中学生の頃から気分転換に推理小説ばかり読んでいた僕ですが、昨年から色んな本を読むようになりました。特に手に取るものは山本七平さんや養老孟司さんなどの本が多く、国ごとの文化であったり、人の行動が気になっています。
これは、最近の社会の動きを知るためには歴史を知らないといけないなと感じたからです。歴史と言っても何年に誰が何をしたという、学校で習うようなことではなく、なぜそうなったのかであったり、その国ではなぜそのように考えられているのかということです。
またそれを知るためには、ざっくりでも歴史を知らないといけないので、世界史の本を読んだり、気になる本を読んだ後にこの部分の歴史が知りたいと思って調べたりしていますが、何年に誰が何をしたという歴史ではなく、あくまで文化を知るために当時の時代背景を調べているという感覚です。
昨年末から、今年はロシア文学を読んでみようと考えており、早速ドストエフスキーの“罪と罰”を買いました。こういう古い小説は日本の小説でも読みにくいことが多いので、何か解説を読んでからの方がいいだろうと、佐藤優さんの“生き抜くためのドストエフスキー入門”を買いました。“罪と罰”を読む前に読むと、一般的に読みにくいとされる部分を予め理解してから読むことが出来るので、出だしでつまずかずに読むことができます。また読み進めていると、佐藤優さんがピックアップした文章が出てきます。その時に、改めて“生き抜くためのドストエフスキー入門”に書かれてある解説を読むと、自分ではスルーしてしまう宗教的な意味合いの部分を読み解くことが出来るので、ただ“罪と罰”を読むよりも、楽しく、より深く理解することができます。
“罪と罰”は読んでられないと言われていますが、僕はかなり楽しんで読むことができました。おそらく、冒頭にも書いたように僕が知りたいのが人の行動心理の部分だからでしょう。僕が読んだ“罪と罰”は岩波文庫のもので、上・中・下の3巻からなる超長編なわけですが、ハリーポッターのようにアクション展開があるわけではありません。それぞれの登場人物のセリフが長いんです。長いもので5ページくらいずーっと1人の喋りが続いていたります。5ページ後にかぎかっこの閉じるがあるんです。
また心の中の声も書かれていますが、これがしょっちゅう出てきます。僕たちでも歩きながら色々考え事をすることがあると思いますが、それがそっくりそのまま描かれています。
1冊約400ページが3巻ですから、約1200ページあるわけなんですが、1200ページで2週間しか描かれていません。ですので、それくらい1日1日が長く、そして登場人物の考えていることや、喋っていることが長いんです。まるでプーチン大統領の演説みたいです。
なので、登場人物の心境がありありと感じられます。とある現実の2週間を盗み見したみたいな感覚になり、人の行動心理に興味がある僕には、すごく面白かったのです。
佐藤優さんの“生き抜くためのドストエフスキー入門”には書かれていませんでしたが、僕はこのことを知ってから“罪と罰”を読めば、「読んでいられない。」と途中で挫折してしまうことを、少しは防げるのではないかと思います。
それでも、こういう書き方はあまりないので、読んでいられないと思う人は読んでいられないでしょう。
こういう時の流れが遅い小説といえば、伊坂幸太郎さんの“マリアビートル”があります。新幹線の中の物語で、東京発盛岡着のたった2時間半が592ページの文庫になっています。
書き手が違えば読みやすさは変わりますし、“マリアビートル”の方が展開があるような気がしますが、時の流れが遅い小説を読んだことがない人が、いきなり“罪と罰”を読むと、展開の遅さに飽き飽きしてしまう気がします。“マリアビートル”のような時の流れが遅い小説を読んでから“罪と罰”を読んだ方が、読みやすく感じるかもしれません。
罪と罰は1866年に書かれた本です。
日本でいうと、1867年に徳川慶喜が大政奉還をして、江戸から明治に変わる少し前ということになります。
それくらい古い小説で、ましてやロシアという、学校の歴史の授業でも全然出てこない国の小説をなぜ楽しく読めたのかというと、現在に近いものがあったからです。
登場人物の思考や言動が事細かく書かれている“罪と罰”を読んでいると、「あ、これはあの人っぽい。」と自分の知っている人が思い浮かぶからです。
自分の知っている人が思い浮かぶと、小説は一気に面白くなります。
フィクションは創作ではありますが、書き手の生活が反映されやすいです。実際に“罪と罰”はドストエフスキーの実体験が反映されていますし、ドストエフスキーのお父さんも出てきます。ドストエフスキーはリアリストだと言われていますが、そうではなくても、自分が体験したことや興味があって調べたことをベースにしないと物語は作れないと思うので、創作であろうが、魔法が出てこようが、転生しようが、小説の世界は現実世界で生活する僕に、違う生活の擬似体験を与えてくれているように感じています。
なので、小説に出てくる登場人物と、現実世界の誰かさんとが結びつけば、非常に参考になります。特にドストエフスキーはエンタメ要素を入れて書いているというよりも、その場面の喋ったことや心境をそのままそっくり文字起こししたくらいに細かく描いていますので、似ている人の言動をどのように捉えて、どう対処するかの参考にきっとなります。
このブログのタイトルを“現代に通じる罪と罰”にしたのは、まさに今、“罪と罰”に出てくる登場人物のような思考の人が多いと感じているからです。
そのままそっくりというわけではありませんが、SNS社会に陥ってしまいがちな思考や言動に当てはまるものがあると思います。
ではどの部分が?とピックアップするのが、今まで本を紹介してきた時の流れなのですが、今回はやめておきます。その部分は僕が気になった部分ですが、この本に同じような箇所は沢山あります。僕は気になる箇所には半透明の貼り直しできるポストイットを貼っているのですが、その少し前から何回も同じようなセリフが出てきて、その上で「ここにポストイットしておこう。」とポストイットを貼った箇所が結構あります。わざわざピックアップした部分を紹介しなくても、ドストエフスキーは何回も何回も丁寧に描いています。
佐藤優さんがピックアップしたのは宗教的な観点なので、知っておいた方がいいですが、それ以外は読んでみてのお楽しみとしておきましょう。
正直“罪と罰”を読んで、ブログにどう書こうか悩みました。
文学的な知識があるわけではない中で、何か書けることがあるのだろうかと難しく考えていました。こういう歴史ある小説は、なんとなく“こういうことを書かないといけないお決まりのテーマ”があるように思えて、それを勉強してからの方がいいのではないかとも思ったんですが、それでは僕が書く意味がないので、シンプルに僕が感じたことを書こうと思いました。
“罪と罰”が読みづらくて、最後まで読んでいられないのは、名前の部分もありますが、時の流れが遅く、喋りや思考があまりにも長くて多いからでしょう。しかしそれゆえに、よりリアルな体験をすることができます。
そしてその体験は昔話の体験というよりも、現代の一部を体験しているような気分になり、今の僕たちのヒントになることが沢山ありますので、ぜひ今のタイミングで読んでみることをオススメします。
化粧品研究者こまっきー
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