子供の頃は相手の気持ちが分からなかったので、自分の気持ちばかり考えていたと思います。
先生にぐちぐち言われて、「あの先生はいつもうるさい。」とか「俺だけに厳しい。」なんて感じたことがあると思います。
そんなとき、たまに他の仲の良い先生にその話をしてみると、先生は自分のことも、ぐちぐち言う先生のことも理解している風でした。
大人になっても、相手の気持ちがわかるようになるわけではありませんが、色んな見方があり、色んな気持ちがあることは分かるようになりました。
芸能関係に疎い僕には、俳優が不倫していたことがバレると、その俳優が干されてしまうことは違うんじゃないかと思っています。不倫はプライベートな話で、奥さんがどうするかだと思うのです。イメージ云々はあるかもしれませんが、本来は仕事とは関係ないはずです。そして俳優という職業上、色々経験していた方が演技に活かされるのではないかと思うと、スキャンダルにならないように気を配りながら生活をすることは演技に支障が出ないのか、俳優の質が下がらないのかなと思います。
一方で「不倫する男なんてサイテーや!」と怒る人もいます。対して興味がない俳優であればあるほど、怒る傾向があります。普段SNSで投稿をしない人でも、こう言う時には激しい口調で呟く人もいるので、不倫という部分に敏感な人もいるのでしょう。
他にも「あの俳優はハメられた。」と考える人もいます。
不倫なんて、バレないように注意しているもので、ましてや有名人なら尚更であると。「それなのにバレてしまうのは、その俳優の近くにいる人がバラしたに違いない。」と不倫そのものよりも、バレた背景に目が行く人もいます。
同じ不倫のスキャンダルでも考え方や気持ちは全然違います。
大人になると、色んな考えや気持ちを目にする機会があり、「みんな結構考え方が違うんやな。」と気づきます。
僕が子供の頃は違いました。
子供の頃は、ガキ大将がいれば、クラスの殆どがガキ大将に右へ倣えでしたので、何かあるとガキ大将の考え一本だったように思います。
そこに対して不満があっても、不満を言って被害を被るのは嫌なので、ガキ大将の考えと違う考えだったとしても、発言していませんでした。
陰で愚痴を言うこともありましたが、それもその場では陰が主流になっていたので愚痴を言えただけで、おそらくそこまで考えていなくてもその場に合わせていた子も多かったでしょう。
先生は子供の気持ちを理解するというよりも「こういう時はこう考えるものだ。」と押し付けてくるスタイルが多かったです。小説やドラマではぐちぐち言う先生から言われたことを、他の先生に愚痴って気持ちを発散させるシーンがありますが、まあ先生の愚痴を他の先生に話せることは稀でした。
僕の高校には1人だけいました。
その先生は数学の先生でしたが、数学先生グループからは仲間外れにされていました。
それは生徒からもわかるくらいに仲間はずれになっていました。
ある時の試験が終わり答案が返却された後、僕と友達は職員室に行って、仲間はずれにされていた先生が担当していた数学Cのテスト内容で分からなかった部分を質問しに行きました。
しかしその先生はおらず、数学Ⅲの先生がいて「おう、俺がみてやるよ。」と言ってくれたので、僕たちは数学Ⅲの先生に数学Cのテストの「ここが分からない。」と答案用紙を見せました。
すると、その先生はテストの内容が難しすぎると急に怒り出し、数学Cの先生が帰ってくると、急に仲間外れにされていた数学Cの先生に「なんて問題作ってるんじゃ!これは学校のテストやぞ!」と怒り出したのです。職員室なので、他の先生もいるわけですが、どの先生も止めに入りませんでした。
その日から少し経った放課後、教室で受験勉強をしていると仲間外れにされていた数学Cの先生が来て、数学Ⅲの先生は数学の先生グループでリーダー的存在であること、自分は非常勤講師で、その人から嫌われていることなどを話してくれました。
こんなことを生徒にいう先生もどうかと思うかもしれませんが、先生同士のいがみ合いに巻き込んでしまって申し訳ないという気持ちだったのでしょう。
「質問があれば職員室の外で声かけてきて。」と言われて、僕たちは授業の終わりや廊下で声をかけて、放課後に質問をしていました。
