化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

喜怒哀楽を大切に

2010年以降、行動だけではなく発言にもセクハラやパワハラと規制がかかりました。最初は良かったように思いましたが、あれダメこれダメの社会では思うように口に出来ず、自分の気持ちをどこで発散すればいいのか?と悩んだ方は多いと思います。
もしくは知らず知らずのうちに気持ちを表現できない日々が続き、体調が優れない日々が続き、日常生活がままならないくらい体調が悪化した人もいるでしょう。
精神疾患の増加はこの規制による“気持ちの押し込み”が大きな原因にあると思います。

経営コンサルタントは「ラーメン街で売れるには、看板や内装をキレイにして見た目で他店と差をつける。」と言います。最近では「見た目がバズるラーメンを作れ」と言います。
その結果、メディアは美味しい美味しくないの基準でラーメンや飲食店を選ばなくなりました。見た目やコンセプトをピックアップし、流行り物を作っていきました。
どれも表面的な言葉遊びですので、「美味しい」という本当の満足感が得られないお店が増えました。それでも「今流行っている、みんなが行ってるから間違いない」と思い込んで納得している人、多いと思います。
喜怒哀楽の喜びの部分が不足しました。

すぐ感情を口に出す人ほど肌がキレイです。
身体も元気です。
昔すぐ怒る人が結構いました。昭和や平成初期の時代背景をテーマにした映画を観るとよくわかります。今では考えられないくらい、すぐ怒ります。
僕の子供の頃を振り返っても、大人はすぐに怒りました。
子供からすると嫌なことですが、振り返ってみると自分の気持ちを発散出来ている時代でした。
今では怒る元気も、体力もない人が多いと思います。

ひねくれていて申し訳ないのですが、明らかに「これから泣かすぞ!」という雰囲気を出してくる映画やドラマにウンザリしてしまいます。わかっていたら泣けないし、感動も出来ないし、驚くことも出来ません。子供が「ワッ!」と驚かそうと隠れてるな〜と思ったら、驚くフリをするはずです。それでも映画となると、明らかな雰囲気ではフリではなく、泣いてしまうのが不思議です。
導かれた哀しみは自然な哀しみなのか。
映画を観ていて感動する時は勿論あります。なんでもないシーンで、セリフでグッと来るときがあると思います。あからさま過ぎるものが多いし、そっちのほうがウケがいいというのは、なんだか哀しみが単調になっている気がします。

楽しい。
これは一番希望があるかもしれません。
大きい“同じ”に取り囲まれていたのが、ジャンル分けした“同じ”に変わって行っています。若者は自己表現を重視すると言いますが、大なり小なり自己表現は皆自然にしています。それが「自己表現=これだ!」と勝手に自己表現とは何たるものかを決めて、それが出来ていないと「あたなは自己表現が出来ていない!」というから、話がややこしくなっています。そうやって決めつけた結果、ジャンルごとの“同じ”に集まって、その同じになれたら楽しい、なれなかったら楽しくない。というのが今の自己表現と同じのように“楽しい”も決めつけられている気がします。自己表現にも楽しいにも正解はないはずです。自分が楽しかったらオッケーです。
それでも昔のような大きな大枠よりは小さくなってきています。

喜怒哀楽は自分の感情のはずですが、平成の規制に伴い「喜ぶとは何か。怒るとは何か。悲しいとは何か。楽しいとは何か。」を決められているような気がします。
そこから外れたら喜怒哀楽出来ないとされ、喜怒哀楽の修正を図られます。
なので喜怒哀楽の検索をしてはいけません。
喜怒哀楽は自分自身にあり、ネットにはありませんので、
もっと自分の喜怒哀楽を大切にしていただければと思います。

子供の頃、今思えば何が楽しかったのかわからないけど楽しかった思い出があると思います。
なんでもないことで楽しんでいたことがあると思います。
子供をみていると、一体何が楽しいのかわからないけれど、子供はめっちゃ楽しんでいることがあると思います。
それくらい、今の僕たちの喜怒哀楽は勝手に決めつけられているのです。

化粧品研究者こまっきー

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