化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

優しくなるには失敗を沢山経験しないといけない。

高校でラグビー部に所属していた僕には、こんな疑問がありました。
「なぜ怪我をすると、ダメになってしまうのか。」
レギュラーだった先輩が怪我をすると、そのままレギュラーに戻れなかったことがあります。
僕は「一度骨折などの怪我をしてしまうと、元に戻れなくなるのは怖いな。」と思って、ストレッチをしっかりやるようになりました。
僕が所属していたラグビー部は毎年全国大会に出場し、何回か優勝もしている強豪校で、部員は100人以上いました。
ラグビーは15人で行うスポーツです。
15人ごとにチームが編成されるので、レギュラーのAチーム、サブ候補のBチーム、以下C,D,Eチームの5チームに分かれていました。
僕は下手くそだったので、一番下のEチームでした。
僕のポジション、スクラムハーフは10人いましたので、Eチームでは4人のスクラムハーフがいて、練習や試合も4人でまわしていました。
そんな中、怪我をする先輩たちをみていて「下手くそが怪我をするのはみっともない。」と感じて、怪我だけはしないようにストレッチをしっかりやっていました。
部活をしていた時は、前後にペターっと開脚出来ていました。

高校2年生の夏休み前にラグビー部を辞めた僕ですが、部活を辞めてもクラスにはラグビー部員が何人もいましたので、同じクラスのラグビー部とは話をしていました。その中でも、あまり喋ったことがない子がいました。

僕の高校には推薦組というクラスがありました。
ラグビー部やサッカー部、野球部に柔道部などの顧問の先生が中学の試合を見に行って、学生をスカウトしており、スカウトされた子は推薦組に入ります。
しかし推薦組は1クラスしかなく、各部活でそれ以上推薦したい場合は、半推薦という形をとります。普通科だけど顧問の先生のお墨付きということで、余程のことがない限り、入学できます。
同じクラスであまり喋ったことがない子は半推薦組の1人でした。

僕が高校2年生の夏休み前に部活を辞めた後、あまり喋ったことがない子が怪我をしました。
骨折で入院をし、退院して戻ってきたとき、今までとは違う雰囲気になっていました。
なんとなく、優しく、弱くなったように感じました。

その感覚はあながち間違っていなかったようで、怪我をして以降のその子は時々イジられるようなキャラになっていました。僕は部活をしていた時以上に、仲良く話すようになりました。
この時、僕は「怪我をすると、やっぱりダメになってしまうんだ。」と感じました。
3年生になるとレギュラーになっていましたが、教室でのその子は以前とは違う雰囲気でした。

最近、高校の部活がテーマのアニメを見ているから、僕が高校生だったことを思い出すのでしょう。
いま、あの頃の感覚を思い出すと、怪我をするとダメになってしまうわけではないんじゃないかと今は思います。
当時は、優しくなってしまうことがダメになることだと考えていました。
優しくてはタックルに躊躇してしまいます。
プレーに激しさが無くなってしまいます。
だからレギュラーから外されてしまうんだと考えていました。

今思うのは、その子は怪我をして、挫折してしまう子の気持ちが分かったのではないかと思います。
怪我をするまでは2年生でもメンバー入りしていたくらい、上手でした。
体育会系あるあるかもしれませんが、怪我もなく大きな挫折もなくレギュラーだったりすると、天狗になりがちです。
その子が天狗だったとは思いませんが、天狗にならなくても、ひたすら前を向いて日々精進していれば、後ろは見えなくなります。
怪我をして挫折したことで、後ろが見えたのではないでしょうか。
そして、周りにいる人たちの気持ちに目がいくようになったのではないかと、今振り返るとそう感じます。

それは僕も同じような経験があります。
失敗や挫折をするまでは、とにかく日々精進し、ひたすら前を向いていました。
自分の体のことも疎かにしていた時期がありました。
「なぜもっとこうしないのか?」と強く思っていたり、強気な発言が多かったように思います。
それが挫折をすると、そうしない人の気持ちが少し分かるようになります。
強気に発言できなくなったりします。
それは自分が失敗をしたから躊躇しているということもありますが、強気に発言していればいいとは考えなくなったこともあると思います。強気に発言するだけが正攻法ではないと感じるようになりました。
ちょうど「日本人ははっきりモノを言わない。」と言われていたことに感化されていた頃でした。

大人になればなるほど、人と接する機会が増えるので、色んな人の気持ちが分かり優しくなっていくこともあります。
しかし人の気持ちが分かるには、失敗が必要ではないかと思います。
自分はこれが正しいと思っていて、それで成功ばかりしていては他の意見を見ようとしないでしょう。
周りの人の意見に対して「俺はこれで成功してきてるんだ!」とつっぱねるだろうなと思います。

普通なら、これはありえません。
これではアニメ出てくる、お金持ちのおぼっちゃんです。
失敗しても、親が「○○ちゃんは悪くないのよ。」と言います。
そういう風に言われて育つと、おぼっちゃんは自分が失敗したのではなく、自分以外がダメだったのだと考えます。

僕は褒めて伸ばす教育が、お金持ちのおぼっちゃん状態に片足浸かっているのではないかと思います。
親からのクレーム対応で、学校がとる行動は、子供が失敗しないように保護しているように思います。
今時の小学生は、遊ぶ時に親同士があらかじめ連絡をして、親同士で許可が出てから遊びにいくようです。
「誰々と遊びに行ってくる!」と行って遊びに行っていた頃とはかなり違います。
とにもかくも、何かトラブルに巻き込まれないように保護しているように感じます。
それは子供の為なのか、自分の保身の為なのかは分かりませんが、それでは子供はいつまでも失敗を経験せずに育っていってしまいます。
子供の頃にちょっとした失敗を経験していなかったからこそ、高校生や大学生、社会人になった時に、1回の失敗や挫折で精神的にやられてしまうのではないでしょうか。

本来はその頃までには失敗を何回も経験しているはずです。
するとちょっとずつ他の人の気持ちが分かって優しくなっていくはずが、色んな状況に対応できるようになるはずが、大人になった時に保護が外れて失敗に対応出来なくなってしまっているのではないでしょうか。
新社会人の話を毎年色々聞きますが、年々ちょっとしたことで会社を辞めていっているように思います。会社を辞める理由がどんどんちょっとした挫折になっている気がします。
「そんなことで辞める?」と思うようなことでも、その新入社員には耐えられないのでしょう。そして会社は、そういう子でも働けるような環境づくりをしようとして、他の人たちに負担がかかっています。

強い人は優しいと言います。
優しいと言うことは、自分の考え以外もあることを知っているのでしょう。
色んな考え方があることがわかるからこそ、優しくなれるのでしょう。
なので、どんな状況でも対応できる強い人に見えるのだと思います。

優しさにも限界はありますが、その限界値を広げるには、自分が失敗し、挫折を経験しないと、成功体験ばかりでは限界値は広がらないでしょう。
急に大きな失敗に対応はできませんので、転んで膝を擦りむいたり、机の角に頭をぶつけたり、そういう小さなところから自分の失敗であることを気づかせて、失敗を積み重ねていく必要があります。
今は社会全体が失敗しないようにしようとしています。
経験は増やしていますが、失敗は減らすようにしています。
必要なのは失敗しないような社会ではなく、失敗しても支えられる社会ではないでしょうか。

化粧品研究者こまっきー

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