化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

“ねじれた次元”と僕たちとの関わり

中学で (x, y, z)を習ったとき、家に帰り自分の部屋でじっと考えたことがある。
それは“ねじれ”についてだった。

3次元で2つの直線が同一平面上にないときの状態を“ねじれ”という。
例えば大通りと歩道橋。
大通りが南北に、歩道橋が東西に通っているとき、これは“ねじれ”と言える。
階段などの細かい部分は気にしないでほしい。

学校で習う“ねじれ”とは数学的解釈であったり、現実で発見出来る“ねじれ”だが、僕が家で考えていたのは、“現実では見えないねじれ”だった。

実際に自分の部屋を3次元で表せば、縦横高さで表せられる。
しかし、僕たちの目で見える3次元よりも大きい3次元があったらどうか。
XYZのグラフをかいたときに、どこにでもいいので自分達の次元を点とする。
そして少し上のに点を書くと同じ3次元空間なのに“ねじれ”のような状態になるのではないかと思った。

点ではなく、◯で考えたほうがわかりやすいかもしれない。
“ねじれ”のように違う世界と僕たちの世界が少しの3次元のズレで存在している。
つまり“ねじれ”のように僕たちとは違う◯がある。
だから、僕が見えていないものが世の中にはあり、それが動いている。

次元が違うので見えないし、触れることも出来ない。
だから自分が部屋で立っている間に、いくつもの次元で生きる生物たちと自分はすれ違っているのではないか。
違う次元ではこの部屋は全然違う風景で、もはや部屋でもないかもしれない。

また、◯と◯は完全に離れているわけではなく、少し被っていたりもするので、たまに視えてしまうのではないか。
それが宇宙人ってやつではないか。
そんなことを部屋で棒立ちで真剣に考えていた

スターウォーズの観過ぎかもしれない。
当時金曜ロードショーでスターウォーズが放送されるたびに楽しみにしていた。
スターウォーズだけでなく、当時はE.Tなど宇宙人が出てくる映画が多かった。

かなり現実に不満があったからかもしれない。
考える時間や自由に行動してみる、チャレンジすることに圧力がかかっていた。
RPGゲームのごとく、この次元は自分が主人公だと考えたこともある。
この状況を打破するには、自分で動いてこの状況からクリアしないと縛られたままだ。
だからまずはここから脱出しないといけない。
この次元は自分が主人公で自分が何かを達成するために作られている。
だから、周りはコンピューターかもしれない。とまで考えた。

他にも、喋っている内容が、違う次元となって相手には別の言葉で伝わっており、相手も違う意味で返事しているのだけれど、なんとなく世界はそれで上手く回っている。とか。
中学で(x, y, z)を習ったとき、とにかく“ねじれた次元”の可能性を考えていた。
もちろん、誰に話しても馬鹿にされると思ったので、この話は当時は誰にもしていない。

あれから15年ほど経って、ふいにその時のことを思い出した。
“ねじれた次元”の存在については、未だに否定も肯定も出来ない。
「大人になったら、そんな考え方馬鹿馬鹿しいことくらい、分かるやろ。」
と思うかもしれないが、僕は子供の感覚は非常に大切にするべきだと考えている。
それは自分が子供の頃の感覚も、もしお子さんがいるなら自分の子供の感覚も。

そして15年も前に記憶が今、急に思い出すからには
なにかあるのかもしれない。

化粧品研究者こまっきー

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