化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

なぜ国民が政治に興味を持たないといけないのか

「国民はもっと政治に興味を持つべきです!」
そう強く発言して国民から指示を得ようとする政治家のこの言葉に違和感を覚えます。

例えば自分が学校の先生をやっていたとする。好きで教師になって子供のことをちゃんと考えて教育に携わってたとします。
そこで「親も学校での教育のあれこれを学ぶべきだ!」と同じ学校の先生が言ったらビックリするんじゃないでしょうか。
「いやいや、学校での教育は先生達による専門的な知識と経験に基づいて行われている教育であり、その専門分野には責任をもって取り組むべきで、親たちは教育の専門家の私達に任せるべきだ。」と思うのではないでしょうか。
簡単に知っておくことは必要でも、専門的な部分までは知る必要はなく、そこを任されているから学校という場所があるのでしょうと、こういう風に考えることでしょう。

これを政治家の「国民はもっと政治に興味を持つべきです!」に当てはめると、政治家自身が「政治家はもうダメです。」と言っているようなものです。
ダメだから頼りにしないでください。
悪いことしていないか見張っていてください。
悪いことの判別がつくように、専門的な知識を学んでください。
遠回しに国民にそういう事を言っているようなものです。

仮にどっかの政治家が悪いことをしていても、政治家の中で厳しく取り締まるべきです。学校の部活でのトラブルは顧問が解決しないといけないのと同じように、政治家のトラブルは政治家同士で解決しないといけません。それを大した状況把握もせずに「ごめんなさいは?」と無理やり「ごめんなさい。」を言わせて、親には「お互いちゃんと謝って解決しましたよ。」なんて適当なことを言うから、後でボロが出て、「あの顧問はアカンわ。」と信頼を失うのです。

政治家が政治家の問題をSNSなどで発信して、「こんな悪い政治家に政治やらせていいのですか!」と声高に発言するのを見ていて、恥ずかしくないのかなと思います。
同じ政治家ですから、自分自身の評価も下げていることに気づいていないのでしょうか。

「こんな政治家がおってすみません。厳しく処分して、国民に信頼してもらえる政治家だけになるように努めます。」と言うべきではないかと思います。
中学の部活のときは「連帯責任」と何回も言われたものです。

「こんな悪い政治家に政治やらせていいのですか!」と発言する政治家が増えに増えた結果、政治家そのものへの信頼が下がっているように思います。

議員は国民から民主的に選ばれた政治のプロです。
国民は政治をプロに任せて、自分の毎日のことに集中するべきでしょう。
プロに任せるからこそ、日々の自分に集中できる充実した毎日が送れます。

「学校の教育は私でも出来る。」と親達が専門的な知識をつけて、自分たちで学校のようなコミュニティ作って教育を始めたら、学校は要らないでしょう。
「政治家はアテにならん。」と国民一人一人が政治の勉強、外交と内政のバランスを考えてあれこれ意見を出し合って案を作れるようになれば政治家は要らないでしょう。
しかし、そんなことはなり得ないのです。

この話でいくと、1人に教育、政治、医療に金融とありとあらゆる専門知識が必要なりますが、専門知識は奥が深いので、いくつもの専門になることは難しいと思います。
また、もしそれを国民がやろうとなれば、毎日は勉強の日々ですから、働いている暇はなく、娯楽の暇もなく、楽しみがなくなるでしょう。経済は止まってしまうでしょう。
これって理想の社会でしょうか?

人は1人では何も出来ないのと同じように、1人がたくさんの専門知識を習得するのは現実的ではありません。他の専門分野は専門家に任せて、自分の専門分野を磨く。自分がちゃんと信頼してもらえるように取り組む。信頼が連鎖するからこそ、自分の知らない専門分野のことを他の人にお任せすることが出来るのです。

夫をお風呂掃除担当に割り当てても、掃除するのを忘れていることがある場合、「疲れてて忘れてるんかな?」と思えたら信頼は連鎖していて、「また掃除サボってる。」と思うのであれば信頼は繋がっていないということです。そこで自分自身を振り返り、自分はちゃんと役割を果たしていると思えたらこの2択になり、自分が役割を果たせていないのであれば、自分自身が信頼の連鎖を繋げられるように努力するべきでしょう。

家事の役割分担というちょっとしたことでも、いや、ちょっとしたことからでしか、信頼の連鎖は始まらないと思うのです。大きな信頼をドカッと1つ。ではなく、小さな信頼がいくつも繋ぎ合わさって大きな信頼にみえています。いくつも繋ぎ合わさっているから、たまに失敗しても他のいくつもの信頼で繋ぎ止めることが出来ます。だからちょっとしたことでも自分の役割はきちんと果たすべきです。

政治の専門である政治家だけでなく、そもそも専門家という言葉の信憑性が失われつつあります。本物の専門家ではないのに専門家のフリをしてバッジを付けたり、専門家なら分かりそうな簡単な間違いにも気づかずに大々と間違った発言をしているのを耳にすることが増えて、「一体専門家ってなんや?」と「専門家はホンマに専門知識あるんか?」と思う人が増えているのではないでしょうか。

もし国民が政治の知識をそれなりにつけて、選挙に挑んでも、自分の利益に一番近い人に投票するだけになるでしょう。今既にそうなっていると思います。だからそういう国民に投票してもらうために「減税」と言っているのだと考えています。

国民は「この人なら任せられる。」というなんともザックリとした判断でいいのではないかと思います。ザックリしていても、政治家が皆しっかりしていれば、後は意見の違いだけですから、それこそ討論の意義があるでしょう。

社会の大きな専門分野は専門家にお任せ出来て始めて、国民は安心するのでしょう。
それとは反対に、国民が政治に興味を持たないといけないとは、不安を煽ることになるのではないでしょうか。

化粧品研究者こまっきー

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