子供の頃、友達が持っているゲームを「僕も欲しい。」と親にねだったことがありますが、殆ど買ってもらえませんでした。
ゲームボーイのカセットはポケモンのグリーンと、ゼルダの伝説と、カメラ機能のついたよく分からないゲームの3つくらいしかなかったです。
小学校高学年になると、ゲームボーイアドバンスというゲーム機が出ましたので、小学校低学年の3年間で買ったゲームカセットが3つだと考えると結構少ない方ではないでしょうか。
ゲームボーイアドバンスの時のカセットはロックマンとパワプロくらいです。
ゲームボーイの時も、ゲームボーイアドバンスの時も、本体は買ってもらったりクリスマスでサンタさんからもらったりしていましたが、カセットはお年玉で買っていたと思います。
ゲームボーイのゼルダの伝説は誰もやっている子はいませんでした。
ゼルダの伝説といえば、テレビゲーム機Nintendo64の方が有名でした。
時のオカリナとか、ムジュラの仮面です。
家ではテレビゲームは片づけ含めて1日1時間と決まっていました。
テレビゲームは夜何時までと決まっていたので、水泳とサッカーの習い事をしていた僕にはテレビゲームをする時間がそもそもありませんでした。
また小学校1年生のときに買ってもらったテレビゲーム機がなぜかプレステでした。
友達の間で人気だったのはゼルダの伝説、スーパーマリオカート、スマブラ、星のカービィと全てNintendo64のゲームばかりでしたので、家でテレビゲームをしても友達と共有できませんでした。
そのプレステのゲームソフトもサッカーのゲームしかありませんでしたので、たまにサッカーゲームがやりたくて、箱からプレスレを取り出して、テレビに繋げて遊んでしました。
箱から出して、テレビに繋いで、箱にしまうまでがゲームの時間ですから、それを含めて1日1時間です。
当時は友達の間で流行っているゲームはゲーム機がないのでプレイできないし、そもそも1日1時間の縛りでテレビゲームをやっていても楽しくありません。
もうひとつ友達の間で人気だったゲームボーイなら持ち運べたので、友達の家や公園で好きなだけ遊べました。その感覚もあって、テレビゲーム機よりも携帯ゲーム機のカセットを集めていたのでしょう。
家でゲームボーイをするのは禁止されており、見つかると没収されてました。
テレビゲームならリビングでしかできませんがゲームボーイは自分の部屋でも出来ます。
親が1日1時間を図ることが出来ないので、嫌っていたのでしょう。
家で携帯ゲームはこそこそとしかできなかったからか、ゲームカセットを集めていたと言ってもゲームボーイで3つ、ゲームボーイアドバンスで2つくらいでした。
今、僕がゲームボーイで遊んでいたゼルダの伝説夢見る島を調べてみると、1993年発売ですので、僕が1歳の頃です。
思い出せば、人気のゲーム機Nintendo64を持っておらず、ゲームボーイを持っていても友達とゲームをしている時間が違いすぎてついていけず、新しいゲームカセットを買ってもらえなかったので、ゲームはみんながやっている人気のゲームを追いかけることを諦めたのでしょう。
中古ゲームばかり置いているショップに行っていたので、ゼルダの伝説は中古ゲームショップで買ったのだと思います。
こうして子供の頃のゲーム事情を振り返ってみると、ゲームを買ってもらえなかったことよりも、1日1時間の縛りと家にあったのがプレステだったことが諦めのポイントだったと思います。
家にNintendo64もプレステもある家は珍しく、兄弟がいるか親がゲーム好きでない限り、どっちかのゲーム機しか家にはなかったと思います。
仮に僕の家にNintendo64があっても、親に時間を測られながら行うゲームは楽しくなかったと思います。Nintendo64が家にあるのに楽しめないよりは、そもそもない方が諦めがついて良かったと思います。
こういう経験があるからか、僕は流行にのることよりも自分がしたいことを選ぶ傾向があります。
子供の頃の流行はかなり限定的で、ゲームボーイのポケモンも数年続いていましたので、今の流行と比べるとはるかにコストパフォーマンスがいいです。
昔はみんなと同じように流行っていることに乗っていないとついていけないという気持ちがありましたが、流行が分散されて小さくなったことで、流行を知らなくてもなにも不思議じゃない社会になりました。
僕が子供の頃でもNintendo64の人気だったゲームである、ゼルダの伝説、スーパーマリオカート、スマブラ、星のカービィを全て持っている子がいましたが、全てといっても4つ5つくらいで数年は人気のゲームでした。
流行が数年単位から1年単位、季節ごとにとサイクルが短くなり、ジャンルごとに分散されたことで、流行を追いかけていると結構お金がかかるようになりました。
SNSが発達したことで、流行を打ち出すジャンルも増えました。
流行の回転が早くなり、流行を打ち出すジャンルも増えると、流行を追いかけているとお金が足りなくなります。
流行を追いかけていたはずが、そこまで盛り上がることなく流行が終わってしまったと感じたことがあるのではないでしょうか。
昔のように、本当にみんながやっているものであれば、子供の頃の僕のように焦りがあるかもしれませんが、今は知らない流行ばかりです。
流行とは世間に広く知れ渡っているものなので、知らない流行はもはや流行と言えるのかどうかわかりませんが、その一部の人しか知らない流行が“今、これが流行っている!”と打ち出されています。
少ししかなく、数年続いていた流行が、分散してたくさん流行が生まれて、サイクルが早くなった流行を追いかけていると、お金がいくらあっても足りないでしょう。
今の流行はみんなが知っている流行ではないのですから、知らなくても、やっていなくても昔のように焦ることはないはずです。
流行を追いかける文化とビジネスはまだ残っています。
むしろ昔以上に数が増えたあたりは活発になっていると思います。
でも知らなくてもいいのですから、焦ることもないのですから、流行を見なくても良い社会になりました。
流行を追いかけなくてもいい社会になっていることを、どれくらいの人が気づいているでしょうか。
化粧品研究者こまっきー
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