化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

難しいことを言わなきゃいけない空気感。

僕は20代前半、化粧品の研究職に就いた時、「歳を取ると、分からないと言いにくくなるなるから、今のうちに何でも聞いておこう。」と考えて、疑問に思ったことが調べても分からなかったり、会話中に出てきた疑問はその場で聞くようにしていました。

歳を取ると分からないと言いにくくなるのは、大人を見ていると分かります。
子供の頃を思い出すと、親も先生も子供の疑問に答えられる時はすぐに答えますが、分からない時は「そんなことはええから。」と言います。
「そんなことはええから、早くやりなさい。」と宿題なり、今やっていることをしろと言われていました。
しかし答えてくれる時もあったので、僕はそれは答えられる時は答えて、答えられない時は「わからない。」とは言わずに「そんなことはええから。」と言っているだろうなと思っていました。

それは子供と親、子供と先生の立場だけではなく、立場が上の人は必ずと言っていいほど「分からん。」と言って一緒に考えてくれることはありませんでした。
立場が上の人がするべき態度の先入観があったのだろうなと思います。

ですので、僕もいつかは恥ずかしいと思って質問をしにくくなるだろうと思って、何でも質問していました。
僕が働いていた化粧品の研究所は、主にメイクアップ製品の研究をしていましたので、スキンケアやヘアケアのことは研究所で研究をしていても、殆ど知識を得る機会はありませんでした。
研究職に就いて3年もすれば、個人で研究テーマを持って研究をする人もいますし、大抵はアシスタントとして社内の研究を一通りはできるようになります。
研究する時の注意点も体に染み付くようになって、注意するべきところは注意しながら、手際よく研究できるようになっています。
ですので、原料メーカーの人と商談をしていると、向こうも「これは分かっているだろう。」と、基礎の話を省略して説明するようになります。
それがメイク製品に関することだったらわかるのですが、スキンケアやヘアケアに使われている成分だと、使ったことがないので基礎が全く身についていないので、なぜそうなるのかが分からないのです。

相手が「これくらいは知っているだろう。」と考えて省略した部分を質問するのは、いささか恥ずかしいものです。
相手はそれくらいの歴なら、もう知っている当たり前の知識と考えているわけです。
メイクはスキンケアとヘアケアとは作り方が大きく違うので、メイクの研究からスキンケアとヘアケアの基礎はあまり身につかないです。
反対にスキンケアやヘアケアの研究をしている人は、メイクのことを殆ど知らないでしょう。
化粧品業界では、スキンケアやヘアケアの研究をしている人の方が圧倒的に多いので、勝手に研究歴3年の人が持っているスキンケアとヘアケアの知識はこれくらいという先入観があるように思います。
ですが、研究歴3年の人が持っているメイクの知識という先入観はないので、「これくらいは知っているだろう。」と考えて説明を省略する原料メーカーの人でも、メイクの話をするとちんぷんかんぷんになります。

メイクの研究をしていた僕には、紹介された成分と同じようなものを使ったこともないので、「知っているだろう。」と思われている知識を知るはずもないのです。
しかし「知っているだろう。」と思われていることをその場の空気に合わせて適当に相槌を打ち、知ってるフリをして質問しないでいると、いつまでも知ることができません。
20代の頃は「今のうちに。」と思いながら、「知らなくて当たり前だ。」と開き直って、相手からすれば基本中の基本だと思っていそうなことも質問していました。

日本化粧品技術者会という研究者向けの団体でも、基礎講習会というものが年に1回ありました。そこでスキンケアやヘアケアの基礎知識を学んだのは学んだのですが、やっぱり実際に手を動かしてみないと分かりません。
紙で「これはこういう成分で・・・」と説明されて、その時は「なるほど。」と思っても、全然なるほどじゃないんです。
こういうのはやって身につけていくものだと実感するくらい、実際にやってみないとわからないものです。

研究を進めていくと、気になる部分の研究を追いかけていくうちに、追いかけていない部分の基礎が抜け落ちることがあります。
それが原因で、研究がうまくいかないことがあります。
20代の頃は「いつかは基礎の話を質問しずらくなるから。」と考えていましたが、30代になった今でも、やっぱり商談の時には基礎の質問をしています。
一応、質問する中身は基礎の基礎から、実践の基礎に変わりつつありますが、まだまだ習得できていない基礎があるなと感じています。
とくに今はメイク、スキンケア、ヘアケアと、どれも研究しているので、メイクの研究所で働いていた頃よりも、習得しなければいけない基礎知識は増えています。

