いつからでしょうか。
日本に批判癖が染み付き出したのは。
平成4年生まれの僕の記憶では、小泉政権のときはこんなにも批判的ではなかったです。
それが結果的に良かったかかどうかは別として、マスメディアは小泉さんが話す内容を批判的に見えるように報道するのではなく、頑張っている人と見えるように報道していました。
その頃の他のニュースといえば、多摩川のタマちゃんです。
毎日のように“今日のタマちゃんの様子”を報道していたと思います。
母は「なんで東京の地元のニュースを関西で毎日報道してるねん。ちゃんとしたニュースを流さんかい。」と怒っていました。
関西のテレビ局も多摩川のタマちゃんを報道していたのでしょうか。
タマちゃんの報道が、今でいう重大なニュースを芸能人のスキャンダルで包み隠す方法と同じだったかどうかはわかりませんが、仮に同じでも、タマちゃんとスキャンダルでは話題の明るさが違います。
社会の雰囲気は社会人になって働いてみないと分からないですが、ニュースひとつ見ても批判癖はなく、明るい話題があったと思います。
批判癖がついたのは民主党政権が誕生してからでしょうか。
当時は毎日のように民主党政権の動きを悪く印象付けるように報道していたように思います。
今でもYouTubeにアップされている当時のニュースを見てみると、鳩山さんの動きが遅いとか、記者の質問も観ている側の民主党政権の印象を悪くするような質問だなと感じます。
3年間に及ぶ批判癖から、再び自民党政権に変わった後、批判癖を辞めてアベノミクスを明るい話題として報道し始めましたが、長くは続きませんでした。
数年経てば、民主党政権時代の批判癖が再び復活し、お昼のテレビ番組では「アベノミクスはこれで良かったのか。」という討論が行われるようになりました。
森友学園問題など、安倍さんに関する様々な悪いニュースが取り上げられるようになりました。
明るいニュースよりも批判的なニュースの方が、番組を作りやすいのでしょうか。
批判的なニュースの方が視聴率が上がるのでしょうか。
確かに、個人でも面白い話をするよりも、愚痴の方が話せます。
愚痴ならなんぼでも出てくるでしょう。
民主党政権時代に経験した批判的に報道することが忘れられず、再び批判的なニュースが報道されるようになりました。
最初は明るいニュースと批判的なニュースが混ざっていましたが、平成末期はもう暗く批判的なニュース一色だったなと感じています。
人の良い部分を見つけるのは難しいですが、悪い部分ならすぐ見つけられます。
身長が小さいとか、顔が不細工という外見でも見つけられますし、話していて反応が悪いとか、ここが気になるとか小さなことでも、悪く見ようと思えばいくらでも悪い部分は見つかります。
おそらく見つけようとしなくても、悪い部分は目につくでしょう。
特に関係が長く続けば続くほど、悪い部分が目につきます。
良い部分も同じように見つかっているはずなんですが、悪い部分が1つ2つ見つかれば、悪い部分探しが癖になってしまいます。
それと同じように、批判的なニュースばかり見ていると、批判的にみる癖が出来てしまいます。僕はつい最近まで、世間のニュースは人から教えてもらえば良いと思っていました。
会社に行けば、上司が世間のニュースを話してくるからです。
その時、知っている内容よりも知らない内容の方が楽しく聞けます。上司の反応を見ても、知らない時の方が「なんだそんあことも知らないのか。」と嬉しそうに話します。
知らないふりをするよりは、知らない方がこちらもストレスがかかりません。
すると結構、上司との世間話は苦痛ではなくなりますし、色んなニュースを知ることができます。そしてなにより仕事中にニュースを知れるのですから、上司とのコミュニケーションとニュースと仕事中の一石三鳥だと思っていました。
上司から世間のニュースを聞いていると、僕はニュースの批判癖の影響を受けていないので、「それはそこまで怒ることなんか?」と思うようなことでも、上司がカンカンに怒っていることが多々ありました。
「なんでそんなに怒ってるんやろう。」と上司に質問をして情報を深堀してみても、やっぱりよく分かりません。深く聞けば聞くほど、上司の怒りはヒートアップするので、途中で火消し役にならなければいけない時もありました。
