正月の親戚の集まりで、今年小学校に上がった姪っ子の話になりました。
すると、今はあだ名は禁止で名前で呼ぶのも禁止で、苗字で呼ばないといけないらしく、苗字の後は“ちゃん”でも“くん”でもなく、“さん”で呼ばないといけないという決まりになっているそうです。
その話を聞いて、そういえば3年前からそのような話がニュースになっていたことを思い出しました。ニュースになるということは、まだ珍しい話題だということですが、3年経てば珍しいことでもなく、正月の集まりで聞くということは、かなり当たり前になっているのでしょう。
理由はイジメに繋がるからだそうです。
確かに、あだ名でからかうこともありました。
しかしあだ名で人気になることもありました。
キャッチーなあだ名とその子の雰囲気が一致していて、苗字で呼ぶよりも、あだ名やニックネームはその子の雰囲気に合っているからこそ、距離が縮まって仲良くなれることもありました。
振り返ってみれば、イジメよりも仲良くなれることの方が多かったように思います。
僕はニックネームで呼ばれることや、名前で呼ばれることはなかったのですが、ニックネームや名前で呼ばれている子を羨ましく思っていたことを思い出しました。
最近はなんでも禁止にする傾向がありますが、禁止にするときは悪い部分しか見えていないように思います。
一応プラスの面もあることはコメントしつつも、良い部分を考えていないから、禁止にできるのでしょう。
おそらく、あだ名を禁止にしてもイジメは無くならないです。
それは子供の頃あるあるだからです。
生まれたての赤ちゃんが泣くように、人は言葉よりもまず感情を覚えていきます。
一番最初に覚えるのが、泣くことです。
感情的になることが先で、言葉は後からついてきて、感情のコントロールに役立ちます。
思春期が大変なのは、泣いたり拗ねたり感情的になるのは恥ずかしい年頃なのに、代替案がなくて、今の気持ちをどう表現したら良いのか分からないからではないかと思います。
思春期以降に、自分の今の気持ちをうまく言葉に置き換えることができず、小学生の頃よりも体の大きい状態で暴れるから暴力的に見えるだけで、やっていることは小学生の頃と同じです。いつもモヤモヤしたものが頭の中にあって、暴れてはいけないと分かっていながらも、爆発してしまう。それを繰り返して、言葉で表現することを覚えていきます。
そういう意味では、暴力的な学生が減っていった背景には、教育無償化や大学進学が当たり前になったことで、勉強する子供が増えたことによる効果もあると考えています。
思春期の頃までは、感情で自分の気持ちを表現していくわけで、その時に生まれるのがイジメではないでしょうか。
僕は小学校に入った頃、身長が100cmありませんでした。
今も160cmですので、学生の頃は身長順に並べば、いつも一番前でした。
チビというのは、それだけで舐められます。
少女漫画でも身長が高い男性の方が理想的であることが描かれていますし、少年漫画でもチビは弱いです。
そういう印象もあるからか、同級生からも後輩からも舐められる傾向にありました。
色んなところで覚えたことを実践していく。
しかし、その良し悪しの判断やコントロールはできない。
そこで起こるのが、イジメではないかと思います。
ですので、僕はイジメはどう防ごうとしても、防げるものではないと思います。
実際に、イジメは鰻登りに増えています。
こういう統計は集めようとすればするほど集まるので、あまり当てにはならないかもしれませんが、2010年以降から急に増え続けています。
2010年以降に何が変わったのかといえば、学校がモンスターピアレントと闘わなくなり、体罰が禁止になって先生が自由に動けなくなったことで、先生から感情を知ることがなくなり、褒めて伸ばす教育に変わりました。
子供は学校で色んな人と触れ合う機会があって、そこで色んな人がいることを知っていきます。
あの子は怒らないのに、同じことをするとあの子はめちゃくちゃ怒るとか、「なんでだろう?」と思いながらも、色んな人がいて、たくさんの好き嫌いがあることを学んでいく場所が学校であって、学校はなにも算数や国語を学ぶだけではないはずです。
しかし2010年以降に、色んな人の感情を抑え込んで規制を強化していったことで、子供は感情を学ぶことが減ったのではないでしょうか。
