化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

子供の頃から“区切り”が嫌いでして


「もう明日から6年生よ」
「もう中学生なんやから」
「高校3年生、最高学年なんやから」
「もう、社会人なんやから」
このように小学校から中学校、高校と上がるたびに、そして細かくは学年が上がるたびに言われ、小学校では高学年、中学校では後輩が出来るなどなどを言葉を使い、
「もう○○なんやから」というセリフをその時に穴埋めを変えて汎用されてきた。

僕はこの言葉が嫌いだ。
物心がついた頃だから小学校の高学年くらい。
3月までは3年生で4月から4年生になるとき、
「あんたも、もう高学年なんやからしっかりしいや。」と言われ
「は?」と思った。
何故小学3年生から4年生になるとしっかりしないといけないのか、しっかりってなんなのか、習い事は水泳にサッカーに春休みは塾に通い、ゲームも出来ず友達ともあまり遊べず、しっかりやってきたつもりだった。
でも4年生になると、これ以上にしっかりしないといけないらしい。

3月から4月の1ヶ月に一体何があるのか?

このセリフはこの1ヶ月だけでなく、事あるたびに言われる。
やんちゃで好奇心が強い僕はつい色んなことを試しては、先生や親にバレて怒られていた。
すると説教の中に必ず入ってくるのが
「もう○○なんやから、しっかりしいや」だ。

なんかこう、勝手に区切られて決められることに違和感を感じていたのだろう。
「はい、明日から6年生のあなたたちは最高学年です。下の子達の見本にならないといけません。」
そう言われてもピンとこない。
4年生、5年生くらいの頃から、そういうことを言われていて、生活などの授業で年下が困っていたら助けてあげるとか、見本になるだとか、言われていたら納得できたのだが、6年生になっていきなり言われると、「急になに?!」となる。

中学も高校も大学もそうだが、一番怖いなと思ったのは、
「もう社会人なんやから」だ。
「もう社会人なんやから、いつまでも学生のノリでおったらあかんで」というやつだ。
今まで勉学に励み、スポーツや文学や習い事、アルバイトなど色々な経験をしてきて、いざ社会人になると、それらを学生のノリと題して、今まで生きてきた過去を否定されているように感じた。

「じゃあ、社会人と学生は何が違うのか?」と、ずっと“○○なんやから”に疑問を感じていた僕は社会人になって周りを観察していたが、なんてことはない。
頑張ってる人は頑張っているし、出来る人は出来る。学生の部活やアルバイトでも同じことで、出来る人は器用になんでも出来るし、接客も上手だが、できない人はできない。苦手なところは苦手のままだし、学生から社会人になっても特に変わるところはない。
これは学生気分というより、その人そのものの、性格であり、キャラである。
むしろ電話の出方なんかはおっちゃん達の方がテキトーなことが多く、それが良しとされているので、「学生のノリってなんだ?」と思う。まあ、取説通りの受け答えは嫌いなので、僕はおっちゃんの電話の仕方の方が好きだけど。
1つ大きく変わるところといえば、シフト制じゃないので仕事が出来ない人も出来る人も働く時間は変わらず、ほとんどの会社では給料も変わらないといったところだろうか。

「いつまでも学生のノリじゃでおったらあかんで」で特に怖いのは、今までの感覚を潰してゼロにさせることだろう。あんまり気づいてないかもしれないが、その言葉で新社会人の過去を潰している。新卒で一部上場企業に就職したとき、4月から5月の2ヶ月は研修という名の、一人一人の今までの経験や感覚によるそれぞれの個性を限りなくゼロに近づくまで潰し、新たにその会社用に書き換えるような研修だった。
僕は気持ち悪くて耐えれなかったが、小学校から中学校、中学校から高校に上がるたびに、「新たな気持ち」で進学した人には、慣れたもんだったのだろう。

3月から4月の区切りを利用して、社会では急に立場や思考をゼロにして、新たな何かを押し付ける。
自分はずっと自分だし、小学校の自分が在るから中学校の自分があり、小学校の経験を活かして中学校では、高校では、そして社会人になっても今までの経験から学んだことを活かして働くものだと思っていた。
しかし、現実は大きく違い、「新たな気持ち」で、定期的にリセットされて書き換えられている。

-化粧品研究者こまっきー

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