自分の失敗は失敗だと認めなければ、また同じ失敗を繰り返してしまいます。
と、分かってはいるものの、その場では失敗を認めれなかったり、またはその失敗を忘れてしまったりして、同じ失敗をした時に「あー、またや。」と思います。
一体、何回繰り返せば気が済むのかと自分でも思うのですが、思えば新しい失敗よりも同じ失敗ばかりしている気がします。
それも人から言われると何故か反発したくなります。別にその人に言われたから嫌だとか、そういうことを考えているわけではないのに、人から言われると条件反射のように反発してしまうのは不思議だなと思います。
しかし僕は、そうやって「あー、またやってもた。」とか「言われんでも分かってるわ。」とか「そんなことない!」と反発している間は、自分で分かっている分まだ良いかなと思っています。
やっぱり怖いのは自分に記憶がない時です。
「前もやってたで。」と言われたその前というのが、いつ、どんな時だったのか、さっぱり思い出せない時は怖いなと思います。
自覚があれば修正がききますが、無意識であれば修正しようがありません。
たとえ「ほら、あの時に。」と言われても、おそらくは思い出せないでしょう。
全ての言動を意識的に行うことは無理なのですが、それならば同じ言動でありたいなと思います。無意識にしているということは、考えるまでもなくやっていることなので、体に染み付いていることであるとも考えられます。それならば、大枠では一貫性があるはずだと思うのです。
こういうことを考えるようになったのは、SNSで情報収集をし始めたここ数年です。
急に政治や社会に関しての情報を本などで勉強するにはあまりにも知識がなかったので、まずはSNSで分かりやすい発信をしていたり、納得できるなと思った人をフォローして、情報収集していました。
すると、以前と真反対のことを言っている人がいることに気づきました。
しかしその人は、気づいていないんです。
そっちの方面で知り合いもいて、マスメディアで報道される部分以外の情報を発信しているくらいに詳しいはずなのに、そもそもの発言に一貫性がないことがあります。
1つだけある一貫性といえば、現状批判です。
しかし、何にでも良いふうに考えようと思えばよく見えますし、悪いふうに考えれば悪く見えます。特に人は悪い部分の方に目が行く傾向にありますので、一旦悪いふうにみる癖がつけば、なかなか抜け出せません。だから会社内でも愚痴っている人はいつも愚痴っています。いつも誰かのいい部分を話している人はいないに等しいあたりから、僕たちは悪い部分に目がいってしまう傾向があることが分かります。
では、その現状批判という一貫性で情報発信は成り立つのでしょうか。
僕は1年半ほどその人の発信を見続けたのですが、現状批判をするという一貫性では、情報発信にブレがあるように感じました。以前は「日本のそういうところが良くない。」と言っていたのに、外国がそれをしていたら「日本もこういうところを見習うべし。」と言っていたりして、「あれ?」と思ったことが何回かありました。
SNSで情報発信をしている人たちは、「マスメディアは絶対に話さない。」をウリにしています。マスメディアは偏向報道をするので、こういう情報は流れないんだと言っているのですが、現状批判一択の情報発信もそれはそれで偏向報道ではないかと思っています。
そういう僕も毎日発信している側です。
僕の場合は時事ネタよりも「こう考えたらどうだろうか?」と自分で思うところや、実際にやっていることを話していることが多いので、多少言うことに変化があるとは思いますが、軸はブレないように気をつけています。
本を読んで新しい考え方を知ると、その考え方に影響されます。
その時は自分の軸はブレないようにして、その上で新しい考え方を取り入れるように意識しています。
とはいえ、歳を重ねるごとに本を読むごとに軸を修正する必要がある時も出てきます。
そんなときは、軸がズレるのではなく軸をズラすように、自分で分かって軸をズラすようにしています。つまり話すときは「前はこう思っていたけれど。」と口にするようにしています。
自分の考えや軸が勝手にズレるのはなく、ズラす意識を持たなければと思ったのは、SNSや他の人と話している時に、以前話していたことと今話していることが真逆だなと感じることが増えたからです。それが社会の変化なのか、自分が歳をとったからなのかは分かりませんが、自分の考えや軸が勝手にズレてしまうというのは、自分が自分でないみたいです。
誰かに影響されて、自分にその考えをコピペして、また誰かに影響されてそのコピペをしています。そしてそのコピペに自覚がないので、あたかも今までもそう考えていたかのように話します。それを見ていて、なんだか怖くなってきました。
どうやら考え方や自分の軸は、パソコンやスマホで行うように、簡単にコピペできるそうです。それも本人に自覚なく行えるみたいです。
だったら自分ってなんなのでしょうか。
考え方や思考は自分の今までの経験から生まれてくるものなので、それぞれ違うものだと思っていましたが、こうも簡単にコピペできるなら、プロラミングで設定を変更できるロボットみたいです。
ターミネーター1でシュワちゃんは敵だったのに、ターミネーター2以降は設定が変更されて味方になっているのと同じような気がします。
うっかり忘れていることはよくある話ですが、そういうポイントの話ではなく、自分の考えや軸が無意識に変化しています。
最初から自分のことに気づくことは難しいですので、まずは他人の変化に気づき、それを自分に当てはめて考えてみて、意図せぬ方向に思考が変わっていないか注意しておかなければいけないなと思います。
化粧品研究者こまっきー
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