数学Ⅲの先生は「教える範囲は教科書通りでいい。」と言う考え方で、仲間外れにされていた数学Cの先生は「受験は答えだけを書くことが殆どだから、解く方法をいくつも知っていた方が工夫して解くことが出来るので、その方がいい。」という考え方でした。
教える方針が全く違うので嫌われていたわけですが、仲間外れにされていた先生は数学Ⅲの先生を批判するわけではなく、その先生の考え方も理解した上で「色んな教え方があっていいと思う。」と話していました。
僕はこの先生の考え方が好きで、時々教室で教えてもらったり、雑談をしていました。
他の先生に愚痴を言ったこともあると思いますが、「そんなこと言わないの。」とか「その先生にも理由があるのよ。」とかそれっぽいことを言って話を終わらせていたと思います。
家に帰っても「なんで僕の気持ちが親には分からないんだ。」と思うことは多かったです。
これは例を挙げるとキリがなく、わざわざ例を挙げなくても、皆さんにも実例が沢山あるでしょう。
子供の社会といえば家と学校と習い事です。
この3つは別の環境ですが、子供に対する大人の教育方針は似ていました。
子供同士でも同じような環境で、リーダー的存在の子は必ずいました。
なので、どこに居ても同じようなことを教わり、同じような環境で自分の立ち位置を模索しているだけでした。
僕が選んだ環境がどれも似ているものばかりだっただけなのですが、僕の子供の頃は人や場所が違うだけで、人の考えは大人も子供も同じでした。
全く違うなと思ったのは、大学生になってバイトをし始めたときです。
バイトをすると、バイト先でこんなにも考え方が違う大人がいるのかとびっくりするくらい、様々な大人がいることを知るようになります。
バイト先で1つの考え方があり、それがバイト先の空気感になっているので、時給がいくら高くてもそこで働いている大人の考え方が苦手だと長く続けることはできませんでした。
あの感覚は高校生の頃までは、あまりなかったと思います。
大学生以降、働く場所が変われば考え方が変わることとそれが職場の空気を作っていることを知りました。
職場で馬が合わない人はいるかもしれませんが、それでもその職場に自分が居てて不快ではないなら、その職場の空気と自分に共通点が多いのでしょう。
子供の頃はどこに行っても同じような空気だったのに、大学生以降は行く場所で空気が代わるというのは、面白い話です。
空気はその職場の考えであり、気持ちにも繋がってきます。色んな空気を吸って、色んな人の気持ちを知ることが出来れば、過激な発言や炎上というのは起こらないのではないかと思います。
子供の頃と違い、色んな考え方があるということを知っているのですから、1つの情報に対して自分の意見と他の人の意見も浮かび上がるはずです。
それぞれ意見はばらつくはずで、1つの思考だけが過剰になることはないはずです。
しかし実際にはそうはならず、炎上は起こり、不倫で干されます。
不倫や週刊誌のスキャンダルは昔は人気になった証であり、干されるなんてことはなかったのですが、どうも社会では1つの考え方を強行している節があります。
色んな考え方の中で1つの考えや気持ちをピックアップして、それが国民の感情であると言う風になっています。
そういう発信をするビジネスをしている人なら、その行動は分かります。
週刊誌はその類でしょうし、昔は週刊誌の記事を面白おかしく感じていたはずです。
しかし今は週刊誌の記事であろうが、なんであろうが、過剰に反応しているように感じます。
過剰に反応する人が増え、1つの思考に集約されていっている気がします。
そしてその思考は自分の思考ではなく、発信者の思考に乗っているだけなので、今日の正義が明日は悪になってもそれに気づかずに、とにかく悪に過剰に反応しています。
大人は子供よりも、色んな考えの人と触れ合っている分、色んな人の気持ちがわかるはずです。だったら、色んな情報も冷静に判断できるはずなので、二転三転しているならちょっと距離を置いてそのニュースを見てみようとするはずです。
今は子供の頃のガキ大将に引っ張られるような、親や先生がこうだと言えばそれに従うような、そんな社会になっているのではないかと感じます。
化粧品研究者こまっきー
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