それくらい、物事を批判的に悪い方へ考えるのは癖になりやすいです。
自然と気づけば、批判的に考えるようになっています。
人から世間のニュースを聞いていると、「メディアが怒っているから怒っているだけなんじゃないか?」と感じることもあります。それくらい、批判癖は見ているだけでも影響されるようです。
今あの頃を振り返れば、ニュースを見ていないくて良かったと思います。
もしニュースを見ていたら、僕も同じように批判癖が身についていたかもしれません。
民主党政権時代に与党だった人は、今までとまるで違う批判の嵐にあった経験があるはずです。
その経験があれば、批判がどれだけ人を悪い方向へ惹きつけるのか分かっているはずです。
明るい社会にするには、まずは批判癖をとらないといけません。
批判癖を取るには、多摩川のタマちゃんのように明るい話題を発信しなければいけないでしょう。
同じような話題でも、海に行く人が減っていることを話題にしながらビーチを写すのと、人が減っていることには触れずに海で楽しんでいる人たちを映すのとでは観ている側の印象は異なります。後者の楽しんでいる様子を映せば、海に行く人も増えるでしょう。
今の批判癖はメディア側から発信される内容が暗く批判的な話題ばかりが何年も続いていることが大きな原因だと思います。
まずは、同じ話でも明るく出来るなら明るい話題へ変えていかないと、批判癖は取れないでしょう。
かといって、小泉政権の時のように、明るい話題ばかりでは怪し過ぎます。
SNSでお得な情報ばかり発信しているアカウントや、明るい話題ばかり発信しているアカウントを怪しいと思うように、明るい話題ばかりでもいけないです。
どっちかに偏るのではなく、バランスを取れればいいのですが、それが一番難しいです。
特に今、将来を考えた時に、経済が悪くなる可能性は考えられても、良くなる可能性はほとんどの人が考えられないでしょう。
そこを無理に明るくするとかえって悪影響になりかねません。
無理する必要はありませんが、何でもかんでも批判的に考えてしまう今は、ちょっとは無理して明るいことを考えないといけないのかもしれません。
SNSは同じような発信をしていた方が注目を浴びやすいので、偏った意見ばかりを発信するアカウントが多いです。
特に批判的な投稿をするアカウントが多く、それはテレビの時と同様に癖になるので、出来るだけ見ないようにしています。
真反対に明るい、お得な情報も見ないようにしています。
両方の情報が合わさった発信をしているアカウントを見ています。
良い悪いの判断はせずに、こういうニュースがあると発信しているアカウントを見て、良し悪しは自分で判断するようにしています。
かといって、最近よくある「こういうのもアリだよね。」という発信は発信者に軸がないので見ていません。発信しているのは人ですから、その人の思考が投稿内容に反映されるのは当たり前です。自分の好みを反映せずに発信しているなら、それは企業案件です。
自分の軸を持ちながら批判的にならず、明るい発信ばかりでないアカウントをみるようにしています。
しかし研究者の職業病なのか、偏った発信をしている人が今後どのような発信に変わっていくのかは気になるので、時々見ています。
民主党政権崩壊以降、野党は与党の批判癖が身に染み付いているように思います。
なんだかんだで与党に賛成している時もあるのですから、良いと思った時はそう発信すれば良いのですが、発信することはいつも批判ばかりです。
批判することは愚痴と同じように癖になります。
一度言い出すと、相手の悪いところしか見えてこなくなります。
そして、それを発信していなくとも、見たり聞いたりしていると、自分の思考にも影響してきます。
なので「愚痴ばかりこぼす人には近づくな。」と言われているように、SNSでも愚痴ばかり発信している人には近づかずに、批判癖が自分に染みつかないように注意して、スマホを触らないといけないと思います。
化粧品研究者こまっきー
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