化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

褒めない教育

平成後期から“褒めて伸ばす教育”というのが主流になりました。
その背景にはモンスターペアレント対策であったり、体罰問題であったり、大人の事情がかなり関与しているように思うのですが、当時は「褒めれば子供はぐんぐん伸びる。」と言われていました。

僕は平成初期生まれのゆとり世代で、褒めてもらうことは殆どありませんでした。
小学校のテストで100点取っても「小学校のテストは100点が当たり前。」と親に言われ、1つでも間違っていたら「何を間違えたんや!」と間違っているところばかり責められました。
今のように、ちょっとなにかをしただけで「◯◯してくれたん。ありがとうね。」なんてセリフと優しい口調は1つもありませんでした。

子供の頃に戻って「“褒めて伸ばす教育”をしてもらいたいか?」と聞かれたら、「ノー。」と答えます。

僕ら世代でも“褒めて伸ばす教育”を実践している人は少数ですがいました。
同世代やその下の“褒めて伸ばす教育”の経過を調査してみると、“誰かに褒めてもらうことが、自分の行動理由”になっている気がします。

自分が動いて、その動いたことに誰かが褒めてくれるものだと思っている節があります。
新人がテキパキ出来るには、その背後で上司がサポートしているからなのですが、そうとも知らずにテキパキ出来た自分に対して、上司は褒めるべきだと思っている節があります。
だから「あの上司はありがとうって言われへん。」と感じます。
上司がサポートしてくれたから出来た。次は1人で出来るようにならなければ。という謙虚な気持ちはありません。
自分の仕事をやっただけという気持ちもありません。

会社ではあまりにも“ありがとう”を意識されすぎているので、そもそも給料を貰っているのだから、その分は動くのは当たり前であり、「ありがとう。」と言われる筋合いはない。働いている以上、当たり前のことであるという感覚に修正するべきではないかと思います。

“誰かに褒めてもらうことが自分の行動理由”になっていることは、承認欲求の強さと重なります。承認欲求の原因は“自分に自信がない”と言われていますが、それよりもむしろ、自分のことを自分で見ずに、自分の評価を相手にさせているからこそ、自信を持つ事ができずに相手の評価に依存してしまうのだと思います。
「えー、うちの子は家と学校で全然違います。」と三者面談で親がビックリするくらい、自分1人に対しての評価はバラバラです。
親や先生、友達と相手ごとに見る視点が変われば自分の評価は異なりますので、相手に自分の評価を任せていると、自分の軸が定まらずにブレブレになります。

褒めない教育で育った僕は、最初は「100点取ったら褒めてほしい。」と思っていましたが、気にしても仕方がないくらい褒められないと、次第に親の評価を気にしなくなりました。
子供の頃の“相手からみた自分の評価”のランキング第1位は親ですので、その親の評価を気にしなくなるのことで、“他人からの評価”という呪縛が薄まり、自分で自分を評価するようになりました。

学校の勉強に興味が持てなかった時はクラス順位は下から10番以内でしたがテスト勉強をまともにしていないので自分は納得でした。「なんで塾行かせてるのに、こんな点数低いの。」と怒る親に、「そら行ってるだけで勉強してないもん。」と内心思っていました。
大学受験を頑張ろうと思った時は、テスト勉強を頑張った分が点数に反映されているかどうかという基準で模試の結果を判断し、学校のテストくらいは高得点でないといけないと自分で基準を作って自分自信に対して厳しく判断したつもりです。

褒められない教育により、自分に対しての評価が厳しくなりがちですが、自分への評価は優しいよりもむしろ厳しくあるべきです。
褒められない教育により、「こんなもんで褒められるもんちゃう。」という思考が出来たことは良かったと思います。

小さい頃は褒めていいと思います。1人で歩けたり、靴下履けたりしたときは、思わず嬉しくて褒めてしまうでしょう。
わざわざ「褒めないぞ!」と意気込まなくても、自然と口にしているときは良いと思います。最近は褒めることが過剰になっているのが問題なのです。

子どもの成長と共に、段々と簡単には褒めないようにしていきます。
褒めずに、自分の行動は自分が納得してやっていることであると認識させます。
そして、人のために動くのは当たり前で、褒めてもらえるから動くのではないことを教えていきます。これがないと、自己中心的になってしまいます。

平成初期は怒ってナンボの教育で感情のままに怒ってビンタしていました。
それが真反対の“褒める教育”に変わって、誰かに褒めてもらうことが当たり前で、承認欲求が強くなり、自分の軸すらも他力本願となりました。

正反対の2つの教育の次は、
間を取って、
むやみに怒らない、むやみに褒めない教育で、
自立した人間の育成と人のために動くのは当たり前なのでそんな簡単に「ありがとう」は言わんでいい。という思考を教える教育はいかがでしょうか。

化粧品研究者こまっきー

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