アニメを見ていると、怒られた子供がいきなり駆け出して、怒っていた母は「おい、コラ待て!」と言うシーンがあります。
子供はいつも嫌なことがあったら行く場所に逃げて、その場で独りでじっとしているうちに頭が冷えてきて、お腹も空いたし家に帰ります。
帰ると母はもう怒っていなくて、「先にお風呂に入んな。」と言います。
母の目には、もう反省しているように見えたのでしょう。
「入んな。」という言葉が出てくるように、このシーンは少し古いアニメであるあるのシーンかもしれません。
いつも逃げる場所はなにも独りでいるとは限らず、時には祖父母や近くの知り合いの家に行って、「あんな言い方しなくてもいいのにさ。」と愚痴って、祖父母や知り合いは「うんうん。」「まあまあ。」と言いながら聞いている。
愚痴を言いながらも自分が悪いことがわかっているので、頭が冷えて帰るタイミングを考えている頃には日が暮れてきて、「さ、もう帰んな。」と言われて家に帰る。
こんなシーンもあるあるだと思います。
この時も「さ、もう帰んな。」という言葉が出てくるあたり、これも古いアニメあるあるなんでしょうか。
独りになれる場所に逃げ込んで、色々考えながらじっとしているうちに頭が冷えてくる。
愚痴を言える相手のところへ逃げ込んで、愚痴っている間に頭が冷えてくる。
そして家に帰ると母はもう怒っていない。
アニメあるあるのこのシーンは、昔は現実でもこうだったのでしょうか。
僕は平成4年、1992年生まれですので、少なくとも平成にはもうこんな感じではなかったなと思います。怒られて、自分の部屋に逃げて頭を冷やして、リビングにいる母のところへ戻っても、母はまだ煮えたぎっていました。僕は怒られたことに反省していて、頭も冷えているのに、母の怒りがまだ収まっていないので、怒りが収まるまでその怒りをぶつけられていました。
そしてまだ怒りが、というよりも気分の方だと思いますが、収まらない時には、仕事から帰ってきた父に報告して、父からも怒ってもらうように促していました。
そして父は僕をしかりました。母から怒りのままに聞いた話ではよく分からないのか、父が怒っている時は、何を言っているのか分かりませんでしたが、とにかく怒りました。
僕が子供の頃は1回なにかで怒られると、子供が反省しているかどうかは関係なく、親がスッキリするまで続きました。
高校生の頃に、「母が怒ったら父は子供側に立ち、父が怒ったら母は子供側に立ち、逃げ道を作るのが良い。」という話を耳にしました。
そりゃ、子供にとってはその方がいいです。
親だけではなく、学校も同じような場所でした。
同級生と喧嘩をした時、先生は決してフェアではありませんでした。
先生によって基準が違い、好きな子を贔屓する先生、先に手を出した子が悪いと決めつける先生、とそれぞれ勝手な基準があり、あまり子供の話を聞くこともなく、結構決めつけていた節がありました。
親と違い、担任の先生は一人しかいなかったからか、その場で大人2人に追い込まれるという状況にはなりませんでしたが、学校での出来事はその後家に報告がいきました。
家に報告が行けば、アレが始まります。
気分で怒る母と、それに合わせてとりあえず怒る父。
子供が反省したとかそういうのは関係なく、母の気分が収まるまで大人2人に挟まれて逃げ道なく、ただ耐え続けるのみの時間です。
子供の話をちゃんと聞かずに勝手に決めつけて、それを先生が親に報告すると、大人VS子供は3対1になっていました。
僕はなんとなく、母が最初は怒っていたけれど、途中から怒っている内容が変わって、ただ感情をぶつけているだけであることも、父はよく分からないなりに怒らないといけないから怒っていることも、先生は偏見があって、子供の味方ではないことに気づいていました。
ですので、何かあれば逃げ道はない中でどう乗り切るかということを考え、時にはただ耐えるのみであることだと考えていました。
しかし、そうは考えられない子供もいました。
その場合は、親や先生などの大人に嫌われないように接しようとしていました。
嫌われないように、つまり怒られないように、大人に従順になろうとします。
結果的にはその方が地雷を踏むことが多いのですが、怒られて「勝手にし。」と言われると、捨てられた感を感じるのでしょうか。
親の場合は本能的に危機を感じるのかもしれません。
大人と子供の関係で、子供がどうしようもない状況に耐えるというのはかなりキツイですし、大人に従順になるというのは完全に思考停止であり自分を見失っています。
なので、体罰などが問題になり、この部分が改善されていったのは良いことだと思います。
しかしこれは、行き過ぎてもダメなんです。
逃げ道というのは細くていいんです。
アニメで子供が独りになれる場所に逃げ込むように、愚痴を言える場所に逃げ込むように、わずかにある細い場所だから、逃げ道なんです。
昔と真反対に、褒めてばかりで怒らなかったり、全方位に逃げ道がある状態だと、子供はどうしていいのか分からなくなり、追い込んでいないのに追い込まれます。
これはおそらく大人でもそうなります。
法律もルールもない街が無秩序でめちゃくちゃく荒れてしまう状態を、映画や小説で描かれていることがあります。
あれはフィクションかもしれませんが、おそらく現実でもそうなるでしょう。
そういう映画を見ると、規制しすぎることは、普通に生活している人の肩身を狭くしますが、かといってなにもしないと街は荒れてしまい、バランスをとることが大事なんだなと感じます。
世の中が便利になればなるほど、できることが増えるので、その分逃げ道が減ります。
昔みたいに、今クリックすれば明日届くわけではない社会では、無ければ無いなりになんとかしなくてはいけません。
今クリックすれば明日届くのは本当に便利で、僕もかなりお世話になっていますが、この社会で育つ子供は諦めどころが昔よりも少なくて、見渡す限り自分次第みたいに感じているのではないかと思います。
そういう意味で、昔みたいに追い込まれているのではないかと思うので、いつの時代でも細い逃げ道を必ず作ることは必要だなと感じています。
化粧品研究者こまっきー
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