先日、行きつけの接骨院の院長と、初詣の時に出店している屋台が少なくなっていることと、値段が高くなっていて楽しめないという話をしていました。
「フランクフルトが500円やで。」と少し前までは300円だったフランクフルトが500円になり、ジャンボフランクフルトが800円になり、ベビーカステラの入り数が少なくて、1つ買って家族で食べようと袋を開けて、2回目に袋に手を入れたら「あれ、もうない?」と袋の中の状況にビックリしたなんていう話をしていました。
こういう話のオチはたいてい物価高で落ち着くことが多いのですが、僕は高いと考えて、屋台を楽しめない原因はもう一つ、行き過ぎた便利があるのではないかと思いました。
例えば、フランクフルトです。
行き過ぎた便利によって、フランクフルトが特別なものではなくなっています。
僕が小学生の頃の2000年ごろは、まだフランクフルトは祭りの時に食べる特別な存在でした。
中学生になると、コンビニが増えました。
その頃、コンビニでフランクフルトを取り扱っているところと取り扱っていないところがありました。取り扱っていても、フランクフルトはコンビニで買うものの中では高価な部類に入っていたので、フランクフルトの隣にあった、当時は100円だったアメリカンドッグを買っていました。ちょっと身近になったとはいえ、フランクフルトを買う時は奮発するときでした。
それは高校生になっても変わらず、大学生になるとコンビニに寄る習慣が無くなりましたので、その後のことはあまりわかりませんが、どんどん増えていくコンビニによってフランクフルトを目にする機会が多くなっています。
なのでフランクフルトといえば、屋台で並んでいるフランクフルトよりも、コンビニのレジ横にあるホットスナックの機械と、その中に並んでいるフランクフルトを想像する人の方が多いのかもしれません。
街を適当に歩いても、コンビニに辿り着くくらいコンビニがありますので、僕の地元の祭りでも、屋台ロードの両端にはコンビニがあります。
今ではコンビニのジャンボフランクは200円くらいで、屋台は800円ですから、1/4の値段です。
コンビニでフランクフルトを買って食べ歩きをすればお祭り気分になれると思えば、なんか違うのは分かっていながらも、コンビニで買う人が多いのではないかと思います。
そういえば、大学生の頃に友達と映画館へ行った時、友達がコンビニでポップコーンと飲み物を買っていました。「映画館のポップコーンと飲み物は高いから。」と待ち合わせ場所からまっすぐ映画館に向かわずに、コンビニに寄ってポップコーンと飲み物を買っているのをみて、「なるほど。」と思って、僕もポップコーンと飲み物を買いました。
飲み物はさておき、ポップコーンは失敗でした。
あれは温かいから美味しいのであって、工場で作られて、梱包されて、出荷されて、お店に届いて陳列されているポップコーンは、しなしなになっていて美味しくありませんでした。
僕が大学生だったのは10年以上も前ですから、まだ物価高だと言われてはいませんでした。
それでも便利なものが近くにあって、そこで特別な場所の値段よりも、うんと安い値段で売られていたら、安い方を買う習慣はありました。
さらに、今は調べれば、屋台のフランクフルト1本の原価が分かります。
屋台の原価が安いことくらい、誰でも分かっていたはずです。
特別な時期に特別なことをするので、値段はいつもより高くなることは分かっていたはずですが、調べれば、もしくは調べなくてもSNSのおすすめに屋台の原価表みたいなものが出てきます。
それを見て屋台で買うことに抵抗が生まれていることも、屋台離れが進んでいる原因の1つでしょう。
なんとなく分かっていたけれど、いざ数値化されてリアルな数字を見せられると躊躇いが生まれてしまいます。その原価表が本当に正しいのか、どこもその原価率なのかは分かりませんが、リアルな数字を見てしまうことによる屋台離れも、行き過ぎた便利の1つでしょう。
今はなにかと物価高のせいにしています。
屋台離れは、屋台の値段が上がったことが原因だと言われていますが、おそらくそれは決定打です。
便利なコンビニが自分の生活の周りにいくつもできて、いつでもフランクフルトが食べられるようになって、映画館で買うより安い値段でポップコーンが買えるようになりました。
特別な場所にしかなかった特別なものだからこそ、あの値段で皆買っていたわけで、特別で無くなれば、高いと感じます。
これは物価高とは関係ありません。
屋台の値段はいつもの値段設定よりは高いことはわかっていたけれど、お祭り気分の中で食べるフランクフルトや焼きそばは美味しいから、買いたくなる。
そう思っていても、リアルな数字を見てしまうと、なんだか今までように屋台を楽しめなくなった。
これも物価高とは関係ありません。
映画館に入る時はポップコーンとジュースを買って入るというのは、子供の頃は夢であり、映画を見にいくのと同じくらいに、映画館でポップコーンを食べるのを楽しみにしていました。大人になるとカップルで映画館に行って、ポップコーンを食べるのが憧れになっていました。二人の席の間にポップコーンを置き、二人でポップコーンをつまみながら映画を観るというのは、何の映画を観るかどうかよりも、デートで映画館を選ぶ目的の1つになっていたでしょう。
祭りの季節になれば、子供の頃は屋台でお面を買って、お面をつけながらわたがしを買ったり、フランクフルトにベビーカステラなどを買って食べ歩きをするのを楽しみにしていました。食べ終わって手が空いたら、金魚すくいかスーパーボールすくいをして、なぜか無性にやりたくなるくじ引きをして、と、そこまでは出来ていませんでしたが、いつか満足するくらいにお祭りを楽しんでみたいと思ったものです。
祭りの屋台というのは大人も、子供の頃と同じような感覚に戻れることが出来る空間です。
そういう空気感があるからこそ、何でもない焼きそばがめちゃくちゃ美味しく感じられるのです。
お祭りといえば、神社に行って、神様に感謝することが本来の目的でしたが、ほとんどの人の目的は屋台を楽しむことだったでしょう。
お祭りには地域社会の繋がりがテーマになっているので、普段は静かな神社までの道のりが賑やかになるのは、目的の1つでもありました。
こういった文化が小さくなっていったのは本当に物価高が原因でしょうか。
それ以前から小さくなっていっていたのではないでしょうか。
そして、小さくなっていった背景には、特別なものが特別では無くなったからで、それはつまり、便利になり過ぎたからではないかと思います。
近くになければその場で買うのに、知らなければ買えるのに、色々便利になったことで特別な行事が特別だと思えなくなっていき、物価高が決定打となりました。
かといって、戻ることはできませんが、これだけ便利になれば、便利を選ぶことが出来るはずです。
この便利な社会の中で改めて大切にしたいと思えるものを選んでいかないと、季節感や特別な行事のない1年になっていくでしょう。
化粧品研究者こまっきー
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