化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

“お兄ちゃん”と呼ばれなくて良かった。

僕には妹がいるのですが、“お兄ちゃん”ではなく、名前+ちゃん付けで呼ばれています。
“お兄ちゃん”と呼ばれなくて本当に良かったと思っています。
僕は自分の名前ではなく、相手の名前でもなく、役職や称号で呼ぶのがあまり好きではありません。

小学生の頃は一個上でも一個下でも同級生と同じようにタメ口で話していました。
いくつ上であるかとか、そういう年齢差の問題でもなく、そもそも年齢が上とか下とか関係なかったです。
2個下のいとことも、いとこのお父さんともタメ口で話していましたし、今でもそうです。
小学校で学年別交流会というのがあって、1年生と6年生、2年生と5年生、3年生と4年生という組み合わせでLHRをしたことがありますが、タメ口でした。
僕が小学生の頃はまだヤンキーがいる時代で、授業中に廊下から怒鳴り声が聞こえてきて、窓ガラスが割れるなんていうことがありました。
窓ガラスを割っているのは同級生のお兄ちゃんで、その子の家に遊びに行くとお兄ちゃんがいます。一緒にゲームをしたりしていましたが、そんな怖いお兄ちゃんに対しても、やっぱりタメ口です。

それが、中学生になると急に変化しました。
中学生になると、先輩後輩という言葉が出てきました。
一個上の先輩には敬語を使わなくてはいけなくなり、一個下の後輩からは敬語をつかわれるようになりました。
子供はその場の雰囲気に敏感なのか、「なんで?」と思っていてもタメ口が使えない状況を感じ取って皆で敬語を使っていきました。
たまに敬語を使うことに慣れず、ポロッと先輩にタメ口で話しちゃう子もいました。
ポロッと出ちゃう時は分かりますから、最初は笑いで済みますが、何回もポロッとしちゃうと怒られていました。

部活では後輩からタメ口で話されることはナメられていることになりました。
ある同級生が後輩を呼んで、僕に対して「タメ口を使え。」と命令します。
後輩は悩みます。先輩の命令を聞かないか、先輩に対してタメ口を使うか。どっちを取っても怒られるのが想像つきます。
やらなければいけない葛藤の中、怖い方を優先します。
当然、命令する側の先輩の方が怖いですので、後輩は僕に対してタメ口を使います。
とんだ茶番です。
それでもタメ口を使われた僕は怒らないとしめしがつかないわけです。
なにもしないでいると、その同級生から「情けない。」と言われ、勝手に後輩の中では命令した先輩が上で僕が下とランキングされます。
僕も下にランキングされるのが嫌だったので、自分より下だと思う同級生に同じようなことをしていました。
とんだ茶番だとわかっていても、やらないと何かが保てない気がしていました。
後輩が僕にタメ口を使うように命令した同級生もそんな感覚だったのでしょうか。
先輩の命令の元、後輩が使ったタメ口を怒らないといけないというくだらなさと、「なぜタメ口ではダメなのか?」という2つの疑問がありました。
中学生になると急に年齢や同級生の間で上下関係ができ、それでこういったやり取りが生まれたのでしょう。自分は上にいるという確信を得るための行動は他にも色々ありました。

小学生の頃に敬語を使う場面といえば、あまり会わない親戚の人からの電話です。
「お母さんいる?」と聞かれて「いま、変わります。」であったり、「今は手が離せないので、母が後から掛け直すと言っています。」という時です。
母も電話が鳴って、出た時は声は高く、敬語で話しているのに、友達だと分かると一気に声のトーンを落として「ああ、吉田さんか。」と言っていましたから、小学生の頃の敬語の立ち位置は“あまり身近でない人に使う言葉使い”だと感じていたでしょう。

僕は今でも同じような疑問があるので、友達は年齢関係なく出来るだけタメ口で話します。
年上の人には自分から言えませんが、年下の場合は「もうタメ口でいこうや。」といいます。
敬語で話されると、友達なのに2人の間に上下関係があるみたいで嫌なのです。

会社の役職も好きではありません。
4月から課長になった人は、昨日までと何が違うのか?
急に新しい知識がついた、新しいことができるようになったわけでもないのに、急に偉くなります。
日本は年功序列ですから、ただ長く勤めていれば自然と役職はついてきます。
よほど上司から嫌われていなければ、よほど成績が悪くなければ、年齢に合わせた役職がつくのが日本です。だったら役職≒年齢ですから、それでなにが変わるのかと思うのですが、なぜか皆急に偉くなります。
役職がついて、立場が変わったわけでもないのに仕切ろうとする人もいました。
自分の知識が一定水準に達したとか、成績が良かったからこの役職がついたということでもないのに「なぜそんなに威張れるのか。」と疑問です。

そういう人を見ていると、役職がつくことは怖いものだと感じます。
実際に、自分は中学生の時に自分がされて嫌なことを他の同級生にも後輩にもしていましから、気をつけていないと自分も条件が揃えば威張ってしまう可能性はあります。
成績が良かったとしても威張りたくないですが、ただ年齢が来ただけでもらった役職で偉くなったと思うのは、まるで裸の王様みたいです。
社会の空気には注意しないと自分の嫌な思考に侵されてしまいます。

僕は会社を立ち上げていますが、社長と呼ばれることに注意しています。
1人でやっているので、他に誰も当てはまる人がいませんし、合同会社なので社長という役職はないのですが、仕事付き合いでは「社長」と呼ばれることがあり、その度に「社長と呼ばないで。」というのですが、向こうの立場上、そう言わないといけない人もいるのでしょう。
こういうのは回数が重なると慣れてきてしまいます。
慣れてくると、勝手に「私は偉い。」と思えてきます。
“先生”と言われ続けていると、勝手に偉く感じてくるあれと同じ感覚です。
偉いと思ってしまったら、知識の吸収よりもコネクションでなんとかしてやろうと思ってしまいそうです。
なので出来るだけ役職はつけずに“さん”で呼んでもらうようにしています。

この思考は“お兄ちゃん”と呼ばれなかったことも関係しているのではないかと思っています。
自分に妹や弟ができると、親は「あんたももう、お兄ちゃんなんやから。」と言うでしょう。
自分は自分なのに、兄弟ができると立場が変わってしまう。
不思議です。
お兄ちゃんでも妹でも、自分ができることをすればそれでいいはずなのに、“お兄ちゃん”というだけでやらないといけないことが出てくるんです。
「お兄ちゃんになったんだから。」と言われ続けていると「お兄ちゃんだから、妹が困っていたら助けないといけない。」と考えてしまいます。
それはお兄ちゃん関係なく困っていたら助けると思います。
「お兄ちゃんだから助ける。」のではなく、「自分が助けたいから助ける。」でしょう。
“お兄ちゃん”とか“先輩”とか“課長”とか“社長”や“先生”と、なにかと役職がつくと、「お兄ちゃんだから」思考になり、上下関係が生まれてしまいます。
それが好きではありません。

なので“お兄ちゃん”と呼ばれなくて良かったなと思います。
親が祖父母がたまに「お兄ちゃんなんやから。」と言っても、“お兄ちゃん”と呼ばれる回数が少なかったので、“お兄ちゃん”思考にはならなかったのでしょう。
呼ばれ方と回数で自分を見失ってしまいますので、僕が僕であり、僕として見てもらうには、これからもどう呼ばれるかは気をつけておかないといけないです。

化粧品研究者こまっきー

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