僕は子供の頃からなんでもやりたがっていたので、興味を持つことは多かったです。
「小学校に入って、プールの授業で苦労せんように。」と思った母は、幼稚園に入ったタイミングで僕を近くのスイミングスクールに入れました。
スイミングスクールはレベルに合わせてクラスがあり、選手コースの手前である、“バタフライが泳げる”クラスをクリアすれば水泳を辞めてもいいという約束でしたが、選手コースという響きに惹かれて、選手コースに入ることになりました。
別に水泳が好きだったわけではなく、ただイメージに惹かれただけだと思います。
小学1年生の時、通っていた小学校のグランドで放課後サッカーチームがサッカーをしているのを見て、サッカーを始めました。
小学5年生まで習っていましたが、中学生になってサッカー部の同級生から聞いた話によると、僕が所属していたサッカーチームは結構強豪チームだったそうです。
どうりで練習が分けわからなかったわけです。
理論的な練習は本当に訳が分からず、とりあえずやっている感じでしたが、そのときも水泳と同じように小学4年生から1つ上のクラスの練習に混ざれるというので、自分たちの練習の後に1つ上のクラスに混ざって練習をしていました。
多分、他の子達がそうしていたから、自分の同じようにしたかっただけだと思います。
小学校4年生の時に赴任してきた音楽の先生が結構有名な声楽の先生でした。
音楽の授業は今までよりも面白く、歌うことが楽しかったので、先生が作った合唱団に入りました。地域のイベントで歌ったり、NHK全国学校音楽コンクールの大阪府予選に出てみたりしましました。
小学校5年生の時に赴任してきた教頭先生が尺八が得意で、なぜか昼休みに音楽室で僕と何人かで教頭先生から尺八を教わっていました。
最初はみんな楽しんで行ってたのですが、お昼休みに外で遊ぶ子たちが羨ましくなり、途中で行かなくなりました。
小学5年生の時、ヒカルの碁というアニメが流行って、友達が近くの囲碁教室に通い始めたので、僕も囲碁教室に通い始めました。
習い事は2つまででしたので、囲碁がきっかけになってサッカーを辞めたのだと思います。
囲碁はまず定石を覚えないといけないのですが、僕が母にサッカーを辞めて囲碁教室に通う交渉をしている間に友達は先に習い始め、僕が囲碁教室に通うころにはそれなりに差がついていました。結構必死になっていた記憶があるのですが、友達が飽きてきた辺りで僕も同じように飽きて、1年で辞めました。
思えば小学生の頃は色々やっていましたが、卒業までずっと好きだったのはで声楽でした。
小学6年生の頃は思春期ということもあって、発表会でソロを歌うのはダサいと思って、先生に勧められたソロを辞退したり、学校の音楽でもあまりちゃんと歌わなくなりましたが、心の中では好きなのになぜかちゃんと歌えない複雑な感覚がありました。
歌うことが好きだった僕ですが、思春期で小学6年生の頃には真面目に歌うことはダサいと思っていて、それでも中学生になると音楽に興味があったので、吹奏楽部へ体験入部に行ったことがあります。
しかし結局、そのころ卓球にハマっていたので卓球部に入り、夏休み前に休みの多さと試合がないことにガッカリして、ラグビーを始めることにしました。
僕が通っていた中学校はバリバリの体育会系で、サッカーか野球かラグビーをしている男の子=カッコいいというイメージがありました。
順当にいけば卓球部を辞めれば吹奏楽部に行くはずなのですが、入学して半年が経つと、中学校の雰囲気に飲み込まれていました。
サッカーは小学校の頃のサッカーチームで全然ダメでしたし、野球は友達と遊ぶ時は野球が多かったですが、ボールをバットに当てるのも投げることも苦手でした。
足で細かい動作をせず、バットやグローブのようになにかアイテムを使う必要がない、体をぶつけるだけならイケるんじゃないかと思って、ラグビーをすることにしました。
ちょうど、幼稚園からの幼馴染は幼稚園からラグビーをしており、放課後相談すると「おー。やろうやろう!」といつもよりテンション高かったのがなんか嬉しくて、そのノリで友達と顧問の生成のところへ行って、その日のうちにラグビー部に入部しました。
ラグビーも水泳やサッカーと同じような始め方で、真面目にやっていましたが、真剣ではありませんでした。
