化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

流れをみることは大切。

僕は自分の考えなどを話す時は今考えていることのずっと前から話すことにしています。
例えば昔から服が好きで、服は百貨店に置いてあるブランドの服に憧れがありました。
ブランド志向というのは有名なブランドの服や鞄などを買うことで自分が優れていることを誇示しようとすることです。ブランド志向と言われるほど、「俺、全身サンローランなんだぜ。」と思っていたわけではありませんが、有名なブランドの服や鞄が手に入ると、誰だって自慢したくなります。
それくらいの感覚でしたが、それでも昔は有名なブランドに目が行く傾向がありました。
特に昔はネットが無かったので、百貨店に置いてある服と、イズミヤやダイエーに置いてある服では、子供でも全然違うことがわかっていました。
ネットが普及していくにしたがって、自分で検索をして、百貨店に置いていない服のブランドを探すようになりました。
ブランド志向とはいっても、とにかくブランド物が欲しいというわけではなく、欲しい服のイメージがあって、そのイメージに合う服のブランドを探していました。

今はブランド志向=ダサいなんて言われたりしています。
それはハイブランドそのものがダサいわけではなく、ブランド志向という考え方がダサいはずなんですが、有名なブランドに憧れることがダサいという考えも含まれているように思います。

そこで僕が今の自分の感覚で、「ベルギーのアントワープにある服のブランドが好きです。」とだけ言うと、“拘りのある人”であったり“流行りに流されない人”という印象を持つのでは無いかと思います。

しかし僕は昔は有名なブランドに憧れていました。財布はグッチやヴィトン、プラダにフェンディと有名なブランドの財布ばかり買っていました。グッチでロゴマークが型押しされた財布が新しく出た時は新しいそのデザインを買いました。

カバンもフェンディがモンスターのバッグを出した時は欲しいと思いました。
母は昔から「パッとみてどこのブランドかわかるのはお洒落ではない。」と言っていましたので、僕にもその感覚が染み付いていて、デカデカとロゴマークが入っている財布やバッグを買うことはありませんでしたが、有名ブランドの新商品はチェックしていました。

その流れがあっての、「ベルギーのアントワープにある服のブランドが好きです。」なのです。
決して、元から有名なブランドに興味はなく、そういうのはダサいと思っていて、ニッチな服のブランドばかり買っていたわけではありません。
ですが「ベルギーのアントワープにある服のブランドが好きです。」だけを言うと、あたかも元からそうであるかのように感じてしまいます。

僕の趣味趣向はどうでもいいのですが、僕がいつもダラダラと昔話をするのは、昔は有名ブランドが好きだったけど、なんとかかんとかがあって、今は誰も知らないベルギーの服が好きという、変化をみることが大切だと思うからです。

最近はショート動画が流行っているので、すぐに結論を知れることに慣れてしまっています。
タイパと言って、映画を早送りで観て、ざっくりストーリーを理解すればいいと思っている人もいるようです。その間のよくわからん部分は早送りで飛ばしてしまっても良いと考えているみたいです。
しかし、早送りでストーリーだけ見ていると、大抵は同じになります。
スパイアクションだと、任務があって、任務遂行して、途中でトラブルがあるけど、最後は任務遂行して映画終了が殆どでしょう。
これではただ登場人物や背景や装備品が違うだけで、同じものをみているようなものです。
なぜ007とミッションインポッシブルは違うと思うのでしょうか。
これは、早送りせずに観た人と早送りして観た人では答えは違うでしょう。

映画もドラマもアニメもそうですが、僕はざっくりのストーリーの部分よりも何でもないシーンに監督の拘りや伝えたいことが詰まっていると思っています。
小説が原作なら、小説のあの文字数を2時間の映画に短縮しないといけないわけです。まずはざっくりのストーリーを書いて、そこに監督が伝えたいことや辻褄が合うように必要なシーンが選ばれていくでしょう。
早送りでは、監督が小説の中で伝えたいシーンは見過ごしてしまうと思うのです。

これにピンとこない人は、小説と映画の違いを考えてみれば明らかだと思います。
好きな小説が映画化されて観にいくと、原作と全然違う!と怒る人が一定数います。
これは自分が小説のなかで大切だと感じている部分が映画では表現されていないからです。
小説から見れば、2時間の映画はざっくりしたストーリーになってしまうので、自分が小説を読んでいて感動した場面までの登場人物の感情の移り変わりなどは表現する時間がないので省略されてしまいます。
なので、好きな小説の映画化はイマイチだと感じるわけです。

映画の早送りはざっくりしたストーリーを更にざっくりしていますので、本当に大切な部分は見過ごしてしまいます。監督が2時間の中でも「ここだけはしっかり時間を使って表現したい。」と思うシーンの間を感じることが出来ません。

考え方というのは、結構色んなところで反映されるもので、大体共通しています。
ですので、タイパ思考になればなるほど、結論だけ分かればいいと考えます。
何か悩み事があったときも「じゃあ、どうしたらいいの?」と答えだけを探してしまいます。
悩み事のきっかけも、そうなった流れも、全部自分の過去にあるのに、答えだけをさがしていても見つかるはずがありません。

ざっくりしか見ていないので、以前は反対していた人が、賛成していても気づくことが出来ません。
以前は反対していたけれど、今は賛成の流れが来ているから賛成の波に乗っている人って結構います。
そんな波に自分も乗っていると、賛成が反対になり、反対が賛成になった頃には、混乱してわけが分からなくなります。

先月の兵庫県知事選挙がまさにそれです。SNSで斉藤さんを応援していた人の過去の投稿を見ると、斉藤さんのパワハラにかなり怒っていました。今、斉藤さんは再び悪い方で注目されていますが、今はどんな心境なのでしょうか。
「今の斉藤さんに関する報道は、誰かが斉藤さんを潰しにかかっているに違いない!」とこれ以上思考が混乱すると、訳が分からなくなるので、躍起になっているかもしれません。

本当なら、斉藤さんのパワハラ問題の後、急に斉藤さんがヒーロー扱いされたときに「あれ、なんかおかしいな。」と気づくべきです。どっちが正しいということではなく、急に180度変わるこの流れはおかしいと思うべきです。しかしそうはならないところが、タイパ思考で、結論だけを求めて、流れを見ていない人が多い証拠でしょう。

兵庫県知事選挙で成功したことで、この手法は他でも使えることが分かりました。
急に今まで良い印象だった人を、暴露と言って悪者扱いすると、今まで良い印象だった人は一晩で悪者になれます。悪者だった人はヒーローになれます。
SNSの盛り上がり加減で、どうにでも出来ます。

この流れに乗って間違った選択をしないためにも、起きている出来事をすぐに結論づけるのではなく、出来事の流れを追いかけていって、流れにおかしいと思うところがないか、見ていくことが大切だと考えています。

化粧品研究者こまっきー

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