二十歳になって選挙権を得て、選挙があるたびに自分なりに考えて投票をしてきました。
あまりにも答えが決まっているような選挙の時には「行っても仕方がない。」と思って行かなかったこともあります。
小選挙区や市長選挙でも、何十万票のうちの1票と考えると、自分の1票はあまりにも小さく見えます。
大学生の時、アルバイト先のパートの人に「選挙には行かないと決めている。」という人がいました。「その代わり、政治に関する文句を一切言わない。」と割り切っていました。
当時僕は、その割り切りは悪く無いと思いましたし、今でもそう思っています。
幻滅して投票に行かないのではなく、自分に理解出来ないことには口出しないという考え方に納得しました。
しかし自分はそう割り切ることは出来ませんでした。
やっぱり投票で選択出来るなら、選びたいと思います。
特に独立してからは、政治経済のニュースを見るようになったこともあって、その傾向は強くなりました。
まだまだわからないことばかりですが、今は政治や経済のニュースを見るときに、感情的に訴えかけてきているものには注意するようにしています。
政治や経済の情報を見ることに、感情は関係ないと思うからです。
そこに書いてあることからどう読み解くかが情報収集と分析なのに、感情を揺さぶられると、まともに情報収集も分析も出来なくなります。
ここ数年で知ったことは、自民党には派閥があるということです。
今では一応解散していますが、麻生派、二階派、菅派、安倍派などのように結構たくさんの派閥があって、その派閥ごとに考えが違うということを知りました。
つまり、自民党は党内で派閥ごとに違う意見をまとめて、国会に挑んでいると考えると、党内で一回国会のようなことをしているということになります。
一方、公明党と野党はそういう話を聞きません。立憲民主党も日本維新の会も、自民党ほどの党内派閥はないようです。
自民党に派閥がたくさんあるということを知った時に、僕は「じゃあ野党は必要なのか?」と感じました。
正直、野党の人の話を聞いていると、批判ばっかりです。
なぜこうも批判ばかりなのかと考えると、野党だから、数が少ないから、自分たちの主張が通らないので、批判するしかないのでしょう。
ですが、自民党も党全体の人数は多くても、たくさんの派閥に分かれています。
石破さんが党内野党と言われていたように、自民党内では様々な考えがあります。
だったら、みんな自民党に入っちゃえば良いんじゃないかと思います。
立憲民主も維新も国民民主もれいわも自民党内の派閥の1つになれば、実際に政権を担う側に回れるので、批判ではなく議論に変わるのではないでしょうか。
野党って必要なのでしょうか。
選挙は数で勝負します。
となれば、最初から派閥連携している自民党は圧倒的に強いです。
その自民党の派閥連携をバラバラにするためにも、みんな自民党に入ってしまえば、既存の自民党のまとまりが無くなって、各派閥ごとに選挙を戦うようになるのではないでしょうか。
今までは各派閥で折り合いをつけて、自民党で意見を一致させて発言内容を統一していたわけですから、各派閥ごとに選挙を戦うようになれば、もっと派閥の色が出ると思うのです。
各派閥ごとになれば、1つのグループの規模も小さくなるので、数で勝負という概念が大きく変わるでしょう。
数をどうにかする選挙から、派閥の色をだして国民から支持を得る選挙に変わるのでは無いかと思います。
この場合、首相は首相指名選挙で決めれば良いわけですし、全員与党ですので、国会議員の全員の中から大臣を任命できるでしょう。
細分化されすぎて、顔色を窺って任命することも減るのでは無いかと思います。
こうして細分化してくると、師弟関係が復活しそうです。
今の選挙の時の公認は、数集めを意識したものです。
その公認された人は、今の自民党のトップと会ったことがあったり、意見が一致しているのかと言えば、必ずしもそうではないでしょう。
細分化すれば、派閥ごとの色を主張した選挙になり、派閥の下っ端が何かやらかすと、派閥のトップに影響がでるようになるでしょう。
すると、トップは簡単には公認出来なくなります。
真意は分かりませんが、今の状態だと「この党に入れば選挙で勝てるかも。」と考えて、所属する党を選ぶ人はいると思います。
党もその小選挙区に立候補できる人がいなければ、その小選挙区で勝負できないので、出来るだけ公認しようとするでしょう。
今回の石破さんのように、選挙で劣勢になるのを分かっていて自ら公認を減らす人は普通いないと思います。あれには何か信念を感じるものがありました。
トップが簡単に公認出来なくなれば、公認はかなり価値があるものに変わります。公認した人の動向がトップに影響が出るようになると、一人前と判断した人にしか公認しなくなるでしょう。派閥内で公認されなかった人は見習いとなります。
すると、派閥に所属した人はトップに一人前と認めてもらうために励むようになります。
これはまるで師弟関係です。
今でも派閥は師弟関係に近いものがあると思います。
しかし、選挙が今の状態である以上、師弟関係や質よりも数が優先されてしまい、とりあえず公認しなくてはいけなくなります。
今回、与党が過半数割れをして、法案を通すにはどこかの党と駆け引きをしなくてはいけなくなりました。しかしその駆け引きは、国民のためではなく、党のためです。
そんな駆け引き、国民からすればどうでもいいです。
また、どの野党も連立して与党になろうとしなかったということは、僕には責任は取りたくないと言っているように聞こえます。
今回は自民党以外へと期待が高まり小さな政党が大きく議席を伸ばしましたが、そういう政党が自民党を批判しながら結託したり、党首のスキャンダルが流れることが繰り返されると、国民は自民党以外への信頼も無くなってしまいます。
そうなれば、政治は崩壊してしまいます。
最近はSNSの動向が選挙結果に影響するので、どれだけ注目される発信をするかというエンタメ的思考が政治に入ってきたので、批判する人に注目が集まりがちです。
今はその人たちに期待を寄せていますが、もし全然ダメだったら、ますます暗い社会になってしまいそうです。
「やっぱりアカンのか。」という気持ちは民主党政権の時以上に落胆するでしょう。
僕には、一か八かの賭けに出ているように見えます。
そうではなくて、細分化するという方法があると思います。
自民党をバラバラにするのではなく、みんなが自民党に入れば、自ずと細分化されます。
みんな与党なので、批判によって注目を浴びることはできません。
各政党ではなく、各派閥ごとになれば、数を言い訳にすることもできません。
今の野党はある意味で楽なポジションではないでしょうか。
何かを変えようとすると、法律を変えるとかそういう話になり、時間がかかります。
政権を担うのは与党ですから、意見を反映したいなら、与党になるのが一番の近道のはずです。
ここはひとつ、思い切ってみんな自民党に所属すれば、自民党批判は出来なくなり、政治家全員は責任を持たなくてはいけない状態になるのではないしょうか。
国民の不満を発言しても何も解決できない、国民に不満を募らせて不快感を煽ることばかりしている野党って必要なのでしょうか。
僕には野党の批判が、僕たちが前向きに生活することを阻害しているように思えてなりません。
化粧品研究者こまっきー
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