化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

“常識”と僕。


小学生の時、遠足に行く前日の帰りのホームルームで明日のしおりを読んだのに、いざ当日、出発前に炎天下の中グランドに集まり、「えー、今日の予定ですが、」と昨日話した事をそのまんま話し、学年主任の先生が毎度お馴染みの注意事項を話すのに閉口してグランドの土で絵を描いていたら、怒られた。
もうすでに理解していることを、炎天下で汗をかきながら聞く事だろうか。
遊んでいる子供は理解していると判断しないのだろうか。
顔を上げて欲しいのなら、同じ話じゃなく、顔を上げてもらえるような話をすればいいのに。
と子供ながら、すごく理不尽だと思った。
先生の話はちゃんと聞く。のが前提で、つまらなくても、同じ話でも顔を上げてちゃんと聞く、聞いてるフリをするのが常識で、例外はなく、聞いてないと怒られる。

親や先生、大人から怒られたときもおかしかった。
子供がなぜそうしたのかをいっさい聞かず、ただ起こった結果だけを見て怒る。泣いた方が、先にちょっかいをかけても、泣かせたほうが怒られる。
これも子供ながらに理不尽だと思った。ちょっかいをかけられなければ、怒られることはなかった。

子供の喧嘩に大人が絡むとややこしくなる。大人からみると喧嘩でも、子供同士はふざけあっていただけで、それが少々過激になってしまうことはよくあった。その場合、大人が間に入ると子供同士は目で会話をし、「面倒なことになった」とメッセージを送り合う。
「ごめんなさいは?」という大人の発言は、大人自身が仲直りさせた実感を得たいだけだというのも、子供ながらに感じていた。「ごめんなさいは?」「ごめんなさい。」と子供が言う頃には、もうすでに仲直りしているか、もう仲直りすることはない。

大学卒業の時に、働いていたバイト先、王将のパートの方からメッセージをもらった。
10年近く経つ今も、iPhoneのメモに大切に保管してあるので、ここで紹介したい。

-----
Re:
まきちゃんは、私の話をよく聞いてくれた。
なかには、正直生意気な意見もあった。
だけど、私は共感を得てました。
これから、世の中に出るといろんな人がいます。
中には、真っ向からまきちゃんを否定してくる人も少なくないと思います。
そんな時に、まきちゃんの教訓にしてほしい気持ちを込めてあります。
つまり、その場その場でまきちゃんが誤解されてほしくないのです。
そのためには、やはり自分の放った態度と意見を確認する手段に出てほしいのです。
僕はあの時にこう言ったけど、どう思ったのか実は、あの時あぁ言ったが今はこう考え直している…など
相手のためでもある意味と自分自身のフォローを心掛ける様にしてもらいたい。
和解できない場合の中に常識や非常識が含まれていると思うの。
そんなんこんなんで、実につけてゆくもんが常識の世界と思うよ。
だけど、正直💡
常識って何ですか?!やね(笑)

-----

王将で餃子を焼きながら、一体なんの話をしていたのか。
このパートの方とは本好きで仲良くなり、僕が東野圭吾を、パートの方が「まきちゃん(と呼ばれていた)に似てる小説があるねん。」と伊坂幸太郎の本を紹介してくれて、お互い本を交換しあった。

そして今、化粧品の研究と自社ブランドを立ち上げながら、化粧品の常識を考えている。「化粧水、乳液、もしくはクリームという流れは、これでいいのだろうか」とか、「下地、多すぎちゃうか。」とか。
わざわざ疑問を持つというよりは、自然と疑問を抱き、実際どうだろうかと自分で作って試すような研究をしている。そしてその成果が自社ブランドの商品になっていく。

これのどこが「今だから話せることなのか」
最近、やっと常識を疑っていることに気づいた。そして、子供の頃から感覚的に常識を疑っていたことを理解した。
遠足前のグランドでの出来事、意味のない「ごめんなさい」、パートの方のメッセージは、なぜこんなメッセージをもらったのか、全く覚えていない。でも王将で働いた3年間の間でそういう話をしていたんだろう。
自分の中では、当たり前のことを話してる感覚で、わざわざ疑うとかそういうものではなかった。

最近、自然に常識を疑ってることに気づき、それを言葉にすることが出来るようになった。
ブログを始めて5年、コツコツ書いてみようと書き始めて3年くらい経った。
書き続けたことで、自分の気になっていることに気づくことが多くなり、記事にすることが出来る。

疑っているのが常識という、ほとんどの人が当たり前と思っていることなのだから、「当たり前のことやん。」と言われ、理解してもらいにくいことにも気づいた。

自分の感情、なにを感じているのか、どう思っているのか。
それを理解することは難しい。
どうやったら自分自身のことがわかるのか、その表現方法は色々あるが、言葉にするというのは、気持ちを落ち着かせながら出来るし、流行りを気にしなくてもいいので、自分と向き合いやすいかもしれない。

SNSの普及で、長文を書いたり読んだりするよりも、パッと見が重視されるようになった。しかし、僕は自分の思っていることを書いてみることで発見があり、最近Twitterは最大文字数を4000文字まで拡大した。
表現や伝えたいことの細かい部分、個人のオリジナルの感覚は長文でないと、現れないだろう。
パッと見から、長文へと、常識は変化していくのかもしれない。

じゃあ、常識ってなんなんですか?!
とパートの方の最後のメッセージがツッコミのように入りそうだ。

だから僕は常識を疑い、考え、時は試してみることで、オリジナルの常識を作り出しているのかもしれない。

今だから話せること特別お題「今だから話せること