ですので、僕はいまだに恥ずかしげもなく、相手にとっては基礎中であろうことを質問します。
ところが、今の若者は基礎の質問をあまりしないように思います。
YouTubeのリハックというアカウントで、田原総一郎さんと養老孟司さんの対談があります。
そこで、田原総一郎さんは対談を始める前に、プロデューサーに質問をしています。
今調べてみると、そのプロデューサーは30歳なので、僕とそこまで年齢は変わらないのですが、田原総一郎さんの質問に対しての返答が、難しいことを言うなと感じました。
なんというか、自分だったらそんなニュースの記事のような、書面に書いたことを声に出したような発言にはならないなと思いました。
もっと自分の身近な話で「こういうときにこんなことがあってー」と話すなあと思って、田原総一郎さんとプロデューサーの会話を見ていると、やっぱり難しく答えすぎたからか、すぐボロが出ていました。
プロデューサーであり、田原総一郎さんと養老孟司さんの前だからかもしれませんが、そのプロデューサーの言葉は自分の意見ではなく、世論の若者の意見を言っているだけに聞こえました。

また別の機会で、20代後半の子と話をする機会があったのですが、話していると、なんだか難しい言葉を使っていて、話がよく分かりませんでした。
その言葉の意味も間違っているような気がしましたし、そもそも何が言いたいのか分からなかったので、相槌を打つことしかできませんでした。
知識に関して、分からないことがあれば質問をしますが、相手の言っていることがわからない時は、「何言ってるか分からん。」と言ってしまうと、その場の空気が悪くなります。
なんとなく話を合わせながら、言いたいことはなんだろうかと探ってみたのですが、よく分からなかったです。

確か、僕が社会人になった22歳の頃から30歳になるまでは、難しい言葉を使うのが流行っていたように思います。
“遅ればせながら”と言う言葉はいっとき、インスタに投稿するときに皆使っていました。
僕はといえば、子供の頃に「説明するときは小学1年生でもわかるように。」と言われたことがいつまでも頭に残っているので、あまり難しい言葉を使わないようにしていたからか、大人になると自分が全然言葉を知らないことに気づいて、“遅ればせながら”のブームの時でも、“遅ればせながら”を使う勇気がありませんでした。
最近は間違って使わないように、少しでも自信がない言葉の意味は調べるようにしています。
ですので、僕は難しい話とか難しい言葉を使って説明するのが苦手なのですが、たしか社会人になった頃は難しい言葉を使うブームはあったように思います。

その若者もそういう影響を受けているのでしょうか。
しかし大体、難しい言葉を使う時は、何を言っているか理解できないときや、世論のコピペであることが多いです。
難しい言葉で本音を話そうとすればよく分からず、理解できる時は世論のコピペであり、本音じゃないなと感じます。

なんでもかんでも本音で話したほうがいい訳ではなく、その場の空気に合わせて相手に合わせることも必要ですが、リハックの動画で田原総一郎さんがプロデューサーに質問をした時は、本音に近い話を聞きたかったのではないかと思いました。

この難しいことを言ってしまうのは、SNSの普及が影響しているのではないかと思います。
友達同士やリアルの環境では、そんなに難しい言葉は出てこないのですが、SNSを見ていると、リアルよりは難しい話を目にするようになります。
その話をしている人が同世代だったりすると、「自分もこういう話をしなくちゃ。」と思うようになっているのかもしれません。

また情報が多いと誰もが感じている社会では「分からない。」ということに抵抗があるのかもしれません。
みんな知らないなら気にならないのですが、調べてみると答えが出てくることから、誰かが何かしら知っています。
それがリアルで、Aさんからは日本史を知って、Bさんからは世界史を知って、Cさんからは科学を知ると、みんなそれぞれ知っていることと知らないことがあるのが分かりますが、同じSNS上だと、この感覚が麻痺してしまうのでしょうか。
なんか恥ずかしいから本音の部分は話さないというよりも、難しいことを言わないとと考えているように思います。

リハックの動画で、プロデューサーは田原総一郎さんの質問に対して「生きづらい」と話していましたが、生きづらい原因のひとつには、「分からない。」と言えない空気感、難しいことを言わなきゃいけない空気感があるのではないでしょうか。

化粧品研究者こまっきー

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