化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

人手不足ではなく“役”不足。

Amazonプライムビデオで“東京サラダボウル”というドラマを観ています。
松田龍平さんが主演だったので、観始めたのですが、結構面白いです。なにも知らずに、観始めてから今年のドラマだと知ったので、まだ7話までしか配信されていませんが、最新話がアップされるのを楽しみにしています。

ドラマでは、「日本はもう、日本人だけじゃ成り立たないんです!」というシーンがあるあたりから、最近政治関係で話題になっている外国人の問題をテーマにしているのかなと思います。
外国人労働者の問題といえば、ヨーロッパは移民によって、治安が乱れていることが問題になっています。
日本も移民を増やすと同じようなことが起きかねないわけですが、ドラマであるように、外国人を受け入れないと成り立たないのも事実です。
実際に僕の知っている工場では数年前から外国人労働者を積極的に採用しています。
当時は働き手が足りないからではなく、日本人だとすぐに辞めたり急に来なくなったりするけど、外国人労働者なら決まった年数ちゃんと働いてくれるからだと工場の社長は言っていました。あれから数年、今では工場だけではなく、街中でも働いている姿を目にするようになりました。

この問題に対して、石破さんはヨーロッパは宗教の問題があるが、日本にはそれがないのでヨーロッパの移民とは違い、また日本人は日本に馴染んだ外国人に対して比較的寛容に受け入れる姿勢があるので、日本に入ってくる前に、日本の文化を知って合わせられる人を受け入れる体制が必要であると話していました。
「移民反対!」という言葉や、ヨーロッパの現状だけをみると、思わず反対運動をしてしまいそうになります。しかし実際には、ドラマでのセリフ「日本はもう、日本人だけじゃ成り立たないんです!」は現実に起こっているわけですので、単純に反対するだけではダメなことが分かり、難しいテーマだなと思います。

と、ここまで移民や外国人労働者の話をしましたが、今日話したいことは違う話です。
最近よく李御寧(イー・オリョン)さんの“「縮み」志向の日本人”の本を紹介しています。この本では、韓国人から見た日本人の特徴が書かれており、自分には当たり前だと思っていたことが、隣国の韓国人からみると変わった文化だと思われている部分があって、読んでいて面白いです。
ドラマ“東京サラダボウル”を観ていて、李御寧(イー・オリョン)さんが言う日本独特の文化を思い出しました。

それは“「縮み」志向の日本人”の4章“人と社会にあらわれた「縮み」の文化”の4節目“座の文化”にある、一億総俳優の話でした。
外国人からすれば、日本人の団結力というのは独特なんだそうです。
僕たちには団結力があるのかないのか良く分からないのですが、戦後GHQが恐れたのは日本人が再び団結することだったと言われていますので、確かに団結する傾向にあるのでしょう。

その傾向は色んな視点で語られていますが、李御寧(イー・オリョン)さんは“俳優”というところに着目しています。
団結力の例として、茶室が挙げられています。
茶室では茶を点てる人がする行動を“亭主ぶり”といい、お客さんは“客人ぶり”をする。僕はこれは作法だと思うわけですが、李御寧(イー・オリョン)さんは演技と表現されています。
それぞれが俳優になって、役を演じるからこそ成り立つのだそうです。

また、茶を点てる流れをみせるのも日本独特の文化だそうです。
確かに、海外では料理はキッチンで作られて、テーブルに運ばれてきます。
しかし日本では、まな板がお客さんの前に出てきます。
お寿司は目の前で魚を捌き、握ります。
流れを見せるという文化が残っており、“亭主ぶり”“客人ぶり”という役の文化が残っているからこそ、成り立つのだそうです。
当たり前すぎて、分かるような分からないような話ですよね。
僕がうまくまとめられていないこともあると思いますので、是非李御寧(イー・オリョン)さんの“「縮み」志向の日本人”を読んでみてください。

そしてなぜこの本の俳優の部分を思い出したのかというと、ドラマ“東京サラダボウル”では、最初、緑色の髪の毛をしたヒロインの鴻田麻里は上司たちから嫌われています。しょっちゅう個人行動をして、肝心な時にいないので、上司は「あのレタス頭、どこいったんだ!」と怒っています。しかし、係長は「まあまあ。」となだめます。それをみている同僚は鴻田麻里のことを“お荷物”だとか“上司に迷惑かけている奴”だとか思っています。
しかし、話が進んでいくと、「あのレタス頭、どこいったんだ!」と怒っていた上司が、結構鴻田麻里を応援するような動きをする時があります。
それをみて同僚が「先輩まで鴻田に甘くならないでくださいよ。」というわけです。

