僕たちは何か節目があるたびに、心機一転しようとします。
それは、自分自身で自ら心機一転する時と、周りからの働きかけで心機一転を半ば強制的に強いられる時があります。
周りからの働きかけで、半ば強制的に心機一転を強いられる時といえば、小学校高学年になったときや、中学生になったとき、中学3年生になったとき、高校生になったとき、高校3年生になったとき、大学生になったとき、成人したとき、社会人になったとき、役職がついたとき、結婚したときや子供ができたときに、30歳や40歳などの節目を迎えたときなどがあります。
なぜこれらの時は、周りからの働きかけなのかといえば「もう○○なんやから。」と言われるからです。
「もう中学生なんやから。」「もう高校生なんやから。」「もう社会人なんやから。」と言われる時は、勝手に中学生のあるべき姿、高校生のあるべき姿、社会人のあるべき姿を押し付けられているからです。
これらの節目に、自分自身で「心機一転しよう!」と思うこともありますが、その時には周りからの働きかけがなくとも、社会には心機一転の空気感がありますので、周りの空気に流される形で心機一転をしようと思う傾向があります。
この場合は流されているのですから、自発的ではないでしょう。
自発的の場合は周り関係なく、自分の出来事から自分で心機一転を決めた時です。
例えば失恋したときに思い切って髪の毛を切るというのは、自分の出来事から自分で心機一転を決めた時です。
このときでも周りの励ましによって心機一転しようと思ったり、そもそも失恋したら髪の毛を切って心機一転することはよく言われていることですので、これは周りからの働きかけなんじゃないかと思うかもしれません。しかし僕たちの社会は人と人とで繋がっていますので、全く周りからの影響を受けずに決めるなんてことはできません。ですが、失恋は「もう失恋したんやから。」とは言われないように、半ば強制的に心機一転を強いられることはありません。
友達からの励ましによってする心機一転は、今の自分を見て「このままじゃダメだ。」と思って気持ちを切り替えますし、髪の毛を切ることは、そうすることで気持ちを切り替えるキッカケにしようと思っての行動だと思うので、「もう大人なんやから。」と言われて心機一転を強いられる時とはまた違います。
違うのですが、物事の判別がつかない頃から言われていると、周りからの働きかけで半ば強制的に強いられる時でも、自然と心機一転のスイッチが入ってしまいます。
実際に、中学生から高校生に、高校生から大学生に、大学生から社会人になったとき、誰に言われなくても心機一転を考えた人は結構いると思います。
しかし、僕は周りからの働きかけで半ば強制的に心機一転を強いられるタイミングでは、心機一転してはいけないと考えています。
それは、それまでの自分とこれからの自分に繋がりが無いからです。
中学生のあるべき姿と高校生のあるべき姿は違います。
高校生と大学生でも違いますし、とくに大学生と社会人は全く違います。
新卒で入社したとき、最初は2ヶ月の研修がありましたが、その時にはことあるたびに「もう社会人なんやから、いつまでも学生気分でおるなよ。」と言われました。
学生関係ないときでも、とにかく何か指摘することがあれば学生気分という言葉を使って、今までの自分とこれからの自分を切り離そうとしてきました。
今まで周りからの働きかけで半ば強制的に心機一転を強いられたときに、なんの疑問もなかった人は今まで通り大学生までの自分と社会人になった自分は違うんだと思えたでしょう。
しかし僕はそうは思えなかったんです。
いつからは覚えていませんが、気がつけば「もう○○なんやから。」と言われることに違和感を感じていました。「もう高校生なんやから。」と言われたときは、まるで今までの自分が間違っていると言われているように感じ、また中学生の時に言われていたこととは随分と違うことに違和感を感じていました。
そのなかでも一番強烈だったのは社会人になった時でした。
あれほど、今までの経験や記憶を遮断し、○○のあるべき姿、つまりは社会人のあるべき姿へと心機一転することを強いられたことはありませんでした。
僕は新卒で入社した会社の半年で退社し、その後ホッとしたところに、うちに溜め込んでいたなにかが破裂したように顔がパンパンに腫れたのですが、思えば4月に入社した時点で「もう社会人なんやから。」と心機一転を強いられた時から無理していました。
研修はこういうものだと言い聞かせて、営業所に行けば違うと思っていました。
研修が終わり営業所に配属されると、営業所にいた人たちは、その会社流の社会人の在り方にそった人たちばかりでした。研修の頃から無理をしていた僕には、営業所の人間関係は耐えれるはずもなく、その後退職をすることにしました。
今ではあまり新入社員に教育をしないので、こういう感覚を感じる人は少ないかもしれません。
こんなにも半ば強制的な心機一転を強いられるのに抵抗を感じるのは、その前と後に繋がりを感じられないからです。大学生と社会人で大きく切り離すように、全く違う思考や行動を強いられて、大学生で学んだことを会社に入って活かせようとしません。
僕はそこに非常に違和感を感じます。
だったらなぜ大学があるのか。
だったらなぜ小学校があり、中学校があり、高校があるのか。
ぞれぞれで学んだことを生かして、次の学校教育へと進んでいくのではないのでしょうか。
そして大学卒業までの16年間の教育を生かして、社会人として働くのではないのでしょうか。
そうしないと、なんのために勉強してきたのか、というほど熱心に勉強をしてきた訳ではないのですが、なぜ16年間も勉強してきたのか分からないじゃないかと思うのです。
それくらい、大学生と社会人で大きく切り離します。
この半ば強制的に心機一転を強いられることになんの疑問もない場合、社会人になると大学で学んだことをすっかり忘れます。
なので、僕が研究所に勤めていたときに新卒で入ってきた子は理系で、実験経験があるにも関わらず、未経験と同じ動きをしていました。異物混入に注意することはどの研究でも実験でも同じことです。それは行う実験内容は違えど、大学の実験で何回も注意されているはずで、その意識をしているかどうかで実験中の動作は全然違うのですが、新卒で入ってきた子は心機一転して、大学での実験のことをすっかり忘れていました。
ここで、自分が好きな飲食店を思い浮かべてみます。
なぜそのお店が好きなのかといえば、当然美味しいと思うからです。
ではなぜ美味しいと思うのかといえば、今まで色々食べてきた経験の結果、そのお店のその味が美味しいと思うのです。
そして今では行かなくなった、美味しいと思わなくなったお店や食べ物を思い出してみて、なぜ美味しくなくなったのか考えてみれば、それ以上に美味しいものに出会ったからでしょう。
そして今好きなお店も、いつかは行かなくなり、新たに好きなお店ができると思います。
若い頃は知らない味が多かったので、好きなお店はコロコロ変わっていましたが、やがて数年単位になり、気づけば常連になっています。
美味しいご飯関係なく、今現在の自分の好き嫌いや感覚は、過去の経験から作られてきたものなんです。
だから僕は「4月に心機一転するな。」と言いたいです。
今までの自分と、その経験を忘れてはいけません。
半ば強制的に心機一転を強いる時は、過去の自分をなかったことにして、新たな価値観を植え付けてきますが、自分はずっと繋がっています。
自分らしさとか、個性とか、自分について考えたり、自分を大事にしたいと思うなら、半ば強制的に心機一転を強いられるタイミングには注意して、自発的な心機一転と区別しないといけませんし、4月の心機一転は一番注意しないといけません。
化粧品研究者こまっきー
↓こちらへどうぞ↓