化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

考える余裕さえあれば。

考える余裕、または考える時間とも言いましょうか、そういう余裕があれば、選択を間違えることは少なくなるのではないでしょうか。

新たに悩み事ができた時、最初は「どうしよう?」と悩むと思います。
それが何日も経ったり、何回も起こることで「まあいいか。」と考えることを諦めてしまったことがあると思います。
「時間が解決してくれる。」と前向きに捉える方がいますが、そうであるときもあるし、そうじゃないときもあるでしょう。

そうじゃない時に諦めてしまうのは、時間がないからです。
毎日のことで忙しく、1つのトラブルについて考える余裕がない場合に、気づけば時が過ぎて、同じレベルの悩み事が次から次へと舞い込んできた結果、「まあいいか。」と諦めてしまいます。

急に選択を迫られるときもそうでしょう。
「どっちにする?」と今まで自分で考えなくてよかった分野の話を急に振られて、自分で決めてくださいと言われたら、まずは考えたくなります。
考えたことがないので、情報を収集して考えてみたくなります。
自分が納得出来る結論を出してから、どっちかを決めるでしょう。

ところが情報収集する時間も、考える余裕もない場合は非常に困ります。
「日常のやるべきことをこなすだけでも精一杯なのに、そこに新たに選択しないといけないことが出てくるなんて、それも全然分からない分野の話では尚更困る。」と余裕の無い方は思うでしょう。
そして情報収集も過程の部分は飛ばして、大多数はどっちを選択したか?という結論だけみて選択してしまいます。

考える余裕、考える時間があれば、どんな情報でも分からない分野でも、ちゃんと読めば文脈がおかしいかどうかの判断くらいは出来ます。
「分からへんけど、この文章おかしいで。」と変な文章に気づく事ができます。
テレビやYouTubeなどの映像でも、話している内容が変だと気づくことが出来ます。

しかし、どうやら僕たちは変な文章に気付けないような、考える余裕がないような、そんな日常生活になってしまっている気がします。

そんな原因の1つは共働きです。
大人二人が朝から晩までお金を稼ぐという同じことをして、家事は疎かになりました。専業主婦と働くお父さんのときは、母と父の観点が異なりました。母はお金のやりくりを工夫し、父はお金を稼ぐことをしているわけなので、お金1つ取ってもお金に対しての視点は異なります。家事もそうですし、社会に対しても考え方が違ったことでしょう。
子供はその違った考え方に影響されながら育っていき、時には「2人で意見合わせてくれよ。」と思うこともありますが、家庭内で違った観点を学ぶことが出来ました。

また専業主婦は家にいることで、仕事よりも時間の使い方にゆとりがあります。子供が熱を出した時、仕事をしていたら中々仕事を切り上げることは難しいですが、専業主婦なら今やっている家事の手を一旦止めて、子供の対応にすぐ切り替えることが出来ます。明日スーパーでお肉が特売日なら、お肉を買うことを最優先にスケジュールを組むことが出来ます。

専業主婦は暇で自由な時間が多いという意見と、専業主婦だって忙しいという意見がありますが、僕は専業主婦は自由な時間をもっているからこそ良いのだと考えています。
一家に一台、暇そうな大人です。
急なトラブルはつきものですから、その急なトラブルに対応出来るように、いつでも自由な時間を持っているような人は一家に一人は必要です。

専業主婦は仕事のように働く時間帯が決まっていない分、自由に使える時間があるので、考える余裕があります。「今日の晩ごはん何作ろうかな?」と考えて、何時間前から料理すればと逆算出来るのも、考える余裕があるからです。
また仕事をしている人は、専業主婦がいることで、家のことをあれこれと考えなくてよくなります。仕事から帰ると自由な時間となり、考える余裕が生まれます。
「お父さんは全然家事を手伝ってくれへん。」という専業主婦の愚痴がありますが、それは間違っていると思います。専業主婦は家事担当なわけですから「これは私の仕事!」と考えるべきです。

二人が仕事をしながら家事をすると、二人とも帰宅してから今日の家事が始まるので、考える余裕がありません。

もう1つは情報収集の方法です。
むかしむかしはテレビなどなく、読んで理解するしかなかったのが、テレビという映像で情報収取出来るようになりました。人づてに聞くのは今の健在で変わったのは読むから観るです。どちらも良い点悪い点がありますが、映像の方が簡単に分かりやすいことが多いでしょう。簡単に分かりやすい反面、言葉以上に見せ方で情報に変化が出てしまいます。
テレビとインターネットで掲示板の時代は、まだ新聞や掲示板を読むという習慣がありましたが、YouTubeが流行ってから、読む習慣が殆ど無くなりました。

読む時は急に結論の部分を読んでも、まるで分からないです。ニュースの記事1つ取っても、最初から読まないといけません。すると、前後の脈絡がない場合に「この記事おかしいな。」と気づくことが出来ます。
読む行為は小説だけではなく、書き手のストーリーを読むことになります。

動画は違います。特に再生回数で収益が得られる仕組みになってからは、エンタメ重視になりました。専門的な知識が得たい時でも、みんな時間に余裕がないので、分かりやすさが重視されるようになりました。

また、読む時は自分のペースで言葉を頭に入れていくことが出来ますが、聞くときは相手の話すスピードに合わせないと行けないので、読むときとは理解の深さが異なります。

それがSNSの普及により、とうとう読むこともエンタメ重視となり、流行りのワードや分かりやすさが重視されるようになりました。

情報の面白さは伝える側の、結論に行き着くまでの過程にあります。結論は同じでも過程が違うので、意見が合わない事が多いくらい、過程は大切です。
過程がないので、SNSの情報はどれも同じに見えてしまいます。

時間に余裕があれば、考えることが出来ます。
共働きは考える時間を無くしています。
時間に余裕があれば、結論だけの情報はどれも同じでつまらないので、過程のある情報を観るようになります。

考える余裕があれば、観る情報に変化があり、選択は変わってくるはずです。

平成初期よりも昭和の時よりも、スマホにWi-Fiとこんなに技術は発達したのに、なぜ考える余裕が減ってしまったのでしょうか。

化粧品研究者こまっきー

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