化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

“脱便利”

先日、友人が働いている会社の後輩が急に退職したらしい。
先週まで普通に仕事していたのに、週明け来なくなり、1本の電話がかかってきた。
「退職代行サービスです。〇〇さんは今日付で退職します。以降、有給消化などのやり取りは〇〇さんへは連絡せず、代行サービスとのやり取りお願いします。」

物価高なのに給料が上がらなくて生活が苦しいという。
しかし、物価高で給料が上がらないのに、“便利”にお金を使いすぎているから生活が苦しのではないだろうか。

友人が働いている会社は別にブラックではない。大手企業だ。大手企業は今、嫌なイメージを付けられたくないので、退職は一番すんなり出来るだろう。
退職代行サービス。1回27,000〜50,000円。
自分が選んで入った会社を自分で辞めることすら出来ない人なんて、厳しい言い方で悪いが、仕事が出来るとは思えない。会社としては辞めてくれたほうが良かっただろう。
その人は人間として生きるために必要なことを理解しない限り、今後も苦労するだろう。

電動自転車にはずっと疑問に思っている。
相場約10万円。
自分の親に聞いてみて欲しい。「私が子供の頃に乗ってた自転車はいくらやった?」と。
おそらく1万円くらいだったはずだ。もちろん電動ではない。
裕福でお金に困っていないなら分かる。殆どの共働きはお金に困っているから共働きのはずだ。子供が帰宅しても家で迎えてあげられない、夜帰ってくるまで何もして上げられない、帰ってきても疲れていて自分のことで精一杯なのを犠牲に共働きでお金を稼いでいるはず。
親の世代よりも給料が低いのに親よりも10倍の自転車に乗る資格があるだろうか。
更には電動自転車に乗ってジムに通う人もいる。日常運動せず、ジムに月額1万円近く支払うのはとっぽど余裕があるとみる。
「余計なお世話だ!」と思う気持はよく分かる。
それでも大人が大人に厳しく言う人がいないので敢えて言う。
周りの母親連中がこぞって同じ電動自転車に乗っていようが、自分達のお金は自分達のものだ。周りに合わせてお金を使い、節約するのはどうだろうか。
よく考えてみて欲しい。

僕の母は専業主婦だった。
日中は3軒スーパーをハシゴして、1軒目のスーパーが一番キャベツが安く大きかったら、また1軒目に戻っていた。専業主婦はお金は稼げないが時間はある。時間を犠牲に節約をしていた。
稼ぐ父と工夫する母。
両親が同じことをするよりも別のことしたほうが生活は回る。
そんな母の元で育った僕は1軒目に戻ることはしないが、数回の失敗の末、各スーパーの安い時のキャベツの状態は分かる。だから1軒目で買う。

家に変えると必ず母は居た。
僕が社会人になり一番下の妹が高校生の頃、母に初めて趣味が出来た。正確には僕らが生まれてから初めて趣味が出来て「斉藤和義のライブを観に行ってみたいなあ」と言った。
「行ってきたらいいやん。」と僕が言うと、高校生の妹を残していかれへんとか、試験前に親が遊んでたらアカンやろ。とか色々な理由が行くことをためらった。
何回かためらい、何回目かの「僕たちが妹の面倒みるから行っといで」というセリフで母は斉藤和義のライブに行った。
それくらい子供ファーストな母だ。

いま、そんなにも子供ファーストな親がどれくらいいるだろう。
子育てしながらも親も楽しむというキャッチフレーズが10年くらい前に出てきてから、親は趣味を堪能するようになった。
堪能するのは別にいい。それくらい時間とお金に余裕があれば。
子育てにはかなりのお金がかかるという。学費だけでなく習い事や衣服と様々な出費がある。
もし「学費は自分で出しや。」と言いながら趣味に堪能している親がいたら、
きっと母には考えられない言動だろう。

この状態はきっと共働きのせいだ。
働いて毎月給料が入ってくる。すると「なにか発散したい!」と殆どの人が思う。
趣味、飲み、パチンコなど何かしらで発散したいと思う。
稼いだら発散する。それが当たり前になっている。
親2人がこの状態になれば、今の状態になるだろう。
「専業主婦は肩身狭い。なにも出来ひん」という考え方がありながらも、共働きによる出費は大きすぎると思う。