学校はモンスターピアレントと闘うことを諦めて言われるがままになり、体罰禁止になって先生の感情表現が1つ失われて、褒めて伸ばす教育で先生の感情が見えない教育を受けた子供は、感情の幅が狭いのではないでしょうか。
感情が先で、言葉が後です。
覚えた感情や色んな人の感覚に対して、適切な言葉が当てはめられていくわけですので、感情の学習がなければ、いくら言葉を覚えても、使い道がわかりません。
自分の今の気持ちがわかりません。
言葉で表現することも、感情に当てはめることも出来ずにいると、一番最初に覚えた泣くことと、暴れることしかできないでしょう。
2010年以降にイジメが増えている原因は、規制強化とは考えられないでしょうか。
この先、イジメという相手にぶつけることができなくなれば、自分で勝手に暴れる子供が増えるでしょう。
あだ名は覚えた言葉と感覚が組み合わさったものであると考えると、チビでからかうよりも頭を使っています。ということはあだ名は大人になる過程で、感情的になることから言葉で表現することの狭間であり、通過点であるとも考えられます。
子供が言葉で表現しやすいのが、あだ名ではないでしょうか。
それなのに、言葉を禁止にすると、感情的である子供はいつまでも言葉で表現する第一歩を踏み出せずに、感情的で困ったら泣いたり暴れたりするのではないでしょうか。
そして、思春期になり、泣くことも暴れることも出来なくなった年頃なのに、それまでに言葉で表現することをしてこなかったので、どうしたらいいのか分からずに病んでしまう。
不登校が増える原因も、規制強化が関係しているのではないでしょうか。
こんなに規制しているのに、イジメも不登校も増えているなら、規制は強化するべきではなく、見直すべきです。
そもそも、人は体験や経験することで成長していくわけですから、必要なことは規制ではなく、色んな経験や体験をすることです。
それは何かの職業体験にいくことだけではなく、人と人とのお付き合いの部分も同じです。
むしろ、人と人とのお付き合いの方が大事です。
いくら職業体験をしても、人とうまくお付き合いが出来ないなら、その職業体験は活かせることができません。
学校というのは子供たちの社会であり、子供達だけでは歯止めが効かないので大人である先生が見守っている場所だと思っていましたが、今の状態では子供を押さえつける場所になっているようにみえます。
見守るという概念が無いので、ルールで規制するのでしょう。
どうやら最近は、感情や感覚が無下にされているようです。
思えば、2010年以降の規制は殆どが感情の規制でした。
最初は大人の感情規制から始まり、今は子供の感情規制が行われています。
褒めて伸ばす教育と決められた方が、教える側は楽かもしれません。
子供に“さん”付けで矯正した方が、いじめ対策をしている立場でいられる大人は楽かもしれません。
しかしこれで子供が成長するでしょうか。
感情の学習がなく、次の言葉の学習に進めるのでしょうか。
特に増えているのが小学校のイジメだそうです。
そう聞くと、単純にイジメが増えていると考えてしまいますが、同級生のからかいに対応できていない小学生が増えているという可能性もあります。
自分の小学生の頃を思い出してみれば、戦略的にイジメをやってやろうと思っていたわけではないはずです。ちょっとしたからかいが喧嘩になったり、イジメになったりしていたはずです。
イジメはない方がいいと、誰だってそう考えます。
しかし物事にはマイナス面があればプラスの面があり、プラスの面があれば必ずマイナス面があります。
今の教育で、子供は立派に成長していけるのでしょうか。
行動や言葉を規制すれば良いというやり方は、まるで「このときはこうしてね。」と機械にプログラミングするようなものです。
機械の行動理由は、人がスイッチを押したからとか、掃除機という機械だからとか、決まった理由かもしれませんが、人の行動は同じではありません。
感情があるので、同じように見えて、全部違います。
それなのに、言動を規制するというのは、機械のようにプログラミングすればイジメは減ると考えているのではないかと思います。
大人は子供を人として見ているのでしょうか。
最近の教育の話を聞くたびに、この時代に生まれなくて良かったと思ってしまいます。
化粧品研究者こまっきー
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