僕はちゃんとやっているアピールをするのが苦手です。
大学3年生の時に所属する研究室が決まり、4年生になって就活が終わってから卒論の研究が始まりました。僕が所属していた研究室は、いつ行ってもいいし、いつ帰ってもいいという結構自由なスタイルでした。他の研究室は9時-17時の月曜日から金曜日までと決まっていましたので、かなり変わった研究室だったと思います。
実験には待ち時間が長いときもあります。1回機械にセットすれば、半日や1日近く放置ですし、培養する時も1日経ってから確認することは結構あります。
実際に他の研究室に所属した同級生は、「今日やること終わったのに17時になるまで帰れない。」なんて言っていました。
修士課程以上の研究員なら、複数のテーマを持っているので、待ち時間に別のことをしたりできますが、学部生は1つでした。
僕の研究室は自由なスタイルだったので、そういう時間がかかるものは、帰る間際にやったり、昼までに終わらせてバイトに行ったりしていました。
そんな自由なスタイルの研究室でしたが、ここでは月に1回報告会がありました。
所属していた研究室は3つのグループに分かれており、それぞれのグループごとに報告会を開いて、教授に研究の進捗状況を発表していました。
僕は思うような結果が出ずに、数ヶ月に渡ってあまり進んでいないという報告をしていたのですが、そんな時に先輩から言われたのが「もっとやっている感を出した方がいい。」でした。
「結構な時間をかけて何回も検証しているんだから、その試行錯誤も踏まえて話した方がいい。」と言われました。
その後僕がどうしたのか覚えていませんが、今でも頑張っているアピールをするのが苦手なので、改善できていなかったのではないかと思います。
先輩がそのように声をかけてくれたということは、近くで見ている先輩は頑張っていると思ってくれていたのでしょう。
「一番近くの人が頑張っていると思ってくれているんだから、それでいいじゃないか。」と、今でも振り返ってそう思うのですから、当時も同じように考えていたと思います。
考えてみれば、この考え方を教えてくれたのは、社会に出た時のためだったのかもしれません。
サラリーマンになると、直属の上司が認めてくれていても、給料やボーナスにはそれが反映しないことを知ります。「上司はあんなに認めてくれているのに、なんで。」と思うのですが、直属の上司にはボーナスの金額も給料の金額も決めることができないので、頑張りを認められても収入に反映はしません。
営業なら、ある程度条件が決まっているのでボーナスが上がることはありますが、研究の場合は目に見えるような成果や成果と感じてもらえる成果がないので、いくら頑張っても収入には反映されにくいです。
成果と感じてもらえる成果がないというのは、上司は研究の人ですが、ボーナスなどを決める人は研究のことがさっぱり分かりません。ボーナスの時には評価欄があって、そこにその人がどれだけ出来るようになったのかを丸を付けていくのですが、あまりに高評価だと、ボーナスを決める人は「上司は甘く採点してる。」と考えるのでしょうか。
上司が高く評価してくれていても、ボーナスは標準のままでした。
となれば、そのボーナスを決めている人に成果を出している、頑張っていると思ってもらわなければいけないです。そのためには、日々の研究ではなく「私、こんなに色々やってるんです。」と口頭でアピールすることなのでしょう。
会社に入って、上司の評価がボーナスに反映されないのをみて、大学の研究室の先輩に言われた「もっとやっている感を出した方がいい。」という言葉を思い出しました。
独立して1人で仕事するようになると、そんなことを気にしなくても良くなりましたが、情報収集していると、やっている感を出すことは結構みんなやっていることに気づきました。
特に政治家はやってる感を出すのが上手です。
「私ちゃんとやっていますよね?」と言って、自分ができていることだけをピックアップして、「他の人、こんなにやってますか?」と言わんばかりにアピールしています。その人の発信をよく見ていれば、達成できていないこと、失敗に終わったこともあります。達成できていないことは短く小さく説明して、達成できていることだけを声高に話しているだけです。
しかしSNSでは声高に発信したことが注目されやすいので、“やってます感”を出すのが上手な人はSNSで人気になっていきます。
SNSで人気な人=政治力のある人とはならないはずですが、最近はSNSのフォロワーとか注目度が政治家の力量を測る基準になっています。
まるでアイドルみたいです。
「私ちゃんとやっていますよね?」と上手くアピール出来る人が注目されるようになればなるほど、そういう人に憧れる人が増えていき、「私ちゃんとやっていますよね?」を上手くアピール出来るようになろうとする人が増えていくでしょう。
そうなると、世の中は虚像ばかりで、情報はフィクションになってしまいます。
かといって今の状態のように、ちゃんとやっている人がちゃんと評価されていない状態では、「アピールしたもん勝ち。」と考えてしまうのも分かる気がします。
ボーナスを決める人は、上司の採点をそのまま受け入れてしまっては、上司はお気に入りの部下だけ採点を高くしてしまうかもしれませんので、ちゃんと採点できているかを見極めるのは難しいです。なので、どうしても昔ながらの年功序列基準を優先してしまうのでしょう。それもなんとなく分かります。
上司の評価を見極めれない人、SNSのフォロワー数=政治力のある人という風潮、“やってる感”を出したもん勝ち、言ったもん勝ちの現状を、そうなっても仕方ないと思う気持ちを含めて考えてみると、僕たちが判断できていないから、このようになっていることが分かります。
いったいどんな知識をどれくらい吸収すれば、経験すれば判断できるようになるのか分かりませんが、学生時代が過ぎても学ぶ時間が必要ではないかと思います。
ほったらかしにしてても改善しませんので、社会全体で学ぶ時間を増やすには、どうすればいいか試していかないと、ますます“やってる感”を出したもん勝ちの社会になっていきそうです。
化粧品研究者こまっきー
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