化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

見た目だけがキレイになった世界。

小学生の頃、1つ上の学年までは学校は結構荒れていました。
小学4年生の頃、急に窓ガラスが割れることがありました。
6年生の誰かが金属バットで窓ガラスを割ったみたいでした。
5年生の頃も窓ガラスが割れることがありました。
遊び心で割ったというよりは、抑えきれない感情を金属バットに乗せているようでした。
5年生の頃、廊下で6年生の叫び声と先生の声が聞こえることがありました。
美術の授業で、絵が書き終わって廊下にある水道で絵の具入れなどを洗っていたら、目の前で6年生が暴れていることもありました。
いわゆるヤンキーというのが、僕の1つ上にはいました。

僕の学年は1つか2つ上に兄弟がいることが多く、暴れている子は同級生のお兄ちゃんであることや、そのお兄ちゃんのグループの一人であることが多かったです。
となれば、同級生の子も同じように暴れそうなものですが、僕の学年からは急に大人しくなりました。
窓ガラスが割れると学校負担だったのが、割った子の負担になるようになったことで窓ガラスが割れなくなったのかもしれません。
授業中に廊下で暴れる子もいなくなりました。
一人くらいはいたかもしれませんが、お兄ちゃんがヤンキーで中学校でも暴れていると噂のある同級生の子が暴れている記憶がないので、暴力的なトラブルはほとんど無かったと思います。

僕はというと、毎年変わるクラスのメンバーで仲良くする子が変わっていました。
わりと大人しい子と仲良くする年もあれば、お兄ちゃんがヤンキーの同級生と仲良くするときもありました。
お兄ちゃんがいて、そのお兄ちゃんがヤンキーだと小学生ではやらないことをしようとするので、面白かったです。
大人しい子達との遊びは家の中でゲームをするか漫画を読むか、公園で遊ぶか、当時流行っていたベイブレードというおもちゃで遊ぶかでした。

お兄ちゃんがヤンキーの同級生は、お兄ちゃんから聞いたことをやろうとします。
急に自転車で30分かかる、校区外のアウトレットに行こうと言い出して、隣町にあるアウトレットに行ったことがあります。
お小遣いがある子とない子がいましたので、ただ行くだけでしたが、ダメだと言われているところへは行くというだけでワクワクします。
「小学生だけど、ここまで来てやったぜ。」みたいな感覚で、ダメだと言われていることをやる楽しさにはワクワクにドキドキが加わります。
「なんだ。そんなことか。」と思うかもしれませんが、小学生で知らない場所に行くというのは結構ドキドキするものです。
その場所はお兄ちゃんがヤンキーの同級生しか知らない場所でしたので、どこにあってどれくらい時間がかかるのか分からなかったのです。

僕の街では夕方6時の5分前になると、市役所からスピーカーで街中に響くように「もうすぐ6時です。子供達はおうちに帰りましょう。」と放送が流れていました。
冬の期間は暗くなるのが早いので、5時に放送されていました。
なので僕の家では「遊びに行っても夕方の6時(5時)までには帰ってこい。」と言われていました。
数分でも遅くなると、めちゃくちゃ怒られていたので、「そんなどこか分からへんところに行って、5時までに帰って来れるのか?」と思うわけです。
やんちゃなグループで門限があるのは僕だけで、こんな時に「僕は辞めとくわ。」なんて言えるはずもなく、そういったドキドキも加わっていたからこそ、冒険をしているようでした。
もちろん、ここでは書けないような悪いこともいっぱいしていました。

昔は近所付き合いがありましたので、小学生の子供を持つ親でも中学校のことが自然と入ってきます。近所の子が中学生になると、その親から中学校の状況を耳にするわけです。
僕の小学校は卒業すると、小学校と中学校では校区が変わり、北と南に2分割されます。
毎年、僕の小学校で暴れていた子が行った方の中学校の方がその学年が荒れると言われていました。
僕が仲良くしている同級生のお兄ちゃんが、僕が行く中学校でも暴れているという話を聞くと「地元の中学校は危ない。」と中学受験するために5年生から塾に通うようになりました。

