化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

必要ない大きなお家。

子供の頃から、家というものは大きい方が良いと考えていました。親が車で移動中に大きな家を見るたびに「立派な家やなー。」と言っていたからかもしれませんし、シルバニアファミリーのCMで「赤い屋根の大きなおうち。」という言葉を何回も聞いていたからかもしれません。

大きな家ということは、大抵は2世帯以上がそこに住んでいるはずです。一人、もしくは1世帯で大きな家に住んでも、「掃除は大変やし、移動が面倒やし、ええことない。」と思うのは庶民の感覚なのかもしれません。しかし文化的に考えても、昔は嫁ぐ、つまり女性が結婚して男性の家に入ると言われているように、子供が結婚すれば家に住む人数が増えるので、文化を重んじる裕福なお家は大きかったのではないかと思います。

富山県では一戸建てを持って一人前という文化があるそうなので、そういう文化があるところでは違うかもしれませんが、やはり昔の文化といえばサザエさん方式ではないでしょうか。
祖父母と子供と、子供の家族が住んでいて、毎日みんなで晩御飯を食べる。
日本の昔の家の文化といえば、あの光景を思うかべるのではないかと思います。

ところが、嫁姑問題が(昔からずっとあったのかもしれませんが)話題になり、女性が働ける社会になっていったことで、昔の家の文化が崩れ始めました。
結婚をすれば、女性は寿退社して、家庭に入る。
この流れへの強制的な圧力がなくなると、女性は結婚をしても働くようになりました。
最初は子供ができるまで仕事を続けていたのが、いつの間にか産休と育休以外は男性と同じように働くようになりました。一応、いまのところ時短で働いている人もいるみたいですが、子供が大きくなる、といっても小学生に上がるタイミングなので全然大きくないのですが、そのタイミングで時短をやめてフルタイムで働くようになる人もいるみたいです。

文化というのはどうやって出来たのか、何が良いとされて受け継がれてきたのかがよくわからないことが多いので、1つ崩れると崩壊しやすいのでしょうか。
歴史の教科書に出てくる制度や憲法ならまだしも、僕たちの身近な文化というのは、良くわからない、面倒で無駄で、なんでこうしないといけないのかと感じるものが多いです。
そのひとつに家庭の文化があったので、結婚すれば寿退社するという文化が崩れると、子供が出来ても会社は辞めないし、行けると思えばフルタイムで働くようになりました。

これは、これからの人口減少時代に向けて、社会的にそういう風な流れにしているとも考えられます。しかし、嫌なら別に働かなくてもいいはずです。専業主婦ならぬ男性が家庭に入る専業主夫という言葉が数年前に話題になったように、男性が家庭に入り女性が働くという選択肢もあります。

最近は給料が上がらずに物価高だから生活が厳しいのでフルタイムで共働きしている方がいるかもしれませんが、二人働けば家庭が疎かになります。掃除や洗濯はこまめに出来ず、そのために便利グッズを買って、出費を増やしています。野菜やお肉などを安い時に買いに行くことができず、専業主婦よりも共働きの方が外食やお惣菜に頼る傾向があるので、食費はかさみやすいです。特に産休に入るとわかるそうなんですが、一人が家にいて、家のことができるようになると、食費が全然違うんだそうです。

お金だけで考えれば、共働きにした方が残るお金は多いのかもしれませんが、暮らしの部分を疎かにし、心に余裕のない状態は収入が多いことよりも良い状態なのかは改めて考えてみるべきです。
僕はいくつか専業主婦の家庭を知っていますが、どこも働いている人の収入は特別いいわけではありません。
働くことも家庭に入ることも、選択できるはずなんですが、昔のしがらみがなくなると、働くことを選択するようになりました。

共働きで二人が家にいないなら、尚更男性の家に入り、家庭の部分を姑に助けてもらった方が理屈上はいいはずです。しかし現実ではそれは絶対に嫌で、たとえ楽ができても、一緒に住むことを選択しなくなりました。

姑と一緒に暮らすよりも別々で暮らすことを選択して、「仕事嫌やなあ。」と言いながら、共働きをして毎日が大変な方を選んででも、一緒に暮らすのは嫌なんです。

結婚すれば、女性は寿退社して、家庭に入る。
大きな家だと男性の家に入る。
この文化が崩壊すると、どれも選択しなくなりました。

ここ2、3年で僕の住んでいる街では、大きな家がどんどん取り壊されていっています。
そこに新しく大きな家が立つことはまずなく、新しく建っても以前よりもこじんまりした建売住宅みたいな家です。しかしそれも珍しくて、多くは取り壊してマンションを建てています。次に多いのは駐車場です。

おそらく、そこに住んでいた方が亡くなり、相続されたタイミングで自分はもう住まないので、取り壊したのでしょう。大きな家なので敷地が結構あります。3階建てのマンションを3つ建てていたり、駐車場を作ったりしています。

僕なんかは「勿体ないなあ。一緒に住むのが嫌なんやったら、そうじゃなくなったタイミングで、リノベでもして住めばいいのに。」なんて思ってしまいますが、そもそも、もう家は大きくなくて良いのかもしれません。
選択できれば一緒に住もうと思わないのですから、次の世代も同じ選択をするに違いないと考えます。すると自分の世代だけのことを考えれば良く、子供はいつかは出ていきますので、大きいと後で困ります。
大きい家に住んでいたことがある人は、自分が出ていった後、家の中で掃除が一切されていない場所を見て、「大きいと後で困るな。」と感じたのかもしれません。

子供の頃、当たり前の憧れのようにあった“大きなおうち”は、これからは必要では無くなり、街から姿を消していくのでしょう。
その結果できるものがマンションか駐車場というのは、ちょっと寂しいですね。

化粧品研究者こまっきー

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