こういう流れは日本のドラマや映画でよくあります。
最初は嫌っていたけど・・・みたいなやつです。

あるあるの展開だなと思ったのですが、この時にあの本を思い出し、この一連の流れには、係長という立場がとるべき行動、上司が取るべき行動をとっているからこそ、グループ内が安定しているのではないかと思いました。
上司が怒る、それを係長が宥める。
それを見せるからこそ、他の人たちは鴻田への感情を爆発させずに済んでいるのではないでしょうか。
そして話が進んでいくと、みんな鴻田の働きぶりを評価するようになったので、上司も態度を変えていく。「先輩まで鴻田に甘くならないでくださいよ。」という同僚も、なんとなく上司の態度の変化を納得している。
これは係長と上司がそれぞれ自分の考えで動いているのではなく、役を演じているのではないかと思ったのです。
もちろん、「上司というのはそういうものだ。」という考えもあるでしょう。
しかし韓国人の李御寧(イー・オリョン)さんからすれば、これは独特の文化なのですから、そういうものだと考えているくらいに、役を演じる思考が染み付いているように思います。

僕も会社員だった頃にダメな上司だと思った人と、すごいと思った上司がいました。
ダメな方は、自分勝手で後輩のことは全然見えていなくて、先輩と後輩という上下関係を利用して、なにかと自分の仕事を僕に押し付けて、タバコを吸いにいっていました。
すごいと思った上司は、僕が自由に動けるようにサポート役に回ってくれていました。勤めていた会社は営業がおらず、研究の中で何人かが営業を兼ねており、僕もそのうちの1人でした。
上司は僕が研究と営業に専念できるように、事務仕事をサポートしてくれたり、僕の研究成果を積極的に採用してくれて、「失敗しても、俺が責任を持つからやってみろ。」と言ってくれていました。入社して2年目の僕がこんな自由に動いていると、社内の先輩たちから嫌われるわけですが、上司がコントロールしてくれていました。

僕ら日本人には、自分でも役を演じているのか、本心でそう思っているかは分からないです。
どちらにせよ人の失敗の責任は被りたくないと考えるのが普通です。
しかし、それでも「上司として。」と考えて行動するあたりは、李御寧(イー・オリョン)さんが指摘する日本人の文化のひとつなのかもしれません。

李御寧(イー・オリョン)さんが指摘するように、日本人の団結力は役を演じることにあるのであれば、いま、すぐに人が辞める原因も役を演じられていないところにあるのかもしれません。
後輩が失敗しても後輩だけの責任になり、責任を負わない上司。
自分が責任を負いたくないから、さらに上の判断がないと指示できない上司。
忙しくて後輩のことよりも自分のことで精一杯な上司。「いつでも相談して。」と言いながら、いつも相談できる空気にない。
上司が上司という役を演じないから、後輩は後輩という役を演じることができずに、舞台から降りてしまうのではないでしょうか。

役を演じるというと、「後輩はこうあるべきである。」と固定されるように感じるかもしれません。
しかし、ドラマ“東京サラダボウル”のヒロインが緑ヘアーで自由に動いているように、必ずしもそうとは限りません。とはいえ、それはグループで1人です。
営業所で1人だったりもしますが、特殊なことをしても許される人は限られており、その数はひとつのグループごとに1人です。
会社で働いていると、そういう人が1人いると思います。そしてみんな、その1人を羨ましく思ったり、「あいつだけズルイ。」と思うわけですが、殆どの人はその役になりたいとは思っていません。
決まった役があった方が、楽だと思っています。

知り合いから最近の会社の雰囲気を聞いていると、結構自由になっているなと思います。
自由だけど、決まった枠からは出れません。つまり、「この中でならどうぞご自由に。」と、まるで放置プレイのようです。色々言われるからというのもありますが、教育も十分で出来ていないようです。
僕はそういうところが人がすぐ辞める原因ではないかと思っていたのですが、その根本には役を演じていないということがあるのかもしれません。

なぜドラマ“東京サラダボウル”のヒロインが緑ヘアーで自由行動を続けられるのかを考えながら上司の動きを観てみると参考になりそうです。
色々と日本らしい部分を無くして欧米の真似をしてきましたが、改めて再構築してみてもいいのかもしれません。
そして移民問題の解決には、日本人が日本の文化を理解することから始めなくてはいけないように思います。

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