中学は私立に行くことになりましたが、ここでもやっぱり先輩たちはちょっと荒れていました。
暴れたりすることはありませんでしたが、中学1年生の時の3年生には男子でもストレートパーマを当てていたり、ギャルみたいな先輩もいました。校則では髪の毛を染めることもメイクをして通学することも禁止だったはずですが、ギャルだと思ったわけですから、あの先輩は髪の毛を染めてメイクをしていたのでしょう。
中学2年生の時、1つ上の3年生は文化祭の時にカラーワックスで髪の毛を染めていました。
文化祭の出し物のダンスの衣装の1つで、前髪の一部だけでしたが、中には明らかに髪の毛全体が茶色に染まっている先輩もいました。
1つ上の先輩が北海道研修でファームステイをしたとき、あまりにも態度が悪かったので、僕のときには殆どの農家が受け入れを断り、ファームステイが日帰りの農業体験になりました。
僕の先輩たちがそういう状況だったこともあって、僕の学年に対して担任は厳しく厳しく指導していました。

腰でズボンを履く“腰パン”が流行った時は、みんなで制服でも“腰パン”をしていましたが、廊下を歩いていると担任の先生に後ろからスボンをずり下ろされたり、反対に無理やりあげられたりして注意されていました。
中学生になると、ダメだと言われていることをしてみたい好奇心と、廊下で先生に注意される恥ずかしさが合わさって、注意されないぎりぎりのラインの“腰パン”具合を探していました。
ですが、ギャルメイクをしたり文化祭で髪の毛を染めたりしていた先輩たちと比べれば、可愛いものだと思います。
僕らの年には日帰りだった北海道研修のファームステイも「今年の生徒は良かった。」と翌年からは受け入れる農家が増えて、再びファームステイに戻りました。

GTOやごくせんが放送されていた時で、そこまでではなくとも、小学校と中学校はそれと近い状態にありました。
高校もそのまま中学と同じ学校に通いましたが、高校ではさすがにドラマのようではなくなりました。
ですが地元のとある高校では、校門前で生徒がタバコを吸っていたりと、ドラマさながらの状態であると言われていました。

小学校と中学校の時を振り返ると、僕たちは子供の変化の狭間にいたように思います。
僕らの頃でも先輩たちに比べれば落ち着いていましたが、1個下や2個下には暴れるような子は一人もいませんでした。“腰パン”をするような子もおらず、どちらかと言うと“したたか”になりました。
先生の前では暴れず逆らわず、いい子ちゃんのフリをして、先生が見ていないところで悪いことをしている感じです。
子供はヤンキーのときの大人の前でも悪いことをする時代から、大人にバレないように悪いことをする時代に変わりました。
イジメも分かりやすくやるのではなく、影で行われるようになりました。
その流れが、ラインのイジメです。
友達5人グループでラインを作り、1人を除いた4人で違うグループラインを作り、4人のグループラインで打ち合わせをして、1人を無視したりするイジメは僕らの時代以降の子供の動向です。
目の前で喧嘩しているのと違い、ただ返事を返さないだけというのは、イジメかどうか分かりにくいです。
子供のイジメが陰湿に変わり始めたのはまさに僕の世代以降だと考えています。

子供の変化の狭間にいた僕は、時々この変化について考えます。
地元の校門前で生徒がタバコを吸っていると言われていた高校も、今やヤンキーは一人もおらず、平和な高校だそうです。
イジメが暴力などの行動的なイジメから、ラインによるイジメという思考的なイジメに変わりましたので、ヤンキーがいなくなり平和に見えていても、イジメは無くなっていないようですから平和だと感じるのは見た目だけかもしれません。

子供の動向が暴力などの眼に見えるような行動から、心理戦に変わって良かったのでしょうか。
自分が子供の頃を思い出すと、言葉でうまく説明できない事や感情は行動で示すしか無かったと思います。カッとなって喧嘩することもありました。
小学生の頃は特に感情を抑えることは難しかったように思います。
別にヤンキーが良かったとは思いません。怖かったですし、誰だって平和な方がいいです。
しかし感情というのはいくら時代が変わっても変化するものではないはずなのに、カッとなって取っ組み合いの喧嘩が始まらないというのは、良いことなのでしょうか。
仲良い友達でも、時には取っ組み合いの喧嘩はありましたが、そうなるほどに湧き上がる感情は無くて良いのでしょうか。
小学生の頃に上級生たちが暴れて窓ガラスを割っていたのは、感情表現ができずに行動に移された結果だったのではないかと思います。
僕も窓ガラスを割るほどでは無くとも、抑えきれない感情と葛藤したことは何回もあります。
それくらいの感情が今の子供にはそこまでないのではないしょうか。
感情の昂りはない方がいいのでしょうか。
そのことと、不登校や大人になってからの精神疾患が増えている事とは関係しないのでしょうか。

なんだか僕には、見た目だけがキレイになって、肝心なものが抜けてしまっているように思えてならないのです。

化粧品研究者こまっきー

↓こちらへどうぞ↓

www.komacky.com