僕が子供の頃は、地元の駅前周辺にホームレスがいました。
駅前では夜になるとストリートミュージシャンが歌っていたり、ヤンキーがたまっていました。ヤンキーといっても年齢層があって、夜に駅前でたまっていたヤンキーは小学生の僕よりもずっと大人で、高校生くらいだったと思います。
僕と年齢が近い小学高学年もしくは中学1年生くらいヤンキーは、僕たちが遊びにいく場所と同じような場所でたまっていました。
僕らの地元ではそれは駄菓子屋でした。
駄菓子屋で髪を染めたヤンキーがたまっているのを想像すると、なんだか可愛く思えてしまいますが、地元の駄菓子屋には、駄菓子だけではなくゲームも置いていました。
昔のゲーセンに置いてあったような、テトリスや横スクロールの格闘ゲームに、シューティングゲームが置いてあったので、ゲームをしにきていたんじゃないかと思います。
母からは「その駄菓子屋には行くな。」と言われていましたが、駄菓子屋のお菓子は安いですし、当時はプロ野球選手のカードがついてくるポテトチップスというのがあって、そのカードを集めるのが流行っていました。プロ野球選手のカード付きポテトチップスは駄菓子屋にしか置いてなかったので、「行くな。」と言われても、適当に返事して駄菓子屋に行っていました。
母も途中で行くなというのを諦めて、「カツアゲされへんように気をつけや。」とだけ言っていました。僕はカツアゲされたことは一度もなかったんですが、その駄菓子屋でカツアゲされているのを駄菓子屋の店主は見てみぬフリをしていたという噂がたっていました。
「危ないから気をつけや。」と母は言いますが、いざ家を出てしまえば、こっちのもんです。
後で怒られないようにだけ注意しながら、時に怒られたこともありましたが、小学生同士で好き勝手遊んでいました。
駅前にホームレスがいると、なんとなく怖いです。
ヤンキーもいるだけで、なんか怖いです。
だから母は「そこには行くな。」と言っていたんですが、それよりも自分たちが欲しい野球カードが優先でしたし、親のいないところで親の言うとおりにする子なんていませんでした。
こういえばめちゃくちゃやっていたと思われるかもしれませんが、暴れたり、何かを壊したりすることはなく、大人から口うるさく言われなくても、節度は守っていました。
僕の1個上までは、小学校で小学生が暴れてバットで窓ガラスを割るということがありましたが、僕らの代ではそんな暴れ方をする子はいませんでした。窓ガラスを割ると、割った子供の親が窓ガラス代を負担することになったからかもしれませんが、そもそもそんなに激しく暴れる前に先生によって抑えられていたと思います。
今から思えば、街はちょっと危なかったのですが、こんな状況でも、スマホのような便利なものがなかったからか、親は遊びに行った子供を監視することはしませんでした。誰とどこに遊びに行くのかは毎回言ってから遊びに行っていましたが、そんなもの、コロコロ変わります。急に誰かが来れば、誰との部分は変わりますし、友達の家でゲームしていても、急に「駄菓子屋いこーぜ。」となれば、どこにの部分も変わります。
なので、子供からすれば「家を出れば勝ち。」な感覚でした。
ところが今の社会は違います。
駅前にホームレスはいません。殆どの場所で路上で歌うのが禁止になったので、ストリートミュージシャンは許された場所でしか歌っていません。ヤンキーはもはや死語になっています。
僕が小学生の頃は、町内ごとに小学生が集まって登校していました。
朝は大通りに当番の親が立っていましたが、帰りは友達同士で勝手に帰っていました。
帰り道には当番の親はいませんでした。
しかし10年くらい前から、色んなところに見守り隊がいます。
親ではなく祖父母世代ですが、道の端で座って、安全に小学生が下校しているのをみてくれています。
スマホが登場したことで、“ミマモルメ”という学校を出た・学校に入ったという情報が親にメールで届くようになりました。
今ではそこまで見れなかったわけですが、それでも学校にちゃんと行っていましたが、子供が学校に着いたことと、学校を出たことがわかるようになりました。
すると、学校を出てから大体何分くらいで帰ってくるので、あまりにも遅い場合には「何かあったんじゃないか。」と早めに察知することができるようになりました。
僕だったら、そんなことすら親に知られたくないと思いますし、そうやって監視されているのはシンドイです。子供の頃は親に自分の行動を事細かく知られることはすごく嫌だったですし、それは同世代やその上の世代も同じではないかと思います。
しかし、その世代が大人になると、僕らが子供の時以上に、子供を監視するようになりました。“ミマモルメ”では満足せず、子供にGPSをつけたり、小学校まで送ったりするようになりました。
僕は小学1年生の時にサッカーを習い始めましたが、行きも帰りも1人で行っていました。
だいたい自転車で来ている子はみんな1人か、途中まで友達と帰っていましたが、今はそうではないようです。
どれだけ近くても、行きも帰りも親が送り迎えするそうです。
小学生が遊ぶ時は、あらかじめ親同士で連絡を取り合って、親同士で予定を決めてから子供は遊びに行くそうです。今の小学生はどこに誰と遊ぶのかすら勝手に決めさせてもらえないのです。
街がきれいになって、昔よりも安全な街になっているのに、親の監視は昔よりも強くなっています。これはなぜなんでしょう?
共働きで、自分のことだけでも精一杯なのに、その分街が安全になって、昔以上に街に任せられる部分は増えているはずなのに、なぜ監視は強化されていくのでしょうか。
1つには、そういうアイテムがあるからだと考えられます。
昔はなかったからそこまで監視ができなくて、あったらやっていたのかもしれません。
まあ、もしGPSで追跡されていたなら、そこにいないのにずっと見られているような気がして、それに耐えきれなくなって、外して家を出ていくか、どこかに置いて放置したかもしれません。僕にとってはそれくらい、監視されるというのは苦痛なのですが、今の子たちは苦しくないのでしょうか。
もう1つには、交流の少なさがあるのではないかと思います。
昔は親戚同士の付き合いや、ご近所付き合いがありました。
それが苦痛だということで、徐々に無くなっていき、今では挨拶すらしないところもあるようです。
それはそれで楽なのかもしれませんが、同時に自然と作られるコミュニティが無くなっていますので、気がつけば周りに人がいないです。いざという時に相談できる相手、ちょっとした愚痴をこぼす相手が、昔よりも減っています。
親戚やご近所という自分で選べない相手と仲良くするのは難しいですが、だいたいはそんなもんのはずです。
その煩わしさをなくし、所属するコミュニティを減らした結果、家の存在が大きくなっているのではないでしょうか。
それゆえに、子供を育てることが生きがいになって、それが強くなりすぎて、監視が強化されているのではないかと思います。
これは、僕が子供の頃に感じたことからも、その傾向はあると思います。
考えてみれば、「人それぞれ」や「自由な教育」というのを子供のことで当てはめてみると、決められた空間であれば、ちゃんと監視できているので自由にしていいよという意味になっているように思います。
僕が子供の時の方がまだ自由だなと思います。
親や先生から監視されているように感じることは、自分が子供の頃は嫌で仕方がなかったはずなのに、大人になるとそれ以上に監視するようになりました。
子供の習い事を親が必ず送り迎えしたり、遊ぶ約束を親同士でするという話は、都会ではなく僕の地元で聞いた話なので、日本中にこの状態が広がっているのではないかと思います。
考えるだけでゾッとしますが、監視は強化することはできても緩めることはできないので、一度監視を始めてしまったら、2度とそれまでには戻れないんだろうなと思います。
化粧品研究者こまっきー
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