣食住の上に乗っかっているだけとも考えられます。
上に乗っかっているだけなので、お金の社会が無くなればお金は必要なくなります。
お金が必要なくなっても、衣食住は必ず必要です。
ちゃんと食べなきゃ、生きていけません。
だったら、一家の大黒柱はお母さんではないでしょうか。

朝起きたらみんなのお弁当を作り、朝ご飯を準備して、掃除に洗濯、終われば広告を見てスーパーに行きます。
帰ってきたらお昼ご飯を食べて、ちょっと休憩して、洗濯物を入れてアイロンをしていると、子供が帰ってきます。
子供からお弁当を受け取り、「宿題しなさいよ。」と言って、国語の宿題の音読を聞いてサインして、誰と遊びに行くのかを聞いてまた子供を見送ります。
中学生になり部活を始めると、夕飯の支度をしている頃に帰ってきます。
運動系の部活をしていると、雨だったら部活の服は泥だらけです。
急いで泥を流して、洗濯しなくてはいけません。
晩ごはんを食べて、皿を洗う。
人数が多い家族だと洗濯は夜もしないといけません。
この間のどこかでお風呂に入り、居間に誰も居なくなった頃が一日の家事終了です。
これが日常で、それ以外に色んな事が起こります。
お金が必要ない社会になっても、これは必要です。

一家の大黒柱をお母さんではなく、お父さんにしたことで、大事なのは衣食住ではなくお金であると人々は勘違いしてしまったのではないでしょうか。
衣食住はお金の上にあると思っている人は多いと思います。
共働きが主流になってしまったのも、「お金がなきゃ何も出来ない。」とお金が優先になっているから共働きが増えたのではないかと考えています。
共働きすると、衣食住は疎かになります。家で料理をするのは疲れてシンドいし、毎日洗濯するなんて面倒くさいし、毎日掃除する時間なんてありません。
1日の殆どの時間、家に誰も居ないので家は閉めっぱなしになります。

疲れていると考えることが出来ません。
共働きは正解なのか?意外と出費がかさんでいないか?と考えるよりも、まずは頑張った自分へのご褒美をしなくてはスッキリしません。
そして一度便利なものや楽をしてしまうと、よほどのことがない限り元に戻れないものです。
共働きをやめれば必要なくなる便利への出費を計算することが出来ず、「やっぱり月にこれだけ出費がでるから、共働きせんとなー。」という思考になります。

そして知識もないのに国が推奨しているというだけで積立NISAに手を出してしまいます。
普段は政府のことなんて信用していないし、「ホンマ全然あかん。」と愚痴っているのに、何故かこういう時に飛びついてしまいます。

一家の大黒柱をお父さんと設定したあたりから、訂正し直す必要があるのではないでしょうか。
いくらお金を稼いでいても、週末は友達と遊びにも行けず仕事の接待をしていたり、疲れてバタンキューなら、いつ自分がしたことの為にお金を使うのでしょう。
この場合大抵は、自分のしたいことではなくその時の周りに影響されてお金を消費してしまいます。
このお金の消費は自分のしたいことではないので、出費分の満足感を得ることが出来ません。
忙しすぎると自分が見えなくなるので、自分のためにお金を使うことが出来なくなります。

お金が必要な社会であることは間違いないのでお金は必要ですが、あまりにも衣食住が疎かになってしまっています。

そもそも「大黒柱はどっちか?」と考えること自体が間違っているのでしょう。
お金も必要だし、衣食住も必要です。
衣食住の方が大切であるものの、お金がないと成り立たないのも事実ですので、今の社会ではお金と衣食住が対等になっていると考えられます。
では衣食住もお金と同じくらい考えないといけないのではないでしょうか。

大人二人いるのですから、一人がお金をベースに、もう一人が家事をベースに生活しないとお金と衣食住が対等になりません。
大人二人が1日の大半を仕事に費やす共働き生活は明らかに家事の時間が少ないです。

一家の大黒柱はお父さんであるとしたことで、その大黒柱が崩れると衣食住は疎かにして働き手を増やすようになりました。
まるで一家が十分にご飯が食べれなくて、若い子供が働き手となっていた時代に遡ったみたいです。

政府が積立NISAを推奨しているように、成人を18歳にし定年退職の年齢を引き上げたように、彼らには衣食住のことは見えていないのでしょう。
だったら自分たち一人一人が自分の衣食住について考えなくてはいけないと思います。

化粧品研究者こまっきー

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