化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

部屋着と普段着にお金をかけない

学生の頃から、服に美容に音楽に山登りと多趣味だったので、「バイトで稼いだお金をどういう割り振りで使うか。」というのは非常に考えたものです。
夜どうしで無理矢理働いて、自分の趣味が満たされるくらいのお金を作るという選択肢は最初から無く、できる限りの範囲で働いて、その中でどうやってやりくりするかというのが僕の考え方でした。

欲しいものや、やりたい事は沢山あるけど、無理はしたくない。
その考えは、今思えば正しかったと思います。ブランドバッグが欲しいから、副業で夜どうし働くと、本業がしんどくなります。続けば間違いなく体調を崩し、体調を崩すとその分収入は減り、薬を買うお金で出費がかさみます。なにより毎日が忙しなくシンドいですから、心身ともにダメージが大きいです。キャパオーバーでイライラしてしまい職場環境や友達関係が悪くなります。
同じような状態になっている人は「そんな生活をしてまでブランドバッグを買おうと思っていただろうか。」と一度立ち止まってみて下さい。

これはブランドバッグに限ったことではありません。
SNSの普及によって、ありとあらゆるものが“欲しい物”にランクインしてきました。毎年デザインが変わる流行のコーデ、メイク、そして部屋着やインテリアに便利なグッズ。
難しいと思われていたものが、意外と安価で簡単に出来ることが分かると、ちょっとやってみたくなるものです。それでも最初は手間暇かかるようなものが多かったのですが、今では本当に簡単に出来るキットが売られています。
インテリアでも手間暇かかるようなものは自分でサイズ測ってホームセンターに行って、木材やペンキやそれに合う接着剤や釘を買ったり、必要なら工具も揃える必要がありますが、簡単に出来るキットは全て揃っています。
違いは何か?
簡単に出来るキットの方が値段が高く、仕上がりがイマイチです。
やり方動画を観て、手間暇かけてそれなりのものが作れるという意味ではSNSの普及は良いものでした。今は行き過ぎていて、キットを販売するビジネスが普及して、それなり以下のものを高く買って満足しなければいけないようになりました。
結果、何かと満足出来ていないから次々求めてしまうのでしょう。

それなり以下のものを便利という名目で高く買うことだけでなく、今まで自分が気にしていなかった事に目を向けさせるということも、SNSの普及で広がりました。
その1つが部屋着です。
誰も見ていないわけですから、別に部屋着なんてなんでも良いはずです。それが「可愛い部屋着でお家の中をもっと楽しく!」なんて言うと、欲しくなっちゃうんです。

普段着もそうです。昔の職場には制服があったので、出勤時の服装はわりかし何でも良かったはずです。なのでそんなにお金をかけていないというか、使わなくなった私服を普段着にしていたことでしょう。
それが制服が無くなったことで、仕事着用にそれっぽい服を買わなくてはいけなくなりました。制服だと会社負担なのに、仕事着用の服は自分が払っているんです。

こうやって、どんどんお金を使うようになってきました。
収入と支出の増加を見ると、給料が上がらないことで生活が苦しいよりも、使うお金が増えてしまったことのほうが、大きいのではないでしょうか。

部屋着と普段着にお金をかけない。というのは安価な服を買うという意味ではなく、使わなくなった私服でいいんじゃないですか?ということです。
なんか「断捨離だ!」とか言って、ゴミ袋いっぱいに服まとめて、そして新しい服を買っている投稿なんかありますが、あれ見て真似しちゃいけないですよね。

収入を増やそうとせずに今ある収入でそうやって趣味と生活費のやりくりをするか。
そんなことばかり考えている僕の趣味に服がありますが、今の地元着は中学2年生のときに買ったチノパンと大学のときにかったシャツやセーター、高校のときに買ったダッフルコートです。大人のM サイズは大人になった今でも大きいので、中2の頃のチノパンが履けてしまっているわけですが、使わなくなった私服を地元着にしています。
使わなくなった私服の中で、外で着るには抵抗があるシルエットや柄ものの服が部屋着になります。文化祭Tシャツはときにパジャマになります。
部活のジャージが部屋着のアウターです。背中にRugby Football Teamと書いてあります。

山登りに行く時の服装の半分以上が高校の部活で着ていた服です。
Rugby Football Teamと書いていないものが、外で着れる運動用の部活着です。

こうやって使い回せるところは使いまわして工夫することで、僕の多趣味はやりくり出来ています。山登りするのに山登り用のメーカーの服を全身揃えて山登ろうとしていたら、1つのことにそんなお金の使い方をしていたら、まさにお金がいくらあっても足りないでしょう。
必要な靴とザックだけ買って、後は部活着がダメになったら買い足していけば、いつかは全身が山登り用メーカーになっているでしょう。そんなもんでしょう。

そうやって、使い回し出来るところは使いまわしして生活することが昔は当たり前だったはずですが、最近は本当にすぐモノを買ってしまう人が増えたように思います。

日本は豊かになっていません。共働きしないと生活が回らない時点で、30年前の半分くらい貧困になっています。それなのに昔のような使い回しをせずに、すぐモノを買っていては、いつまでも生活は豊かになりません。

部屋着と普段着、地元着は使わなくなった私服で良いじゃないですか。
友達と遊ぶときの一張羅さえあればいいんです。一張羅を毎年買うと、2,3年もすればそれなりのコーデの選択も広がります。
そんな毎年何着も服買って、数年経ったら捨てる必要があるのでしょうか。
そのお金、他に使う選択肢は考えたことありますか?

めちゃくちゃな消費社会になって、お金を使うことが、モノを消費することが当たり前の世の中になってしまいましたが、その社会の進むべき道は極貧生活でしょう。
求めても求めても満たされず、働いても働いてもお金が足りない。
心も身体も極貧状態です。

まずは使わなくなった私服の使いまわしから、自分が本当にお金を出したいものなのかについて、考えてみてはいかがでしょうか。

考えてみれば、そんなにモノを買う頻度は多くないはずです。

化粧品研究者こまっきー

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