僕の考えの根本に“プラスマイナスゼロ理論”があります。
赤ちゃんは話すことも出来ないし、自分で何も出来ませんが、大人とは違った感覚をもっているように思います。
自分で動けるようになったり、話せるようになると、親から怒られたり、他人とコミュニケーションを取るようになります。
そうして赤ちゃんの感覚が薄れていきます。
小学生の頃は「なぜ?」と思うことが多かった人は沢山いるのではないでしょうか。
よく親に「なぜ?」を聞くと「そんなん気にせんでええ。そんなことより宿題はやったんか?」と怒られたり、はぶらかされたりしました。
子供の頃、この親の行動を不思議に思っていました。
「なぜ、なぜ?を答えてくれないのだろうか」とか「なぜ、怒られたのだろうか」とか「もしかして知らないんじゃないだろうか」とか。
「なぜ?」と思わなくなった理由に「経験してきたから」と考える人がいますが本当にそれだけでしょうか?
経験以上に「なぜ?」と思わなくなったことが原因にあるように思います。
僕たちは成長しているのでしょうか?
成長しているのであれば、子供の時の感覚プラスで感覚が豊富になっているはずですが、大人になっても赤ちゃんのことは全然わかりません。小学生の「なぜ?」に答えることも出来ません。
初めて何かをしたとき。サッカーボールを蹴ったときや、自転車に乗った時の感覚は今はもうありません。“慣れ”てくるからです。
“慣れ”は成長の証なのでしょうか。
新卒で入ったときは電話応対も緊張していたけれど、最近はちゃんと応対できるようになった。目で見える部分では成長かもしれませんが、感覚では緊張のときの感覚は忘却し、“慣れ”た感覚になる。初々しい感覚は手元に残る事無く、感覚は変化していく。
決して、プラスに上乗せされることがない。
忘れた人が教える教育とは、なんなのでしょうか。
“プラスマイナスゼロ理論”とは、1つ手に入れたら、1つ失っていて、結局はプラスマイナスゼロで進んでいないという考えです。
1つで表すとプラスマイナスゼロです。なのでその1つの大きさやメリット・デメリットで判断し、今の自分に良い方を選ぶという考えでもあります。
モノを買う時、選ぶ時の指標に、調べる時この考えで情報収集すると、良い部分以外の情報が見えてきます。
大人になると、働いてお金を稼ぐことができ、夜遅くまで遊ぶことができ、お金をためて旅行に出かけることも出来ます。
行動の幅が広がることが、成長なのか。
心の感覚の幅が広がることが、成長なのか。
成長しなくてはいけない。
そう考えるのが当たり前のようになっています。
子供から大人へ成長すると言いますが、
一人の人として、成長出来ているのでしょうか?
子供の「なぜ?」を目の辺りにすると、そう思うのです。
化粧品研究者こまっきー
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