中高一貫校に通っていた僕は、中学でラグビーを辞めるという選択肢があったにも関わらず、全国大会常連の強豪校というネームバリューに惹かれて、高校もラグビーを続けました。
しかし、中学3年生の頃から新たな興味が生まれていました。
小学4年生の頃から服が好きで自分で服を選んでいた僕は、中学生になると美容室へ行き、ヘアワックスに興味をもちはじめました。
そして、自分で作ってみたいと思うようになりました。
その気持ちは高校になってもありました。
真面目にやっていましたが真剣ではなかったラグビーですが、強豪校ということもあって練習時間は長く、受験勉強ができるような状態ではありませんでした。
そこで、高校2年生の夏休み前の修了式でラグビー部を辞めて、受験勉強することにしました。
僕の中学校の時の成績はクラス40人中30位、高校1年生の時はクラス40人中25位で、かなりのアホでした。
これでは大学に行けず、大学に行けないということは化粧品の研究職に就くこともできないと思った僕は、ラグビー部を辞めて受験勉強することに決めました。
このとき初めて周りに流されずに自分で自分のことを決めた時でした。
そしていま、化粧品の研究者として研究をしながら、化粧品こまっきーというブランドで商品を販売しています。
思えば、化粧品の研究がしたいと思うまで、色んなことに興味を持ってきました。
水泳、サッカー、声楽、囲碁にラグビーに、さらにゲームやおもちゃ、ちょっとした遊びも合わせたら、思い出せないほどあると思います。
そういえば、本を読むのが好きで毎晩本を読んでいます。
元々小学校の図書室に置いてあった“かいけつゾロリ”を読むのが好きでした。友達はワンピースやドラゴンボールやハンターハンターという漫画が好きでしたが、親が漫画嫌いだったのと、家に漫画はなく、図書室で借りれるものを借りて読んでいました。
なので自然と漫画よりも小説に興味を持つようになり、小学5年生の時に“ハリーポッターと賢者の石”を観に行った後、単行本を買いました。
小学5年生の頃のハリーポッターをはじめ、ダレンシャン、赤川次郎、東野圭吾、伊坂幸太郎と、色んな小説を読むようになりましたが、化粧品のように仕事にしたいとは思いませんでした。
大人になると、大人の習い事は部活動のようではないからか、“やりたいこと”というのはお金になることだというイメージがあるからか、“やりたいこと”が無いことに悩んで、その手の本を読む人がいます。
しかし、僕の子供の頃もそうですし、皆さんの子供の頃もそうだと思いますが、子供の頃の「やりたい。」という気持ちは勝手に湧き出てくるものだったのではないでしょうか。
本を読んで探してみたり、みんなが興味を持っているものに興味を持とうとしてみたりするような、自発的に動いて探すのではなく、もっと勝手に「やりたい。」と思っていたのではないかと思います。
ということは、やりたいことは勝手に見つかるものなので、わざわざ探していては、そう考えている時間分、やりたいことは見つからないのではないかと思います。
僕の「やりたい。」のほとんどは見た目から惹かれたものでした。放課後のグランドでサッカーをしている風景を見て惹かれたり、中学校のイメージに流されてラグビーに興味を持ったりと、周りからの影響ばかりでしたが、それは探して見つけたものではなく、なんかそこにあったものでした。
囲碁もわざわざ探したのではなく、ヒカルの碁が流行り、その時の友達が囲碁を習いはじめたからです。
また1日の大半を占める仕事をやりたいことにした方がいいとは思いますが、それをいえば学校は別に行きたくて行っていたわけではないのですから、やりたいことと仕事は結びつけなくていいのではないかと思います。
好きなことが仕事になったり、今の仕事が好きになったというのは、結果的に学校が好きなったのと同じことではないかと思います。
子供の頃のように自然とやりたいことが出てくるような状態にするには、まずは“やりたいこと”を探そうとしないことではないでしょうか。
化粧品研究者こまっきー
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