化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

隣の芝生の青さを強調する人に注意する。

昨日紹介した山本七平さんと加瀬英明さんの対談本“イスラムの読み方-なぜ、欧米・日本と折り合えないのか-”という本のことを書いた後、1つ読んでいて感じたことがありました。
昨日はピックアップできないと思いましたが、これくらいならできるかもしれません。
それは日本人はやっぱり変わっているんだということです。

ユダヤ教からキリスト教とイスラム教が生まれました。
キリスト教が兄でイスラム教が弟なのですが、兄弟でも性格が違うように、この二つの宗教も大きく異なります。キリスト教は時代に合わせて聖書の解釈を変えていき、イスラム教は常に原点のコーランを最重要視しているので、時代が変わってもイスラム教の考え方は変わらないそうです。
とはいえ、兄弟のようなものなので、ヨーロッパやアメリカは日本よりも中東のことを理解していると、本に書いてありました。

キリスト教でもカトリックとプロテスタントに分かれていたり、たくさんの宗派があるように、ひとくちにキリスト教と言っても、考え方は様々です。
ですので、ユダヤ教やユダヤ教から派生したイスラム教とは、中東ではいつも折り合えないまでも、なんとなく相手が大事にしている軸がわかるのかもしれません。
それゆえに、キリスト教が広まったヨーロッパやアメリカは日本よりも中東と交流できるのでしょう。

僕は昨年から、山本七平さんの“日本人とユダヤ人”、“日本人とアメリカ人”や、李御寧(イー・オリョン)さんの“「縮み」志向の日本人”などの本を読んで、日本人は変わっていることを知りました。
ヨーロッパやアメリカとの違いがあるのはなんとなく気づいていましたが、韓国人ともこんなにも違うのかと驚きました。
どうやら韓国にはお弁当の文化も、家にお風呂を作る文化もないそうです。
僕からすればあまりにも当たり前のことだったので、アメリカやヨーロッパの家にお風呂はなくても、流石に日本のすぐそこである韓国にはあるだろうと思い込んでいました。

山本七平さんと加瀬英明さんの対談本“イスラムの読み方-なぜ、欧米・日本と折り合えないのか-”ではイスラムのことが書かれており、300ページ中前半の150ページくらいは読んでいてもイスラムの感覚があまりにも僕と違いすぎて、言葉の意味はわかるけど理解できなかったです。
“日本人とユダヤ人”という本では、同じ中東でもイスラムとは全然考え方が違います。そしてもちろん日本人とも違います。イスラム同様、考え方の軸に宗教的発想が感じられます。
“日本人とアメリカ人”という本を読めば、洋画を見ていてよく分からなかったアメリカ人の感覚を理解することができます。
“「縮み」志向の日本人”という本を読めば、すぐそこの韓国から見える日本のことを知ることができます。特に韓国からの視点は面白く、アメリカやヨーロッパからみた日本らしさは日本らしさではなく、実は“縮み志向”こそが日本らしさであるということが書いてあります。

こうして他の国との文化の違いを知るようになると、安易に隣の芝生の青さを羨ましがってはいけないと気づきました。
世界幸福度ランキングで上位を占めるのは北欧です。日本は51位だそうです。
そのランキングを話題にして、「日本は幸せじゃない!」というのは文化が抜けていると思います。
そもそも、「幸せですか?」と聞かれて「幸せです。」と答えられる日本人が少ないことくらい、感覚的にわかるはずです。自分の意見をはっきり言わず周りの空気を読んで発言をしたりするように、「幸せです。」なんて言うと、どこからか反感を買いそうな気がします。
あまりそういうことを気にしない僕でも、「幸せですか?」と聞かれたら、心の中ではそう思っていても、口にするかは怪しいです。

その場の空気を読むだけじゃなく、「幸せです。」と口にすることで現状に満足してしまっているのでダメなんじゃないかとか、こういうときは謙虚な姿勢を見せないといけないとか、「幸せです。」と言っていい理由よりも、ダメな理由の方が多いです。

「儲かってまっか?」「ぼちぼちでんな。」と同じです。
外国人なら「ぼちぼちでんな。」は、ぼちぼちなんですからダメだと解釈するでしょうが、日本人はこの時のぼちぼちを結構儲かっていると解釈します。
なので僕たちは「幸せですか?」と聞かれると「ぼちぼちでんな。」と返すでしょうね。
これは日本特有の文化であり、他の国では違うようですので、「幸せです。」とはっきり答えられるまたは答えなくてはいけない文化圏であればあるほど、幸福度ランキングは上位になるでしょう。

ですので、世界幸福度ランキングが低いから日本はダメなわけではなく、「幸せです。」と答えられない文化なのでランキングが低いのです。
そういう文化を無視したランキングを気にすること自体がダメなのです。

僕は勉強になる人のSNSを定期的に見て、その人の考え方を知って勉強しています。
この間、ある人が国内の話をした後に「これは世界基準ではアウトだから、変えないといけない。」と発言していて、これは違うのではないかと思いました。
確かにその国内の問題、つまりはフジテレビ問題ですが、ダメなのはダメです。
しかしそれは日本人の感覚でもダメだからダメなのであって、世界基準でダメだからダメなわけではないです。
しかし「これは世界基準ではアウトだから、変えないといけない。」と言うと、こういうところは世界に合わせないといけないような気がしてしまいます。

しかし世界とはどこの世界でしょうか。
キリスト教の世界圏、ユダヤ教の世界圏、イスラム教の世界圏など、世界には様々な基準の世界圏があります。
今の世界はアメリカ覇権主義なので、アメリカに合わせるべきだということでしょうか。
それは、外交の場合はそうするべきだと思います。
それぞれの世界圏の文化に合わせて対応をした方が、交渉はスムーズに行くでしょうから、文化を知って、合わせられるところは合わせて行くべきだと思います。

しかしフジテレビ問題は国内の問題ですので、国内の問題に世界基準を入れてはいけないのではないかと思います。
そうして世界基準を意識しすぎて、信仰が薄れていったからヨーロッパやアメリカでは虚無状態に陥っているのではないでしょうか。
日本はユダヤ教でもその派生のキリスト教でもイスラム教でもなく、中国やインドの仏教や儒教に特化した国でもなく、独特の文化があります。
その文化を大切にしながら、世界の文化を参考にして取り入れていく。
今までそうしてきたように、それは変わらなくていいと思います。

隣の芝生は青く見えるものです。
隣の家でもトラブルはたくさんあるし、理不尽なこともたくさんあるはずですが、なぜか見えるのは青い部分です。
それはやっぱり良さそうなところに目がいってしまうからかもしれません。だからこそ芝生の青さを強調して「日本はダメだ!」という人に同調してしまうのかもしれませんが、その人は文化を無視しているので、ただその発言で注目を浴びたいだけのように感じます。
「他の国ではこんなことをしているのに、日本はダメだ!」という批判は人気を集めやすいので、よく使われています。
いろんな国の文化や感覚を知れば知るほど、隣の芝生の青さを強調する人には注意しなければと思います。

化粧品研究者こまっきー

↓こちらへどうぞ↓

www.komacky.com