病気の治療、食事のバランス、行動時間、政治に対する考えなどなど僕たちは気にすると偏ってしまうことが多く、体調を崩してしまう時は大抵その前に偏っていたり、行きすぎたり、やりすぎたりしています。
病気の治療で失敗するときは、ちょっと良くなってきた時です。
例えばアトピーで肌が荒れていて、友達と会うのも嫌なので、遊ぶのも控えて休日は家でゆっくりして早く治したいなと思います。そう思うということは、良くなったら遊びに行きたいと思っています。「服見に行きたいなー。」とか「あれ食べに行きたいなー。」と考えています。
ほんとに遊びに行けるほど回復していればいいのですが、大抵はちょっと良くなった時に我慢しきれずに遊びに出かけたい欲を優先して「よし、良くなったしいけるやろ。」と自分に言い聞かして、遊びに出かけます。
そして、その日遊んでいる時には何ともなくて「うん、治ったな。」と思っていても、次の日から5日間、仕事をしている間にまた再発してきます。
すると「仕事に行くと悪化する。」と考えてしまう訳ですが、大抵はその前の行動が問題です。つまり、そもそも遊びに行った時にはまだ遊びに行けるほど治ってはいなかったのです。
例えば食事のバランスは取ろうとすればするほど偏って、栄養のバランスが崩れます。
健康のことを考えるなら、炭水化物とタンパク質と脂質の3大栄養素のバランスと、ビタミンとミネラルを忘れないことです。しかし健康な食事を想像した時、ご飯と肉と野菜のバランスを考えるよりも、野菜たっぷりを考える人の方が多いです。
野菜を多くすると、他が減ります。
炭水化物や肉が減り、3大栄養素が不足しがちになります。
たくさんのサラダを食べてみるとわかりますが、野菜はしっかり噛まないといけないので、満腹感を感じやすいです。中枢神経が刺激されて、なんて言いますが、実感として顎が疲れてきます。
暴飲癖がある人にはいい対策かもしれませんが、そうではない人にとっては、ただ栄養が不足するだけです。
栄養のバランスというのは、難しいです。
毎回バランス良くを考えていると、献立が変になります。
そもそもバランスの基準がわかりません。
それぞれの野菜や肉や米の栄養価は乗っていますが、産地や品種、またはその時々で味が違うように、栄養価は異なります。
なので、数値で考えようとせずに、ざっくりで判断すればいいと思うのですが、意識してざっくり考えるというのも難しいです。
政治に対する考え方も気にすると偏る傾向があります。
SNSの普及で、テレビ以外から政治に関する情報収集ができるようになりました。
YouTuber、評論家、個人の政治家などが単体で発信するのは、テレビではなかなかなかった光景です。
すると、面白いことが起こりました。
人気になる、再生回数が伸びるアカウントと、再生回数が伸びないアカウントの間にはわかりやすく違いが生まれ、それは今までとは違う違いです。
今までは有名人かどうかで人気に差がありましたが、今は強く発信するかどうかで差が出ています。強く発信して、見ている人の感情を昂らせる発信をしている人が人気になっていく傾向があります。なので今まで人気じゃなかった人や無名のアカウントのフォロワー数が伸びているのです。
今まで有名だったけれど、見ている人の感情を昂らせることをしていない有名人の再生回数はずっと横ばいです。SNSで発信を始める前から有名だったので、最初から再生回数はある程度ありましたが、そこからあまり伸びていません。
最初から有名だった人はスタートの時点でフォロワーが多いので、無名な人よりもフォロワー数や再生回数は伸びていきそうなのに、あまり変化がありません。
僕はこの違いは、煽ったりするような、感情に訴えるような発言をしているかどうかだと考えています。
そして感情を揺さぶられ、「そうだそうだ!」と思った人は、他の意見を聞く気になれません。ある人やその人の近くにいる人を信じるようになり、その人達と違う発言をしている人たちの内容は陰謀論だと言います。世間では陰謀論といえば“こういう話をする人”と決まった意味がありますが、僕は“こういう話をする人”だけでなく“こういう話をする人は陰謀論者”だと言う人も、他の意見を聞こうとしないので、どちらも同じようなものだと思います。
SNSの普及で政治に対する考え方も、大きく偏るようになりました。
まるで学生の時、クラスで文化祭の出し物を決める時に、飲食派とお化け屋敷派に分かれて、お互いを批判し合って折り合いのつけれない状態になった時みたいです。
何事もバランスが大事だと思います。
これは病気の治療しかり、健康管理しかり、政治に対する考え方しかり。
政治に対して自分の意見があるのはあると思います。それが他人から見れば偏っていることもあるでしょう。考え方がたくさんあるので、どこが基準なのかがわからなく、それゆえに偏りやすくなります。そういう意味では政治を含む情報におけるバランスとは違う意見を聞くことなのかもしれません。
自分の意見があり、違う意見を聞いてちょっと自分の考えが揺れてちょっとバランスを取り直したり、違う意見を聞いたけれどそれは違うと思うように少し耳を傾けて元に戻るというふうに、バランスが取れている時は常に揺れているもので、綱渡り感覚なのではないでしょうか。
そして今の社会では綱渡りくらい慎重に情報収集した方がいいでしょう。
食事にしたって、焼肉の日は肉が多くなり、どんぶりの日には炭水化物が多くなるように、栄養バランスとはぴったり固定ではなく、日々揺れているものではないでしょうか。
病気の治療も、綱渡り感覚で考えれば、もっと慎重になれるかもしれません。
治ったら行きたい場所があった方が、気力が湧いていいのですが、その欲にかられてしまうと、もう少しのところで再発してしまいます。
バランスを取ることを考えると、僕たちはなぜか偏る傾向があります。
なにかを気にすると、偏る傾向があります。
そしてその場所で固定して、そこからブレるとバランスが崩れると考えがちです。
ちょうど良いバランスというのを探すのは難しいのですが、固定ではなく、いつもゆらゆらしながら歩いている、綱渡り感覚であるかどうかを意識してみると、バランスが取れそうです。
化粧品研究者こまっきー
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