YouTubeにアップされている同志社大学の学園長と佐藤優さんとの対談で、佐藤優さんは今の大学生の人間関係についてこう話されていました。
「今の大学生は、人との距離の詰めかたがわからない。僕らの頃だったら、2、3回飲んだら腹割って話していたのに、今の大学生と腹割って話せるようになるには半年はかかる。」と。
これに関しては、現在33歳の僕も今の大学生と同じ感覚です。僕はお酒が飲めないので、それも関係あるのかもしれませんが、2、3回食事にいったくらいではやっと距離を縮め始めたくらいではないかと思います。確かに仕事をしていると、現在65歳の佐藤優さん世代の距離感はすごく近いなと思います。
他にも「国家公務員の試験勉強をするには、一定期間アルバイトはできなくなる。両立は難しい。その間、親から補助してもらえないのか?と学生に聞くと『親に迷惑をかけたくない。』と言われた。」という話をされていました。
同志社大学の学園長は終活のことも取り上げて、「世の中が他人に迷惑をかけないようにしながら生きていく社会になってしまっている。」と話されていました。そして佐藤優さんは「だからといって、親と関係が薄くなっているのかというとそうではなく、むしろ絆が強くなっている。」と話されていました。人との距離の詰めかたが分からないので、なかなか他人と深い関係になることができないため、現在関係の深い親との絆が自然と強まっているそうです。
なので、この関係に何かあっては困るために「親に迷惑かけたくない。」とお金の相談もできないでいるみたいです。
思春期以降は親は子から、子供は親から離れていくものなんですが、その時に必要な他人との関係が深くならず、社会の他人に迷惑をかけてはいけない空気感が相まって、家族関係を強く意識する人が増えているのでしょう。
僕は、便利になったら家族の縛りは緩むと思っていました。
昔は結婚したら女性は男性の家に入るように、寿退社して家庭に入るように、そして大抵は生まれた町で育ち、その町で結婚して就職していたように、町込みで家族の関係は強かったです。ところが女性が営業職に就くのが当たり前になると、一人暮らしの女性が増え、寿退社が当たり前で無くなると結婚の認識は変わりました。あえて親の近くに住んでいる人もいますが、別に一緒であったり近くに住まないといけない空気感ではなくなりました。男性の家に入るという思考でもないので、親と近くに住む人でも子育てのことを考えて女性側の実家の近くに住んでいる人もいます。昔だったら、「なぜこっちの近くではなくて、向こうの実家の近くに住んでいるのか!嫁に来たんじゃないのか!」と怒ってそうです。
嫁姑問題を耳にすることもなく、昔の家族感を感じることもなくなれば、今の人たちが一緒に住もうと思わないくらいに、家族の縛りは緩んでいくと考えていました。
ところがそうはならず、子供は家族への依存度が高くなりました。
家族関係を含め、2015年くらいから色々と昔のしきたりから変化していきました。会社では女性のことだけではなく、若者が働きやすい環境を意識し始めたのも2015年以降です。それまでは「新社会人は、学生気分を無くして新たな気持ちでスタートするんだ。」と言わんばかりに、ことあるごと「学生気分が抜けていない!」といって、会社に従順になるような研修がされていました。
今では研修中に新社会人が「自分の本領が発揮されていない。」とか「やりがいを感じない。」と平気で先輩社員に言っているのですから、ほんとかなり変わりました。
この変化が良いのか悪いのかはさておき、家族から会社まで幅広く、昔のしきたりにあった縛りがなくなり、自由な部分が増えました。
自由になったなら、嫁と姑が一緒に住もうと思わないように、無くなるとまでは思いませんが縛りは緩むと思ったのですが、最近は自ら縛りに行っているように思います。
縛りというより、依存っぽい気もします。
家族や友達関係のちょうど良いところを見つけるのは難しいことだと思いますが、こういうのは社会全体の空気感に任せていても、辛いだけかもしれません。
昔は結構家族ごとの違いなど多かったのですが、SNSで情報収集しすぎて、どの家族も同じことをしているように思います。週末になればアンパンマンミュージアムに行くというお決まりのような流れは僕が子供の頃にはありませんでした。この時はこうする、これくらいの年齢の遊び場はここ、とSNS情報に右へ倣えする傾向が強いように思います。
それでは、社会全体の空気に流されるだけですので、「ウチはウチのやり方で。」「ウチらはウチらの。」と個人個人の小さな社会で勝手に決めていった方がいいのかもしれません。
化粧品研究者こまっきー
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