2人働いているので、当然スーパーの安い日に買い物は出来ない。
疲れて料理する気にならなければお惣菜、外食、宅配。
徒歩数分の場所に必ずと行っていいほどコンビニがあり、何か足りないものがあれば「ちょっとコンビニで買ってくるわ」だ。
スーパー行けば安くで買えるのに。行く手間の省き、高い値段を出す。
生活費とはこの小さな積み重ねが大きくなる。

30年前より平均年収は下がり、物価や税金は倍以上になった。
だから共働きで丁度かギリギリのラインになっている。
しかし共働きの分、生活の節約が出来ず30年前より無駄な出費が多くなり、余裕のある時間も減り、生活は苦しくなっている。
お金と時間がない。

政治家はこれをどうにかしようと試みるべきだが、僕たちは何をするべきだろう。
先日岸田首相が移民を増やして雇用対策をすると言った。
その対策にに関して、その雇用対策では安くで雇うことが念頭に置かれるので、益々給料は上がらないと言う発言があった。

人が減り、便利が増えた。
24時間のコンビニの数、スーパーの数、ちょっとした便利グッズ、100均、来年は着れなくなる流行り物の服、すぐヨレヨレになるけど安くてオシャレに見える服、使い切りアイテム、掃除のコロコロ、それにしか使えないアイテム、夕方通販で購入すれば明日届く物流。
ありとあらゆる便利な物や店が増えた。便利が増えればその分働く人手がいる。その分出費がかさむ。
サブスクだってそうだ。TSUTAYAに音楽を借りに行ってたときは年間12,000円も払っていないし、映画だってそうだ。
人はいないのに、お金もないのに、便利に慣れてしまった日本人は生活が苦しくなっても便利から離れられない。
便利が当たり前過ぎて、楽をすることが前提になっている。
もはや何が便利な贅沢なのかがわからないくらいになっているだろう。

移民を受け入れれば給料が上がらないだけでなく、治安も悪化するだろう。
仕事中、子供たちが公園で遊ぶことが不安になる日が来るかもしれない。

便利が増えればお金は必要になります。
便利が増えれば人手が必要になります。
それでも給料は決まっています。時間は1日24時間です。

いまの日本は、いまの便利とバランスが取れているだろうか。
バランスが取れていないから、こんなにも生活に余裕がないのだろう。
だったら“脱便利”するべきです。
24時間いりません。こんなに近くに何件もいりません。行きませんので需要がないから無くなります。お店がなくなれば人手が減ります。
ちょっとした便利グッズ買いません。誰も買わないから工場で作る量が減り、人手も減ります。
明日に届かなくていいです。
そうやって“脱便利”していけば、人手不足は解消され、移民問題もなくなり治安が維持できるだろう。

それで経済が回るだろうか?
便利にお金を費やし、息切れしながら苦しい生活を送るいまの経済の回し方は不健全だ。
人がこんなにも減っているのだから、経済は縮小していかなければいけない。

無理のない範囲で経済を回し、生活をする。
今は本当に「次あれ作って、これだけ儲けて」を繰り返していて、それが思うように成功しなくて、どこの会社も苦しい。
人もすぐ辞めていくので会社の基本的な仕事がスムーズに回らずに困っているのに、政府は「転職を活発に」する気みたいだ。
基盤の従業員数が安定していないのに、新しい挑戦をできるはずがない。
新しい挑戦、アイデアが思いつかないので、毎年株主総会で良く魅せるのに店舗拡大を言う。人手は足りていないのに店舗拡大しか打つ手がないので経営も苦しくなる。
もう、今の経済の動きは限界だ。

給料が増えずに税金や物価ばかり増えて、その苦しさを政治のせいにする前に、僕たちが“脱便利”したほうが明るい未来は近いのではないだろうか。

“脱便利”
お金を使うことで発散するのではなく、工夫する節約することを楽しむことが今の僕たちに必要なことだ。

-化粧品研究者こまっきー

↓こちらもどうぞ↓

www.komacky.com