豪邸に高級車に毎日美味しい食材。
なんて大金持ちのドラマみたいな暮らしは求めていないけれど、豊かな暮らしはしたい。
そういう気持ちは誰だってあると思います。
ところで、その豊かな暮らしというのは、どんな暮らしなのか決まっていますか?
僕が小学生の頃は2階建てのアパートに住んでいる子はそれなりにいました。階段が外についていて、もちろんロビーなんてなく、横並びの部屋の前は空き地?通路?みたいな場所が少しあるようなアパート。または10階建てくらいのマンションに住んでいる子も入れば、一軒家の子も。いい表現が浮かびませんが、住んでる家のキレイさは様々だったと思います。
ところが、今の築30年のマンションはそこまでの古さを感じさせません。築20年くらいだと新築と外装は似ているのではないでしょうか。団地リフォームが流行っているので、築30年の団地でも中はキレイだったりします。それでも築年数が経っているので、天井が低くて独特な間取りでも良ければ、広くてキレイで安い家賃で住む事が出来ます。
子供がいて、共働きでない家族でも僕らが子供のときにいた、1LDKの古いアパートに家族ぎゅうぎゅう詰めで暮らしているという風ではありません。
1人暮らしの部屋でもインテリアに拘って、お洒落な部屋にしている人もいるくらい、基本的な衣食住+αのことが出来ているように思います。
外食はお金のかかることですが、結構皆さん外食してるんじゃないでしょうか。昔はここまで外食していたでしょうか。特に子供がいる場合は、外食って特別感があったように思いますが、今は日常的になっているように思います。
そういう意味では、平成の30年を通して全体的に暮らしは豊かになっているのではないかと思います。
どこまでの豊かさを求めるのか。
豊かだと感じない原因の1つに、豊かさのゴールイメージが無いのではないでしょうか。
あれもしたいし、これもしたい。
あれも欲しいし、これも欲しい。
あそこに旅行したいし、海外も行きたいし。
と、欲ばかり並べても、全部叶えるのは無理でしょう。
昔の豪邸に高級車にと、届きそうにもない夢を諦めて、人々が届きそうな夢を見るようになってから、悪循環に陥っているような気がします。
頑張れば手の届く範囲なのでなんとか叶えたい。頑張って働けば、出来るかもしれない。
出来た!じゃあ、次はあれも同じくらいのハードルだから、頑張ってちょっと無理して働けば叶うんじゃないか。出来た!1人より2人で働いたほうが手の届く夢が沢山叶うから共働きだ!
これが叶うならあれもしたい、あれも欲しい。大人が2人いるなら2人で稼げばもっと・・・。
と、こうやって頑張れば手の届く範囲の欲を追いかけることは、ホストにハマって大金を注ぎ込んでしまう流れと似ていると思いませんか?
会えるアイドル。という言葉が出てきたくらい、平成のビジネスは手の届く範囲で行われてきました。手の届きそうなことが多すぎて、欲求の分母が大きくなってしまい、昔よりも豊かになっているはずなのに、満足出来ないでいます。
その頑張れば手の届きそうなモノやコトは本当に望むものでしょうか?
日々の生活を急かして、あっぷあっぷな毎日をしてまで欲しいものでしょうか?
できれば叶えたいというくらいであれば、そこまで日常を頑張る必要はないはずです。
できれば位の欲を減らせば、なんでもないことを楽しみながら日々を過ごしていけるはずです。
時間に余裕ができると、心にも余裕ができます。
1つ1つが丁寧になり、1つのことに対する満足度が上がります。
せかせかしていると、あれしたいこれもしたいで、多くの欲を達成しても、1つ1つが雑になってしまい、達成感も満足度も薄いので、また次の欲を求めてしまいます。
自分はどこまでの豊かさを求めているか?
お金のかからないことよりも、お金をかけた方が満足出来るものだと思いこんでいませんか?
意外ともう、まあまあ満足しているんじゃないでしょうか?
そんなことを改めて考えてみてはいかがでしょうか。
化粧品研究者こまっきー
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